敢えてハルトマンもフロイトも使わない古明地こいし考察草稿

幻覚度 7

はじめに

こいしの操る「無意識」がフロイトの言う無意識だとしたら、二次創作で淫ピ顔負けのR18存在になっていたのかもしれない(小並感)。もうそういう二次もあったりするのだろうか?…失敬。

ある日、東洋よりのゲームを西洋哲学で考察するような天邪鬼な私は考えた。

「どうせならハルトマンやフロイト以外で古明地こいしの考察したいな」と。

そしてこの反骨精神を少し実践してみた結果、以外と納得感のある内容が出来たので、その草稿をここに投稿する。

考察本文

ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリで考察する古明地こいし

というわけで、遊牧民的こいし概念を提唱したい。こいしとさとりは、上の二人の哲学者(あるいは哲学者と精神分析家)の思想を参考にしたフシが少なからずあると思うのだ。

その根拠はまず、こいしとさとりの生き方の対比である。

さとりはその能力により地霊殿に篭らざるを得なくなった。反対にこいしは覚としての能力を封じて、自由に外に出られるようになった。

これはまるでドゥルーズとガタリの言うパラノイア(偏執症)スキゾフレニア(分裂症)の対比ではないか。

パラノイアとは、アイデンティティを維持しようとして、却って色々なしがらみに縛られて身動きが取れなくなってしまう事である。

反対にスキゾフレニアとは、アイデンティティを持たないことであらゆる価値を受け入れるようになり、時間を欲望のまま自由に過ごすようになる事だ。

片や覚妖怪というアイデンティティに拘りパラノイアに陥った末、行動を縛られるようになってしまったさとり。片や覚妖怪というアイデンティティを捨て、スキゾフレニアになった故に地上地底を自由に往来できるようになったこいし。

この構図が思い浮かんだのである。

因みにかの有名な音楽サークル、DiGiTAL WiNGの曲にParanoiaというものがあるが、この説を参考にすれば、あれはハルトマン原曲ではなく少女さとり原曲で作るべきなんじゃないかと思ったり思わなかったりする。

ところでParanoiaはいい曲だぞ。皆も聴きなさい(布教)。

そして2つ目の根拠は、ドゥルーズとガタリの提唱するノマドと、こいしの浮浪癖の類似である。

ノマドとは、スキゾをさらに発展させた生き方だ。とある本では「引っ越し魔に近い」と言われている。

決まった拠点を持たず心のままに各地を転々とし、多様な価値観を横断する生き方である。

心のままに各地を浮浪するこいしとどこか似ている部分がないだろうか。価値観のくだりは置いておくとして。そこは置いておくとして。

因みに求聞口授で白蓮がこいしのことを「悟りに近い」と言っていたが(覚をやめたのに「悟り」に近いとはなんという皮肉だろうか)、これはこいしの状態が空の境地と被っているからではないか。

私の知り合いの禅僧は、空の心を「拘らず、囚われず、偏らない心」だと言った。そしてノマドも自己に拘らない状態の事を言う。どこか似ている感じはしないだろうか。

ここで白蓮がこいしに対して悟りの鱗片を感じたのかもしれない。

まとめ

古明地こいしは、ドゥルーズとガタリの思想を少なからず参考にした部分があるのではないかという事だ。

もしいつか2人の著書、「アンチ・オイディプス」や「千のプラトー」などを読む機会があれば、この説をさらに深めていきたいと思う。

どうでもいいだろうが、私はプラトーが一瞬プラトンに見えて困惑した。

参考文献(敬称略)

田中正人「哲学用語図鑑 完全版」

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