橘に縁のある少女たち

幻覚度 5

 豊聡耳神子、驪駒早鬼、摩多羅隠岐奈、秦こころ、エタニティラルバ……

 以上の少女たちはどういうわけか全員元ネタが「橘」に関係しています。今回の記事はそのことをまとめたものです。考察というよりは二次創作に使えそうな情報集という感じの記事になります。

豊聡耳神子

 豊聡耳神子の元ネタは聖徳太子こと厩戸皇子です。

 厩戸皇子が厩で生まれたという伝説は非常に有名ですが、より詳しい説では祖父の欽明天皇の別宮、橘の宮で生まれたという事になっています。のちにこの橘の宮には聖徳太子自身によって寺が建立され、それが今の明日香村にある橘寺になったといいます。この橘寺は聖徳太子建立七大寺の一つに数えられる名刹です。東方的にも本来の意味でも聖地ですね。

 『記紀』には垂仁天皇の御代に田道間守という男が常世国に渡り、非時香菓(橘)を持ち帰ったという伝説が記されていますが、この時に田道間守が持ち帰った種を植えたのが、今の橘寺であるという言い伝えも残っています。おそらくそのため、橘寺の本堂には聖徳太子と共にこの田道間守が祀られていたりもします。

 橘寺は単に名前に橘と付くだけでなく非常に由緒あるお寺です。この地で生まれたという聖徳太子は、何か表現が難しいのですが“橘の神”的な霊格を持っているように個人的には思われます。

 また、厩戸皇子の父である用明天皇は和風諡号を橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)といいました。そのようなことを考えると、聖徳太子は様々な面にわたって橘と関係があると言えそうです。

驪駒早鬼

 驪駒早鬼の元ネタは聖徳太子の愛馬であった「甲斐の黒駒」です。彼女はテーマソングが「聖徳太子のペガサス〜Dark_Pegasus」なので、明らかにそうです。

 『聖徳太子傳記』などによると甲斐国の国司であった秦河勝が捕獲し、太子に引き合わせたという伝説の神馬でした。この黒駒もまた橘に縁があります。先述の橘寺の本堂前には、甲斐の黒駒の銅像が立っています。しかも胴部分には金の橘紋がついていて、関係性を強調してくれています。本堂の太子を慕うように立つ姿は印象的で、太子信仰にとって黒駒が欠くべからざる要素であったことを物語るようです。

摩多羅隠岐奈

 摩多羅隠岐奈の元ネタは摩多羅神です。しかし他にも習合した神格を多く取り込んでおり、その中に秦河勝としての側面もあります。

 原作で隠岐奈が列挙する神格(後戸の神であり、障碍の神であり、能楽の神であり、宿神であり、星神であり……)の中に秦河勝の名は見えませんが、以下の台詞からその要素を持っていることが窺えます。

 アゲハチョウの妖精。なるほど……そこは本来なら夏の扉の筈だが、そいつはアゲハチョウの妖精では無く常夜神なのかもしれんな。私に敵対する神の一つだ。

 (天空璋EX日焼けしたチルノルートより)

 常世神に敵対する…となれば普通に考えれば秦河勝しかないでしょう。

 これ以外にも例えば『東方外來韋編 肆』で神主がしっかり秦河勝要素に言及してくれていますので、安心して隠岐奈を秦河勝とみなすことが出来ます。

河勝邸の橘

 秦河勝の邸宅には橘が植えてあったという伝説があります。しかもその橘がのちに平安宮の大内裏にある「右近の橘」になったというのです。

 平安京の大内裏(平安宮)のあったところが、もとは秦河勝の邸宅のあったところである、という伝承がある。十世紀ごろに在位した村上天皇の日記が「拾芥抄」という書物に引用されている。そこにこのような文章がある。

 或る記に曰く、大内裏は秦ノ川勝の宅。橘は本ノ大夫ノ宅、南殿の前庭の橘樹、旧跡に依りてこれを殖う。[天暦御記に見ゆ]桜樹は本は是梅なり。桓武天皇遷都の日、殖ゑらるる所なり。

 平安京の大内裏は、もとは秦河勝の邸宅があったところに建てられたもので、紫宸殿の左近の桜と右近の橘も、もとは秦河勝の邸宅にあったものだという内容である。

 (『謎の渡来人 秦氏』水谷千秋 より)

 平安宮の置かれた葛野郡は秦氏の本拠地でしたので、河勝の邸宅跡に大内裏が出来たという話は決して荒唐無稽でなく、それなりに根拠のあるお話です。帝の日記に書かれたほどの伝承なので、個人的には信じたいところです。

 「右近の橘」は「左近の桜」と共に紫宸殿の前にあることで甚だ有名です。三月の雛祭りではこれのミニチュアが飾られますので、見たことが無いという人は少ないでしょう。多分日本で一番有名な橘なのではないでしょうか。河勝はこの「右近の橘」の元となった樹を植えていたというので、やはり橘と浅からぬ縁があるように思われます。

秦こころ

 こころちゃんの元ネタは面霊気です。面霊気とは鳥山石燕の『百器徒然袋』にある面の妖怪で、同書には「聖徳太子の御代に秦河勝が作った面がこの面霊気になったのであろうか」という趣旨のコメントが添えられています。この説明は明らかに『風姿花伝』などにある能楽(猿楽)の起源譚を踏まえたものになっています。

 上宮太子、天下すこしさはりありし時、神代仏在所の吉例に任て、六十六番の物まねを、彼河勝に仰せて、同六十六番の面を御作りにて、則河勝にあたへ給ふ。橘の内裏紫宸殿にてこれを勤す。天おさまり国しづかなり。上宮太子、末代のため、神楽なりしを、神といふ文字の片をのけて、つくりをのこし給。是日よみの申なるがゆへに、申楽と名づく。

 (『風姿花伝』全訳注 市村宏 より)

 天下に少し障りがあった時、聖徳太子が神代やインドの吉例に倣って、六十六番の物まねを河勝に命じた。同じく六十六番の面を御作りになって与え、河勝が橘の内裏でこれを勤めると天は治まり、国は静かになった。聖徳太子は後世の為、もとは神楽であったが神の字の偏を除き、申楽とした。これは暦が申だったからである。

 大体以上のような意味の文章です。

 ここでは面を作ったのは聖徳太子で、それを河勝に与えたことになっていますが、『百器徒然袋』では面も河勝自身が作ったことになっています。微妙に違いはありますが、どちらにしても太子と河勝が共に六十六番の舞を創出したという意味で同じでしょう。この時に河勝が舞った面がのちに付喪神化し、秦こころになったわけですから、こころちゃんにとって橘の内裏は記念すべき場所といえそうです。

 なお、この説話にある「橘の内裏」は先述の橘寺のことを指すと考えられますが、この地に内裏が営まれたという史実はないそうです。橘の内裏は能楽の伝承の中にのみある幻想の内裏です。

 芸能史研究家の服部幸雄は、このような説話が生まれた背景に、先に述べた「平安宮大内裏は元々河勝の邸宅だった」という話が影響したのではないかと推測しておられます。

エタニティラルバ

 エタニティラルバの元ネタは常世神です。常世神は橘の樹に生じるということが『日本書紀』に書かれています。

 この虫は、常に橘の樹に生(な)る。或いは曼椒(ほそき)に生る。その長さ四寸余り、その大きさ頭指(おおゆび)許りなり。その色緑にして黒点有り。そのかたち全(もは)ら養蚕に似れり。

(『謎の渡来人 秦氏』水谷千秋 より孫引き)

 常世神は『日本書紀』に短い記述があるだけでそれ以外に資料がほぼ無いのですが、わりと詳しく実態を記してくれているおかげで、その正体がアゲハチョウであったと知れます。アゲハチョウは橘を好む昆虫で、今も柑橘系の植物によく発生します。そして橘は常世国からやってきたと信じられた植物ですから、この樹につく蝶が常世神と信じられたことも納得できます。

 皇極天皇の頃、大生部多という人物がこの虫を常世神として祀ることを勧めました。その結果多くの人が虫を祀り、財産を捨てるなどして都鄙に甚大な被害が出た為、秦河勝がこれを憎み大生部多を打倒しました。隠岐奈の「そいつはアゲハチョウの妖精では無く常夜神なのかもしれんな。私に敵対する神の一つだ」というセリフはこれが元ネタです。

 細かいことをいえば、河勝が倒したのは大生部多であって常世神そのものではないようですが、事件を見ていた当時の人は「太秦は 神とも神と 聞こえくる 常世神を 打ち懲(きた)ますも」という歌を作ったそうなので、河勝が常世神を討伐したという認識でも間違いはなさそうです。

 敵対しあう隠岐奈と常世神ですが、両者共に橘に深い関わりがあるのは面白いように思います。

 ちなみに『日本書紀』ではこの事件があった頃、既に聖徳太子は没しています。そのため太子様と常世神は直接的な関係はありません。しかし、常世神は名前に常世とあり、橘にとりつく虫でした。これは常世国に渡って橘を持ち帰ったという田道間守の伝説を思い出させます。先に述べたように聖徳太子は橘寺において、田道間守と共に祀られています。田道間守を介することで太子様と常世神はつながりを見出すことも出来そうです。

まとめ

 豊聡耳神子、驪駒早鬼、摩多羅隠岐奈、秦こころ、エタニティラルバ。

 彼女たちは時代的にも関係的にも近いものがありますが、以上に書いてきたように、みな橘と縁がありました。「橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の木」という聖武天皇の和歌があるように、古くからその常緑が尊ばれ、橘は不老不死や永遠、若々しさなどの象徴とされてきました。

 東方においては道教の力で尸解仙となった豊聡耳神子。常に光り輝く、常若の君といった印象です。そのイメージは深い所で橘と通底するものがあるように思われます。太子様を中心に橘の縁は広がり、早鬼、隠岐奈、こころ、ラルバたちを結びつけるような気が個人的にはしています。

参考文献・webサイト

・『聖徳太子全集 第二巻 聖徳太子傳(上)』/藤原猶雪 編/臨川書店

・『謎の渡来人 秦氏』/水谷千秋/文春新書

・『風姿花伝』/市村宏 全訳注/講談社学術文庫

・『宿神論』/服部幸雄/岩波オンデマンドブックス

聖徳太子ゆかりの橘寺へようこそ!
聖徳太子のお生まれになったところ 西暦572年、当時欽明天皇の別宮で橘の宮のあったこの地に、その第4皇子橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)(後の31代用明天皇)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を父母とされて御誕生になったと...

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