はじめに
「そういや萃香の密と疎を操る程度の能力の出所ってどこだ?」これが私が伊吹萃香を考え始めたきっかけである。要するに、「萃香はこんな能力にしよう」というアイデアが神主のどこから湧いて出てきたのか分からないといことだ。
伊吹萃香の元ネタは酒呑童子でほぼ確定(酔蝶華でも「瓢箪枕の酒天童子」と二つ名がついている)だろう。しかし元の酒呑童子といえば源頼光に下劣な方法(酒呑童子談)で討伐された記録があるくらいで、萃香の能力につながりそうな記述は見当たらない。
そこで、この考察では萃香の能力の出所を探っていくとともに、伊吹萃香の数々の発言や行動に迫っていきたいと思う。
考察本文
萃香の能力の出処考察
中世までの「鬼」と酒呑童子
鬼のイメージが今の鬼と完全に被さったのは言うまでもないかもしれないが近代の話であり、それまでは見た目の意味でも能力の意味でも鬼というのは非常に多様であった。
古代には死者の霊が鬼となって人を呪って病気にしたり、疫病を司る疫鬼がいたりした。ちなみに後者は疫神とも呼ばれる事もあるれっきとした神である。
また、身体に異常のある(手足が多かったり、頭が多かったり、生まれつき歯が生えていたり)赤子が「鬼子」として捨てられたり、実際の存在としての鬼(この種類の鬼を以後、実鬼と呼ぶ)がやって来たという話もある。実に多種多様だ。
中世になっても鬼子や実鬼の扱いは変わらなかったが、上二つ、特に疫鬼を取り巻く状況が少し変わった。
まず古代では病気に罹った時にはまず原因の特定がされた。そして原因が呪いであるならば呪っている鬼(霊)を僧侶が調伏し、疫鬼(疫神)であるならば基本的に陰陽師がその神を鎮める事で病気を治していた。
疫鬼はあくまでも神であるため、調伏する事は無礼となり却って疫鬼を怒らせて病状を進める事となってしまうと考えられたらしい。
ところが中世になると一変、疫鬼は霊と同じく僧侶に調伏されるようになった。更に中世の後期になると鬼は物語の存在として扱われる事が多くなり、それに伴って「恐ろしいだけでなく滑稽な存在」として認識される事も多くなった。
そんな中で生まれたのが酒呑童子の物語である。
酒呑童子の物語の内容は重要では無いのでここでは割愛し、酒呑童子が生まれた背景に注目する。
実際の殺害事件や盗賊征伐がモデルとする説がある中で、歴史学者の高橋昌明氏は疱瘡との関連を指摘して酒呑童子=疫鬼とする説を唱えている。
これを参考に、伊吹萃香は疫鬼であるというところからこの能力のアイデアが湧いてきたのではないかと仮定した。
伊吹萃香=疫鬼としたときの萃香の能力考察
もし萃香の能力が疫鬼由来であるとしたら、疫鬼の能力も密と疎で説明できるはずだ。
疫鬼のデフォルト能力は主に
- 普通には見えない
- 狙った人を病にする
の2つである。
前者は萃香が霧となって幻想郷に広がった所にその片鱗が認められる。
ちなみに私はこの伊吹萃香に対してスワンプマン的なアレはないのかと思ったり思わなかったりする。
後者について、疫鬼が流行らせる病が疱瘡や天然痘、瘧(おこり。いわゆるマラリア)などウィルス性や細菌性のものが多い事に注目し、疫鬼は細菌やウィルスを狙った人に萃める事で病気を起こさせていたのではと考察した。
そうでなくても、霧と瘴気を結びつけて考える事も十分に可能であろう。
よって疫鬼を密と疎で説明できたので、伊吹萃香の能力は疫鬼由来の物であるとし、また伊吹萃香は疫鬼であるとする。
伊吹萃香=疫鬼として見た萃香の諸行
ここからは萃香=疫鬼として萃香の諸行を捉え直そうと思う。
木枯らしごっこ
まずは茨歌仙で命蓮寺組を襲った事について。
伊吹萃香は「新参者なのに挨拶が無い」として命蓮寺組を「木枯らしごっこ」で襲うという害悪行為挨拶回りをしたわけだが、よく考えてみれば守矢神社組や神霊廟組などもいる中で命蓮寺組だけを「挨拶が無い」として襲うのは些か不自然ではないだろうか。特に守矢神社は妖怪の山に社を構えており、妖怪の山OGの萃香からしたら普通は真っ先に挨拶が欲しいところだろう。でもよく考えたら神にはどうやって「挨拶」するんだろう。
なので、命蓮寺組を襲った理由には挨拶が無かった事以外の私怨があるのではないかと考えた。
ここで参考になるのが上の疫鬼の歴史である。上に戻りたくない人のためにここにまとめておくと、古代、疫鬼は疫神とも呼ばれる一端の神でありこれを僧侶が調伏する事は神への無礼にあたった。なので人が疫鬼による病に罹った時は主に陰陽師による疫神の鎮静化や祀りが行われた。ちなみに僧侶が調伏したのは悪霊としての、どちらかというと中国での用法に近い鬼である。
しかし中世では一変、疫鬼にも僧侶による調伏が行われるようになり、疫鬼の扱いはモノノケと同等となった。
この歴史があったからこそ、萃香はその昔僧侶に疫鬼を神からモノノケに堕とされた腹いせとして命蓮寺を襲ったのではないだろうか。
こう書くと「萃香ってそんな古代から生きてたんですか?」と言われるかもしれないが、元の酒呑童子は八岐大蛇の実子であるから古代から生きていても不自然ではないと思う。
また、逆に守矢神社に「挨拶」をしなかった理由を考えてみた。
全員が神というのもあるだろうが、とりわけ注目すべきは諏訪子ではないかと個人的に思う。
諏訪子のモチーフとしてカエルがあると思うが、実はカエルはある意味では鬼の天敵なのである。
というのも中国には「普通は見えない鬼を見えるようにする術」があり、その術の媒体として使われるのがカエルなのだ。
酔蝶華で魔理沙は「鬼の力の本質は隠れる事にある」と発言していた。これを踏まえると上の術は鬼の力本質である「隠れる事」を阻害する術と言えるのではないだろうか。
その意味では萃香は守矢神社、というよりその祭神である諏訪子と相性が悪い。だからこそ守矢神社に挨拶しに行かなかったのではないだろうか。
神霊廟組は酔蝶華で色々あったからノーカン。
伊吹萃香が節分を重視するわけ
伊吹萃香は茨歌仙や酔蝶華などで節分が正しく行われる事にこだわっている節がある。炒り豆は痛いだろうに殊勝な事だ。
ところで節分にも元ネタがある事をご存知だろうか。これが追儺と呼ばれるものなのだが、この追儺というのは元々は疫鬼を祓う行事なのだ。
古代はそれこそ皆が疫病を恐れてマジメに(?)追儺をしたものだが、摂関期、そして中世になると少し事情が変わってくる。
蜻蛉日記では追儺の時に子供の笑い声というマジメな儀式に相応しくなさそうなものが聞こえる事が書いてあったり、栄花物語でも幼い一条天皇が振鼓(追儺の時に子供が鳴らして回るデンデン太鼓のようなもの)に喜び、周りの上流貴族の子息も面白がっている様子が描かれている。人は必ずしも鬼を恐れなくなったのだ。
先ほどの通り萃香が古代から生きているとするならこの追儺の真剣度の変遷も見てきたはずである。
しかもその後の中世からは鬼は段々とファンタジーの住人になってきた。つまり鬼への恐怖が薄れてきたのである。
この「儀式の形骸化→畏怖の消失」という流れを知っているからこそ元となる儀式、節分を正しく行う事に彼女なりの拘りがあるのではないか。
まとめ
結論、伊吹萃香を疫鬼とすると萃香の能力や行動の説明に都合がいいという事だ。そう、都合がいい。違う可能性は全然ある。
これを書いている内に萃香=疫鬼関連の考察案がまた別に一つ思い浮かんだので別の機会に書いてみようと思う。

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