はじめに
一般的に広まっている四季映姫のイメージや扱いはこのような物かと思います。やべー説教好き、融通が利かない、堅物、ロリか長身か。
今回はそこら辺を一旦置いておいて改めてキャラの内面を見てみます。あくまで私の一解釈ですが、ご覧になる方のキャラ理解の一助になればと思います。
東方花映塚
初登場かつボスとして、いっぱい説教が出て来ます。その趣旨を一旦整理してみます。
通常ストーリー&マッチモード
博麗霊夢:大した理由もなく無差別退治している。巫女の職責を無視してる。「仕事だから」を自身の行いの免罪符にしてはいけない。
霧雨魔理沙:嘘付きすぎ。生活見直せ。
十六夜咲夜:人に冷たすぎ。刹那主義すぎ、後になって後悔するようなことをするな。
魂魄妖夢:何も考えずに自分から人間に近づきすぎてる。このまま存在として人間であろうとするなら裁きを担当する必要が出てくる。その上で自身を顧みるべき。あと何も考えずに霊を斬って成仏させるな。
鈴仙・優曇華院・イナバ:今何か別のことで埋め合わせるのではなく過去の罪に向き合え。「うふふ、ちょっと待ちなさい。」
チルノ:テリトリー離れすぎ力を持ちすぎで、そのままでは自然に回復できないダメージを負うかもしれない。危険があることを自覚する必要がある。「うふふ、待ちなさい。」
プリズムリバー三姉妹:レイラに存在理由を依拠し続けている今のままだと消える。消えたくなければ、自分たちの存在理由を考え直せ。
ミスティア・ローレライ:今の状況で今のまま歌い続けたら霊が暴走してミスティアの罪に繋がるかもしれない。考え直せ。
因幡てゐ:人騙しすぎ。
射命丸文:新聞を書くことの意味と責任を考え直せ。
メディスン・メランコリー:自分が人間と同じく心を持っていることに気付け。
風見幽香:だれこれ構わず攻撃しすぎ。その割に人間に恐怖を与えていない。
小野塚小町:言い訳せずに仕事しろ。
見ると分かるように、共通事項として「行いを見直せ」と言っています。目立つ内容としては現在進行形で行っているよくない行為を指摘している点が見て取れます。しかし、よくよく見れば自分の立場や存在そのものを無視するな、その上で見直せ。と言っていることが分かると思います。一方で「この道を進め」とは言っていません。マッチモードの勝利セリフでは善行について進路の指針も含めてそれぞれのキャラに一言述べていますが、「今の貴方が積める善行」として提示しているに過ぎません。
エンディング
霊夢編と映姫編にて登場します。中身を直接引用はしませんが(しちゃ駄目なので)、霊夢が自分で考えた小さな顧みる行いを否定せずに「良い」こととしています。また、映姫ルートのストーリーでの咲夜との会話でも同様です。そして特に見るべきなのは罪があることが問題なのではなく、罪と向き合うことが重要であると言っている点です。また、生者は罪なくあることはできないと言っていますが、だからといって生者を否定していません。
つまり、生き方や考え方を強いるのではなく、自分自身の立場や行いに責任を持つことを求めているということが分かるかと思います。そして自身は休憩と言いながら小町をいじりまくりつつ昼間から神社で酒を飲む。
また、少し話が戻りますが、霊夢編のストーリーにてかなり重要な発言をしています。
泥棒だって人殺しだって、戦争だって、それが仕事の人もいる。仕事だから、は罪の免罪符にはならないのよ。
一見、じゃあその職業であれば罪から逃れられないひどい論理だと見えますが、エンディングと合わせると意味が変わります。すなわち、罪を負う立場なのが問題なのではなく、その立場であることを自覚しないことが問題であるということを言っているのがここで分かります。
殺生という罪を負う立場になる/あることに重きを置いておらず、個人の認識というものを強く意識していますが、これは先に挙げた説教での姿勢と一貫している物です。
東方文花帖(ゲーム)
さて、花映塚で見た内容だと「説教の内容ってそうなんだなあ」って内容以上のものにはなりません。しかし、さらっと流されそうな文花帖でのコメントで、キャラの造形に相当影響するものがあります。誰が気付くんだよ。
審判「ギルティ・オワ・ノットギルティ」
閻魔様に「冤罪は無いのか」と聞いたところ、
「あります」と返答を戴きました。
つまり瓜田李下であれ、との事だそうです。
勘がいい人はすぐにピンとくると思います。私はよくないのですぐには来ませんでした。ここで冤罪について「あります」と断言している。即ち、自身の無謬性をきっぱりと否定しているのです。
それと同時に、彼女の能力は「白黒はっきりつける程度の能力」ですが、改めて見ると、これは「解る」や「判る」などではなく、「つける」なんですよね。また、花映塚の設定資料にこうあります。
彼女に嘘を吐くことは、ばれない事が自分を善人に見せる絶対条件となる。ばれると大きなマイナスとなる
嘘を完全に判別することができるのであれば、あるいは絶対に騙されないのであれば、そもそもこのようなテキストは成立しません。つまり、あくまで自身が状況への決定権を持つ能力であり、元ある状況を解読する能力ではないということが言えるかと思います。
この二つを合わせると次のことが言えます。
「自身の判断において状況を決定する強大な権限を有している」+「それが間違いうると自認し、公言できる倫理観を持っている」
そしてその上で死者の裁判を行っているということになります。
幻存神籤
次に『東方幻存神籤』の彼女のページを見てみます。
真実は一つしか無い訳ではない。私が一つにするのです。
これだけ見ると、やべー思想のボスか傲慢で強権的な裁判官にしか見えません。しかし、これまでのものを踏まえるとどうでしょうか。こうなるのではないでしょうか。
「個人の生き方や存在そのものを否定しない」+「強大な権限を持ちながら無謬性を否定している」+「それぞれの真実があることを認める」+「それでもなお自身が一つの判決とする」
その上で原作者のコメントにこうあります。
彼女はともかく、閻魔様は公正に裁いているのですかね。
閻魔の裁定について、本当に公正なんですかねとしながらも、その中から明確に彼女を除外しています。要するに、神の目線からは公正なのだろうかという疑いから外れながら、自己評価では間違いうる存在として定義している存在になります。そしてその上で「私が一つにする」と宣言しているという裁定者となるのです。
これらを繋ぎ合わせるとどのような人物像になるのでしょうか。それを断定することはできませんが、極めて高度な倫理観と自己や権威に対する疑義の観念、そして他者尊重の精神を持っていることは間違いないでしょう。また、閻魔という存在について、天台宗をはじめとした日本の伝承・教義では他者を裁くという罪を負い罰を受け続ける者と言われています。それでもなお、
物事の善悪の基準を自分の内に持つ。その判決は死者には覆すことが出来ない。その善悪の基準は非常に複雑であり、事件の成り立ちから、関係者の生い立ちまで全てが罪の重さに影響する。
「法律は人間が決めた約束。法で裁けない罪を私は裁くのです。」
「仕事だから、は罪の免罪符にはならないのよ。」
とのことですから、自分自身に重い責任を課しながら裁くという選択を選んでいる人物と言えるのではないでしょうか。別方面でやべー説教好きだった。
余談
「東方鬼形獣」のエンディングにおいて、妖夢から異変についての報告を受ける立場で映姫が登場します。また、鬼形獣において妖夢は「生身の人間」として扱われています。これは花映塚での説教の内容と直結するものです。すなわち、それでもなお妖夢は生物学的な方面ではともかく、立場は人間として扱われる道を進んでいることを意味します。ですが映姫はそれを理由に関係を断つなどすることはせず、またこのときそれを説教することもなく一人の人物として扱っています。つまり、その者が選んだ道は尊重するという立場を取っているということがやはり言えるのではないでしょうか。しかし誇張した報告をされたので妖夢は信用を失う。
参考元原作
「東方花映塚」
「東方文花帖」
『東方求聞史紀』
「東方鬼形獣」
『東方幻存神籤』

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