建御名方神は何故封印されたのか 〜『逆説の日本史』を添えて〜

幻覚度 7

本稿では漫画版儚月抄において守矢神社の注連縄に封印されていると言及されている建御名方神がそのような状態となったのかについて井沢元彦『逆説の日本史』を引用しながら理由を考えていきたい。

 

※本稿では八坂神奈子は八坂刀売神とし建御名方神とは別人であるという自説を採用する。

 

逆説の日本史における解釈

 

さて井沢の説をもとにして何故建御名方神が封印されたのかを説明するには事前知識や説明が必要だ。どうしても説明を挟まなければならないので結論だけを見たい方はそちらを先に閲覧することを推奨する。

 

従来の説では大国主の抵抗の末、天照大御神から使者として派遣された武御雷側が宮殿を作るようにとの条件を提示した結果、大国主は受け入れ「長に隠れた」。つまるところ死んだのである。

 

大国主は黄泉の国へ行き、こちらの世界では出雲大社で祀られ縁結びの神様とされた。

 

さて、ここで一つの事実(渡里ニナ的だが)に注目しておきたい。

神話や歴史というのは大抵、勝者が自分の行為を正当化するために誇張や改ざんが行われることはよくある話だ。

これはあくまでもこちらの世界における話だ。東方世界における神話がどのようなものなのかは文献を辿り考察することしかできない。

 

倭、わの精神。話し合いで決めること。

しかし井沢は実際の国譲りもわの原則に基づいて平和裏に行われたのだろうか?と疑問を投げかける。

 

まず大国主はいわばサタンのようなものだと井沢は説明する。要は反逆者である。何故サタンが国教の神殿よりも国王の宮殿よりも大きなものだったのだろうか。

 

そして出雲大社において大国主は参拝者に対しそっぽを向いている。

要は参拝者は御客座五神とよばれる客分の神に拝礼を行うのだ。

 

国造である千家尊統氏は「この霊魂の故郷としての常世の国に相対せられているのだといってはよいのではあるまいか」と述べている。

大国主は西を見る。日本海。国譲りの談判が行われたのだろうか稲佐の浜。

 

ここで井沢は大国主は海の近くで死んだと述べる。そこでどのような死であったのか?と続ける

 

井沢はここで衝撃的な説を述べる。それは抗戦するも降服し裁判の末処刑されたか、海中に身を投げて自殺したのではないかという説てある。

 

つまり処刑されたにせよ自殺したにせよ、その場所は海か浜辺であり大国主はその方向を向いているということになる。

 

儚月抄において、大国主は天津神(=月の民)によって出雲大社の過度に大きな注連縄に『封印』されたと紫は述べた。ここで差異が生じる。

 

井沢の説では処刑or自殺説を取るが東方では封印説を取っている。

 

話を続けよう。

井沢は日本一大きな神殿を建てる必要があった理由。それは大国主の祟りを恐れたからだと続ける。

大和朝廷はあくまでもわの精神による話し合いが行われたとの神話を作り上げた。

 

しかし国を奪われた大国主は激しい怨念があったはずだ。

 

井沢は出雲大社を霊魂の牢獄とする。大国主の霊はそこに閉じ込められており、ヤマト家の神々によって監視されている、と。

 

天津神、月の民によって封印された大国主。それを監視する天津神、いや月の民たち。そして過度な注連縄。フェムト(以下略)。

 

ZUNがどこまで井沢の説を儚月抄に盛り込んだのかは想像することしかできないが限りなく影響を受けていると言ってよいだろう。

 

天照大御神、つまり天津神は怨念を持った大国主の存在を怖がるだろう。その怨念に対する恐れが出雲大社というわけだ。

 

では何故大国主の息子の一人である建御名方神まで封印されることになったのか。次章で述べる。

ここからはほぼ結論となる。

 

建御名方神はなぜ封印されたのか

 

長くなってしまったのでシンプルに行くことにしよう。大国主の息子であり反逆者であり守矢神社の建前の神であった建御名方神。何故彼があれほどの太い注連縄で封印されることになったのか。

 

それは大国主の祟りを恐れた為だ。

本当に単純な思考で申し訳ないのだがこの井沢による説を採用するならこうなってしまうのだ。

 

怨念を持って死んでいった父、天津神からは同じように警戒されても仕方ないだろう。

 

これで終わってしまうと、ただ息子というだけで封印されてしまった哀れな神と思う読者もいるだろう。

そこでもう一つの説を紹介したい。

 

それは諏訪氏(神氏)の大祝の在位中は諏訪郡外に出ることができない話の比喩である。

 

諏訪氏は建御名方神あるいはその神に選定された童男に始まると言われている。そうなると諏訪郡外に出てはならないという禁忌、そして注連縄に封印されたという話が繋がるのではないだろうか。

 

もしくは、諏訪氏がこのような禁忌をわざわざ作った理由が建御名方神が封印されたからという全てがひっくり返るという衝撃的な事実(あくまでも東方世界において)

 

結論

 

大国主は穏健な国譲りの結果死んだのではない。裁判の末の処刑、もしくは自殺という怨念を持ちながら死に出雲大社に封印された

建御名方神は抵抗したということだけではなく怨念を持った父親の影響で同じように封印された。

諏訪氏の禁忌の比喩として封印という描写が行われた。

 

まとめると井沢元彦の説を採用したという話になる。

 

参考文献

東方儚月抄 ~ Silent Sinner in Blue.

逆説の日本史1 古代黎明編

 

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