ショート考察 茨木華扇の腕

幻覚度6

はじめに

「一つの考察として書くのには短すぎるけどなんか頭の中に放っておくのもそれはそれで勿体無いなぁ」と思った考察をショート考察として上げる事とする。

これは「というか考察なんて別に長くてしっかりしてなきゃいけないことはないんだぞ」と意見して考察活動を活発化させようとするためのものでもある。

ところで淫ピってなんじゃい!元ネタでも美女に化けてハニトラ(?)仕掛けた事ぐらいしかピンクエピソード無いんだぞ!

鬼としての華扇はなぜ腕に封印されたのか

華扇の腕になぜ鬼としての華扇が封じられたのか考えてみた。

「斬られた腕」で私が最初に思い浮かべるのは、慧可断臂の説話だ。

この話の概要はこうだ。


その昔、中国が北宋時代の時、中国に菩提達摩禅師がやってきた。

そこに色々あって、慧可という人物が弟子入りをしにやってきた。

しかし達摩大師は頑なに弟子入りを認めず、慧可が腕(臂)を自ら切断するのを見てようやく弟子入りを認めた。


断臂とはなんとまぁ命懸けな……

この説話の解釈として、曹洞宗は概ね「腕というものは「今まで積み上げてきたもの」の象徴であり、それを断ち切る事はそれまでの自己からの脱却を意味する」というものを示している。私もこの解釈に賛成である。

「手に職をつける」という言葉がある事からも、手は積み上げてきたものの象徴というイメージがあることが読み取れるからだ。

余計な話だが、慧可禅師はこの時既にシャンクス状態だったらしいのでやはりこの話は後世の創作らしい。もともと腕が無かったというのもそれはそれで怖い。

さて、この説話の解釈から行くに、華扇の腕とはまさに「それまでの華扇」、つまりは「鬼としての華扇」の象徴となるだろう。

だからこそ腕を斬られた時、鬼としての邪気が腕に寄せられ、後にはいわゆる「まっさらな華扇」が残ったのではないか。

参考(敬称略)

曹洞宗宗務庁「仏教概論」

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幻想郷学講談所

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