駒草山如について、初登場した虹龍洞含め、書籍でも度々意味深な描写がある事から、何か特別な存在であるように察する。
そんな山如について興味を持っている中、またしても現在読んでいる柳田國男の著書にて気になる話が記されていたので、少しばかり共有させていただきたい。
化粧坂の故跡
柳田國男「妹の力」に、化粧坂についての様々な地域での説話をいくつか挙げている。
化粧坂は全国に同じ名で地域に根差し、形は違えどほぼ類例として美しい伝説を伴っている。
・サヨ姫が長い旅の末に、身の終わりとして最後の昼餉を行い、化粧坂にて化粧をした。
・化粧坂には遊女が住んでいた。
・粧(けわい)の井、小松女院という貴女十二人の侍婢をつれ、笛の名手少納言正高のあとを慕って都より下り、身を投げて後神に祀られる。
・十羅刹女(じゅうらせつにょ)日ごとに島に渡り来ては、粉黛(ふんたい)を施したまう。
・鬼賊が化粧池の水で化粧をして婦人の姿をなし人を害した。
柳田はこの「化粧坂」に関する口碑の共通点として、『少なくとも信仰に関係し、かつ歌舞に関係していた事を暗示する』としている。
この信仰、歌舞双方に参与していたのが「上臈(じょうろう)」という。
化粧と泉、芝居の関係の話もいくつか例を挙げていた。
炎暑にも涸れない清水のある洞を「女郎洞」と名付けた場所があるという。
また、山伏と化粧の関係についても例を挙げている。
金剛山に化粧の宿という峰入山伏の宿泊地があり秘密勤行の道場であって常人の参入は禁止されているが、神祭の為に美少人を選抜して山入の一行に加えていたとされる。
歌舞に関することから、摩多羅神と少しばかり繋がる話もある。
昔正月の摩多羅神の祭の日に、田楽をする者の楽屋がある故にその坂を「粧坂」と名付けたという。
神楽や祭事に関する場所に化粧という名が付けられ、全国にある理由には、人身御供のためにしばしば女性が買われていたから、という背景もあるようである。
山伏が、宿とりかねて歌をよむ
何とよむ、何とよむ
茶屋の前なるけわい坂
松にさくらは散りかかる
松より桜はおおもしろ云々
終わりに
無論、この話だけで山如の背景を決めつけるわけにはいかないが、新たな見方ができる、という点において価値があると思っている。
神主が山姥と分けて山女郎という種族を出した事に、少しばかり意味を見出せるように思う。
また、七夕坂夢幻能に山如の曲も収録されている事に新たな意味を見出せそうである。
因みに、化粧坂の説話の例として挙げたサヨ姫の話は、若狭の八尾比丘尼の話(≒わかさぎ姫)とも繋がるものがあると感じた。
神楽と関係あるならば、歩き巫女より神社巫女、つまり博麗の巫女もしくは宮出口家と繋がりがあるのかもしれない。
そう言えば、水煙草の話が文花帖にあったけど…。

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