はじめに
いきなりどうでもいいことになりますが、私自身が初めて本格的にプレイしてクリアした原作は花映塚でありました。(確か触れたのは永夜抄が最初だったものの、ちゃんと永夜返しを終えられたのはそれから大分後であり……)
そのため、初の考察投稿に関しては花映塚についてやろうと思った次第であります。
浅学の身ですので頭が足りない部分などに関しては冷ややかに見ていただければ幸いです。
なお、時間がもったいないという場合は「まとめ」だけ読んでいただければ結論が分かります。
1.六十年周期の大結界異変
原因について
まず、原因となるのは60年の周期の霊的な緩みに加えて、外の世界の死者の大量発生であることは言わずとも知れていると思います。これにあたり、十干十二支を用いて該当する年をそれぞれ60年の年を乙酉年、その前年を甲申年として表現します。なお、作中にて十干十二支での60年の循環は、人間が後からあてたものとして本質は違うと閻魔様が否定されていましたが、私は人間なので使わせてもらいます。
長く生きる妖怪たちがその年かという程度で済んでいるということは一度や二度ではなく、幾度も繰り返されていることであることを意味するかと思われます。
60年目の周期
花映塚発売とおそらく作中のときです。
乙酉年と甲申年はそれぞれ、2005年と2004年となります。
乙酉年にはハリケーンカトリーナや、パキスタン地震などの災害にて計10万人近くの人々が亡くなっています。
また、甲申年にはスマトラ島沖地震にて約23万人の人々が犠牲になるなど、災害に起因した死者が多く出ているのが特徴と言えます。
作中においても自然災害をひとつの要因として挙げられており、メタ的に言えばおそらくはスマトラ沖の地震への追悼もあったのではないかと思われます。
0年目の周期
昭和20年、1945年。言うまでもなく第二次世界大戦終戦の年です。
また、乙酉年と甲申年にそれぞれ南海トラフ地震も発生しています。
-60年目の周期
乙酉年と甲申年はそれぞれ1885年と1884年。
日本においては大きな出来事は発生しているとは言い難いですが、世界史で見るとやはり大量の死者が発生しています。
これらの年はマフディーの反乱のただなかにあり、スーダンにおいて激しい戦争が起きていました。結果的に数百万の人々が犠牲となっています。
また、1885年はその所業で悪名高いコンゴ自由国の建国された年でもあります。詳細はあえて触れません。
-120年目の周期
乙酉年と甲申年はそれぞれ1825年と1824年
これらの年も植民地戦争関連が多々あります。
1825年は100万人以上の死者が出たジャワ戦争が始まった年です。
また、数十万の死者が出たイスパノ・アメリカ独立戦争の年々でもあります。
さて、ここにきて今更なのですが、人類というのは大抵いつも戦争を行っており、死者が留まることはありません。
戦争や災害など、特に多くの死者が出る事象というのがたびたび存在することは間違いありませんが、それ以上に60年の周期というのが重要となるのでしょう。
2.幻想郷の死神あれこれ
小野塚小町はいつからサボるようになったのか?
「あ~あ。小町を最初に見たときはもっと真面目な奴だと思ってたのに」
「小町ったら、もっと真面目な娘だと思ってたのに……」
小町の上司からのありがたいお言葉です。
つまり最初は猫を被っていたことが分かります。
では彼女はいつからサボるようになったのでしょうか?
小町なのですぐにサボるようになったと言われると何も反論できませんが、あえて変に考えてみます。
まず、いつごろから仕事を始めたかを考える必要があります。
「判った。仕事の邪魔をすると言うのなら。私のタイタニックでお前さんを運んでやる。半額サービスだ」
この言葉からタイタニック号を知っていることが分かります。しかし霊夢も「さあ、大型客船で幽霊を彼岸まで運びなさいよ」と言っているため別にこれは影響しませんね。すみません。
結論から言えば「いつごろから」かは分かりません。しかし、時系列の順序は以下の通りであると分かります。
十王体制⇒閻魔増員(映姫就業)⇒小町就業
そもそもサボりとはなんぞや
そもそもどうサボっているかも考えなければなりません。
一応は彼女は職務や上司へのリスペクトそのものはあるようです。一方でサボることが共通言語のようになっています。
こと花映塚において確認できるのは遅延行為と言えるでしょうか。仕事そのものを止めるほどではなく、おしゃべりにかまけていたりする方向性のようです。
一方では自身の仕事のキャパシティなどを考慮する描写もあるので、思った以上に真面目な部分があるのかもしれません。
それに上司からはクビにするぞと脅されてはいるものの、実際そうなる様子はなく、むしろいじり倒すぐらい気に入られているまでありそうな描写がエンディングにあることを考えると(具体的には載せられませんが)、サボって職場を破壊するタイプではなく、異変時においてマイペースが祟ったという側面が強いのではないでしょうか。
3.幻想郷の閻魔あれこれ
閻魔集団の増員はいつか?
幻想郷の閻魔の四季映姫は元は地蔵であり、十王による審判の体制から増員された際に閻魔となったことが各原作にて語られています。しかし、それはいつのことでしょうか。
そもそも、閻魔を地蔵とするのは本地垂迹説に基づくものであり、またその中でも『地蔵十王経』という経典の成立がその契機と言えます。
要するに、シンクレティズムの中でも独自の発展の中で生まれたものです。
この前提がなければそもそも「地蔵を閻魔にする」という設定の行為が成立しません。
ではその『地蔵十王経』の成立はいつかと言われると、これも明確ではありません。
『地蔵十王経』は成立を仮託した「偽書」とされることもあり(「偽書」はあくまで歴史用語であり、その後の信仰の否定ではありません)、そのままの由緒をとる立場からは唐末成立、「偽書」とする立場からは11世紀から12世紀にかけての成立と言われています。要するに300年ほどのぶれがあります。
であれば、次に考えるべきは「地獄が人手不足」になる事態についてです。
古代において特に犠牲者が多かったとされる古代最大の災害の一つに、526年に東ローマ帝国で起きたアンティオキア地震があります。
しかし、日本への仏教公伝以前の出来事であり、これが契機というには難しいでしょう。
次に考えるべきは戦乱でしょう。著名な出来事に中国の三国時代がよく死者が多かったと言われることが多いです。
しかし、ここでの「死者」は混乱と王朝の崩壊に伴う戸籍の喪失数であり、死亡確認数ではないことに留意しなければなりません。むしろ、その後の五胡十六国や五代十国といった時代の犠牲者の方が多い可能性が高いと思われます。
さて、これらを整理して検討を行うにあたり、まずは『地蔵十王経』が「偽書」であるか否かにおいて分けなければなりません。
まず、「偽書」ではないとする立場で考えた場合、真っ先に要因となるのは五代十国時代の動乱でしょう。
中国の華北を中心に相当数の死者が出たことが想定され、またこれまでの時代より人口も増加していることから、規模が増していた可能性も考えられます。この場合だと10世紀ごろに四季映姫は閻魔となったと言えます。
次に、「偽書」であったとする場合。これは「死者数の増加」の原因について2つに分けて考えます。
まずは日本国内の死者数を指していた場合です。すなわち、「偽書」であった場合、より日本の独自性が強調されることがこの検討の理由です。
これにおいては、やはり治承・寿永の内乱(いわゆる源平合戦)が挙げられるかと思います。
正確な死者数は不明ですが、ただでさえ飢饉が起きている最中に類を見ない全国規模の戦乱が起こったことは、「死者数の増加」が国内のことを指すのであれば未曾有のことであったとも言えるでしょう。
この場合、四季映姫が閻魔になったのはおよそ12世紀の第4四半期と言えます。また余談ですが、同時代人に西行の娘がいます。
そしてもう一つ、世界全体での死者数を指していた場合です。花映塚本編のときの世界情勢を考えればこちらの可能性も十分高いです。
ここで避けて通れないのは、モンゴル帝国やティムールを含めたその後継者たちであると言えます。詳細は割愛します。
この場合、四季映姫が閻魔になったのはおよそ13世紀から14世紀であると言えます。
ここまで考えましたが、やはり2つ目の治承・寿永の内乱が一つの契機であった可能性が十分高いかとも思います。と言いますのも、やはり同時代人に西行の娘がいることが大きいかとも考えられるためです。西行の娘は1199年に没しますが、治承・寿永の内乱を契機に閻魔が大量登用され、是非曲直庁が形作られていく中で、内乱終結後14年後に没した西行の娘(ただし生前の記憶なし)が冥界の管理委託された、と考えると個人的には自然に思えます。
可能な限り遅く見積もったとしても、やはりモンゴルの征服活動が下限となるかと思われますので、四季映姫の閻魔歴は最低でも700年、普通に見積もって800~900年ほどと言えるでしょう。そして先述の通り、おそらくは小町はそれ以降に働き始めているので、三途の川で働くことを前提として生まれた存在であるならば1000歳以上の射命丸などよりはまだ若いと言えるかもしれません。
四季様の実年齢は?
仮に四季映姫が治承・寿永の内乱やモンゴル帝国勃興などを機に閻魔となったと仮定した場合においても、それ以前の地蔵時代としての下積みがあるかと思われます。
例えば付喪神は100年や99年経てば物に霊魂が宿り神になると言われていました。
その場合であれば成美のようなゴーレム的な地蔵となることができるでしょう(成美ちゃんを悪く言うわけじゃないよ!)。
一方で、信仰を集め神性を帯びていたことがやや示唆されているため、やはりより長い年月信仰の対象であったと考えるのが自然かと思います。
ですが、古代日本となると、農村部の人口も乏しく、後に幻想郷となる地域に位置していたと思われる彼女が信仰を大いに集めるというのは相当な年月を要したかとも思われます。
そこで一つのキーパーソンとなりえる人物がいます。それは皆さんご存じの行基大僧正です。
彼自身は畿内を中心に活動を行った人物でありますが、東国にも多くの伝承を残しています。
また、地蔵菩薩像を作ったという伝説も多く残っている人物です。
仮に畿内を中心に行基が作っていた地蔵菩薩像の一つが東国にある後の幻想郷となる地域に運び込まれたとすれば、山間部の小さな農村地域ともいえる当該地においても信仰を集めることができる筋道が立ちます。
逆に、なぜ小さい地域であるはずの幻想郷に、単体の管轄区が是非曲直庁によって設けられているかという点も、その信仰による区分という点で見ればあまり問題にならないかとも思われます。
よって私的に考えるのであれば四季映姫の経歴は次のようになります。
7世紀~8世紀に畿内にて地蔵菩薩像となる⇒その後いずれかのタイミングで後の幻想郷に移動し、同地で信仰を集める⇒1185年前後に閻魔になる⇒小町を部下にする⇒2005年に霊夢や魔理沙らと関わる
4.まとめ
今回適当ともいえる考察を行った結果は次の通りです
・60年周期の異変は死者数よりもむしろ結界の異常が原因
・小野塚小町はマイペースなサボり魔癖で、むしろキャパオーバーで職場を破壊しないタイプ
・四季映姫の閻魔歴は700~900年ほど、実年齢は1300歳以上ある可能性あり
おわりに
初投稿なのに適当なこと言ってすみませんでした。お酒を飲みながら書きました。ごめんなさい。
彼岸組には個人的に思い入れがあるので初投稿の題材にさせてもらいました。推している方ごめんなさい。
実はこうではないのかというご意見や、苦情など受け付けていますので遠慮なく申し付けていただければと思います。
あと文章をもっとうまく書ければと思う次第です。酔った勢いで推敲もしていないのでごめんなさい……
なお、歴史的出来事や用語に関しては『デジタル大辞泉』や『日本国語大辞典』、『大漢和辞典』、『国史大辞典』などを用いています。また、前提知識としては義江彰夫氏や本郷真紹氏の書籍や筆者のまた聞きや直接のインタビューを用いていますが、どれがどれか註を着けるのがめんどくさくなりました。ごめんなさい。

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