咲夜の速度は無限大
咲夜さんは時を止めて移動します。
このとき、相手の視点からすると、経過した時間はゼロですが、咲夜さんは一定の距離を移動しています。
これを素朴に速度に変換してみましょう。
移動距離を Δx = d、経過した時間を Δt と表します。速度 v は
v = Δx /Δt = d /0
しかし、0で数を割ることはできません。ただ、普通の運動では Δt を小さくとれば移動距離 Δx もつられて小さくなるところ、咲夜さんの場合は Δt をいくら小さくしても移動距離は d のまま残ります。つまり分母だけが0に向かう割り算です。例えば1を0.1で割ると10、0.01で割ると100になります。割る数を小さくするほど、値はいくらでも大きくなります。すると
v = Δx /Δt = ∞
速度は無限大とみなせます。咲夜さんはものすごい速さで動いています。
ところで、先人たちの実験により、この宇宙では物体が到達できる速度には上限があること、しかもそれが有限の値(光速 c ≒ 秒速30万km)であることが分かっています。これは、「光の速さはどの慣性系から測っても同じ値になる」という光速度不変の原理を出発点とする特殊相対性理論の帰結です。
さらに、特殊相対性理論によると、質量を持つ物体はどれだけ加速しても光速に到達できません。
つまり咲夜さんは、絶対に超えられない(少なくとも現在の観測結果からは)速度を、無限大というぶっちぎりのスコアで超えていることになります。もし幻想郷が我々と同じような物理法則で動いているのならば、何かおかしいことが起きています。
何がどうおかしいのかを正確に述べるために、特殊相対性理論の道具立てを確認します。
特殊相対性理論って?(読み飛ばして大丈夫です)
特殊相対性理論は1905年頃にアインシュタインによって確立された物理の理論です。
特殊相対性理論の主張は以下の2つです。
(1) どの慣性系でも運動方程式は一致する
(2) どの慣性系から見ても光速度は不変
慣性系とは一定の速さで動く観測者(座標系)のことです。例えば揺れずに走る新幹線や車は慣性系です。また、地面に立つ我々も静止しているので慣性系にいます(地球は動いてるけど……)。一方で、急停止する車などは慣性系とは言いません。
(1)は電車の中を思い浮かべてください。一定の速度で走る電車の中で物を落としても、後ろに吹っ飛んだりせず、自分の足元に物は落ちます。部屋にいる僕たちが物を落としたときも同じように、足元に物は落ちます。
つまり、速度で動いても、物理法則は同じ、ということです。
(2)は一見意味不明な主張です。速度100 km/h の電車に乗って、時速10 km/hでダッシュしたとします。このとき、電車の外からあなたを見ると、速度は110 km/hで走っているように見えるはずです。では、この電車から速度30万km/s の光を前方に発射したとします。これを外から見るとどうなるのでしょう?
(2)の事実によると、このときも光の速度は30万km /s になります。これが光速度不変の原理です。
一般的に相対性理論と言われるときは、特殊相対性理論を指しますが、実はその主張はたった2つとシンプルです。
咲夜さんは因果を破っている?
さて、特殊相対性理論によると、僕たちは質量を持つので、光の速度を超えることはできません。 速度には上限があります。ということは、今この時間に我々がどんな速度で、例え光の速さでどこかに向かっても、その到達できる距離には制限があります。 月に向かって光の速さで移動しても、どうしても一定の時間はかかります。 これを表した図が存在して、光円錐といいます。
光円錐は縦軸に時間、横軸に距離を取ったグラフです。縦軸は時間ですが、そのままの時間 t ではなく、光がその時間で進む距離 ctに換算して目盛りをとります。1秒なら30万km、と読み替えます。こうすると縦軸も横軸も同じ距離になり、光の進み方は進んだ距離=進んだ距離、45°の線になります。
黄色い線は光の到達できる距離を表しています。例えば、ある時間t_1で光が進んだときははx_1までしかいけないし、t_2のときにはx_2までしかいけません。
すなわち、光はこの黄色い線より外には到達できません。
そして光はこの宇宙で最速です。したがって、光にすら到達できない黄色い線の外側には、いかなる物体も、信号も、影響も届きません。「いま・ここ」から手が出せるのは、この円錐の内側だけです。黄色い線は、単なる光の到達できる距離でなく、宇宙が引いた「関与できる範囲」の境界線となります。
咲夜さんは前述の通り、時間の経過なしにどこまででも移動できます。 これを図に表すと、赤線のような水平線になります。
咲夜さんは光では到達できない箇所に到達できることになります。
こういう光円錐の外側に存在できる仮想の物質を、タキオンといいます。
したがって、時を止めることのできる咲夜さんはタキオンの可能性があります。
しかし、咲夜さんがタキオンであるとき、困ったことが起きます。
咲夜さんの時止め移動は、図の上では「幻想郷の同時刻」に沿った水平移動でした。ところが相対論によると、「同時刻」は誰にとっても同じではありません。動いている観測者にとっての「同時刻」は、図の上では傾いた線になります(同時刻の相対性)。
特殊相対性理論にしたがって計算を進めると、この時間の相対性が実際に確認できます。今回は深入りしませんが、気になる読者は文献1などを見てください。
ここで咲夜さんが、ナイフを投げて、1回目は幻想郷の基準で時を止めて移動し(水平移動)、2回目は動いている何か——たとえば飛んでいる弾幕——の基準で時を止めて戻ってきたとします(動いている観測者に対する水平移動)。2回目の「同時刻」は、幻想郷から見れば過去へ傾いています。すると咲夜さんが戻ってきた場所は、出発した地点の、出発より前の時刻です。
咲夜さんは、ナイフを投げる前の自分に会えます。「投げるのをやめなさい」と伝えたらどうなるでしょう。伝わったならナイフは投げられず、投げられなかったなら伝えに来る咲夜さんは存在しません。
もちろんこんなことは現実には起きないはずです。これは因果を破っています。「投げた」としても「投げなかった」としても、辻褄の合う歴史が存在しません。祖父殺しのパラドックスと呼ばれる、タイムトラベルの古典的な問題です。
残った矛盾と描写からのヒント
難しい話をしましたが、要は時止めをできる咲夜さんはタキオンであり、原因より先に結果を起こせる、因果律を破って、どの場所のどの時刻にも行けてしまう、ということです。
しかし咲夜さんがタキオンだとまずいことがいくつかあります。
一番まずいのは、タキオンが止まれないことです。時空図を思い出してください。タキオンの世界線は光円錐の外側、つまり45°より寝た線となります。タキオンは光より外側でしか動けません。もっと寝る(=もっと速くなる)ことはできても、45°より立てる——光速未満まで減速する——ことは原理的にできないのです。これは私たちが光速の壁を超えられないのと同様のことです。
ところが咲夜さんは、普段は止まっていますし、紅魔館で紅茶を淹れ、掃除をしているはずです。タキオンにはこれができません。
おまけに、タキオンはエネルギーを失うほど加速するというおかしな性質を持ち、電荷を持っていれば動くたびに光を撒き散らすことも知られています(チェレンコフ光)。
そんな事になったら、紅魔館は常時ぴかぴかでしょう。紫外線も出るので、吸血鬼は丸焼けです。
これを解決するために、原作の描写を見てみます。
まず『グリモワールオブマリサ』で、魔理沙は咲夜さんの能力についてこう述べています。
『実際に時間を止めているのか私にはわからない。ただ、ナイフが突然現れ、咲夜が瞬間移動しているだけである。』
作中で実際に対峙した観測者ですら、「時間停止」を観測できていません。観測されたのは瞬間移動のような何かだけで、時を止めていることは観測事実ではなく解釈であって、能力の実体を別の仮説に置き換えても矛盾はないでしょう。
さらに、原作をプレイした皆さんは薄々感じているかもしれませんが、紅魔館は明らかに外観に比べて中が広すぎます。『東方求聞史紀』によれば、
『また、この能力は空間を弄る事も同様に可能である。時間を遅くすることは空間を小さくする事と同じであり、速めることは空間を広めることと同じである。』
咲夜さんは時間だけでなく、空間も操作していることが示唆されています。
実は相対性理論では、時間と空間は独立した別々のものではなく、時空という一つのものと考えることができます。ならば、時間を操る能力と空間を操る能力を別々に持っていると考えるより、最初から時空という一つの対象を操っていると考えるほうが自然ではないでしょうか。
時空の操作を物理学の言葉で言うと、時空計量の操作といいます。
計量とは、めちゃくちゃ雑に言えば、距離と時間の測り方です。地図上の1cmが実際の何kmにあたるかは、地図の縮尺が決めています。同じように時空にも、各点でこの方向に1歩進んだら、実際にはどれだけの距離が、どれだけの時間が経つのかを定めるルールがあります。これが時空計量です。
一般相対性理論では、この時空の計量が主要な概念になります。質量やエネルギーが時空を歪ませて、計量を定めます。
大事なのは、計量が場所ごとに違っていてよいことです。ある建物の中だけ「1歩=10メートル」にルールを書き換えれば、外観そのままで中身だけ広い建物が作れますし、ある領域だけ「時間の進み=ゼロ」に書き換えれば、その外にいる者にとってそれは時間停止です。
館の拡張は計量の空間を、時止めは時間を書き換えただけです。2つの能力は計量操作の2つの側面といえるでしょう。
しかもこの説なら、タキオン説の矛盾も消えます。咲夜さん自身は、書き換えた計量の中を普通の人間として(光速未満で)歩いているだけです。光円錐の外に出ているのではなく、周囲の光円錐を書き換えているだけの可能性があります。
そして計量の書き換え方ですが、一般相対性理論によると、時空を歪ませるのは質量とエネルギーです。つまり方法は幾つかあります。
めっちゃ重くなるか、めっちゃエネルギーを持つか、負のエネルギーを持つかです。
というわけで咲夜さんはめちゃくちゃ重い女か、めちゃくちゃ熱い女です。
どちらにしろ紅魔館は爆発します。
それではあとの考察は頭のいい人に任せます。
ありがとうございました。
※計量を操れる者は原理的に「時間的閉曲線」(未来に進み続けたのに過去に戻る経路)を作れてしまいます。パラドクスは解決できませんでした。幻想郷の時間の安定は咲夜さんの良識にかかっています。
なお、僕はこの分野の専門ではないので、ところどころ間違った記述をしているかもしれません。間違いがあれば指摘してもらえると助かります。
終わり
参考文献
[1] 江沢洋『相対性理論』基礎物理学選書27, 裳華房, 2008.
[2] 須藤靖『一般相対論入門』日本評論社, 2019.
[3] G. A. Benford, D. L. Book, and W. A. Newcomb, “The Tachyonic Antitelephone,” Physical Review D 2, 263–265 (1970).
[4] S. W. Hawking, “Chronology protection conjecture,” Physical Review D 46, 603–611 (1992).
[5] Wikipedia「Closed timelike curve」https://en.wikipedia.org/wiki/Closed_timelike_curve (2026年8月閲覧)
[6] Wikipedia「タキオン」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3 (2026年8月閲覧)
[7] ZUN『東方求聞史紀 〜 Perfect Memento in Strict Sense.』一迅社, 2006, p. 121.
[8] ZUN『The Grimoire of Marisa』一迅社, 2009, p. 146.






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