あくまでも草稿という形になる。
……こんなに笑っている子供を最後に見たのは一体いつだろう。(夢違科学世紀)
子どもに笑顔が見られなくなった社会。秘封倶楽部のこれをディストピアのそれを観る人が大半だろう。しかし私はこれを様々な人物の理論を用いて考えたい。
これをマックス・ウェーバー的に言うと脱魔術化、そして合理化の極致であり官僚化の末にたどり着いた社会である。そこに感情というものはなく規則と権限に基づいて運営されていく。
さらにはエルンスト・ユンガー的に言えば個人が個人として認識されない総力戦的な時代となる。ここでの総力戦とは戦争のそれではない。戦時下の動員体制が人間の一生にまで浸透した状態である。子供は将来の人的資源として動員され、成人は労働と消費、老人は社会保障や医療等といったように各段階で分割された社会的な役割が与えられるのだ。
あれだけ蛇が増えて餌は何を食べているんでしょうねぇ……。奈良県の寿命統制がピカイチ進んでいるのは関係無いですよねぇ……。(旧約酒場)
そして寿命統制の核心は死の強制だけではない。残酷な言い方をするならば人は社会的に有用である限りにおいて生きることを許される…となる。若干飛躍した感はあるが。
笑顔というのは余剰活動から生まれる。要は笑顔が生まれる余白が失われたのだ。
これを単なるファシズムとすることはナンセンスだ。ファシズムの特徴であるコーポラティズムは見られない。まず古典的ファシズムに見られがちな指導者原理、単一政党による支配、大衆運動、露骨な暴力的動員などは明示されていない。そもそもとして近代社会においては選挙制度を導入したネオ・ファシズムでは無い限り実現は不可能に近い。
いち早く少子化が進み人口が減少に転じた日本は、人口減少によるデメリットを上手く回避し、選ばれた人間による勤勉で精神的に豊かな国民性を取り戻すことに成功した。(大空魔術)
しかし日本人の民族的な再生神話というのは存在する。そこが気がかりであり唯一のファシズム的なポイントである。
その中で蓮メリは図らずも加速主義的な社会秩序の崩壊につながる事をしているのだ。本人たちはそんなつもりはないにしても……。

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