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ドンドンゲスト
作中の藍のセリフで「藍:紫様の言うとおり幽霊の反応は異常ですね。これが大地に解放された事に起因するのならば、むしろ喜ばしいことかと。」 とありますが、何故大地が解放され霊がいつく事が喜ばしいと言えるのでしょうか?
常識的に考えれば、既存勢力が弱体化し騒乱状態になる事は幻想郷にとって悪影響であると言えます。また加えて魔理沙のセリフで「魔理沙:一部の富裕霊達が決して手放そうとしなかった大地の所有権が、突然、放棄されたんだ。」
ここにでる富裕霊とはどの様な存在なのでしょうか? -
takenoko参加者
以前魔理沙がオカルトボールによる混乱を語った際にも、紫は「この程度で混乱などしていない」とその考えを否定し、むしろ幻想郷の変化を喜んでいる様子でした(『紺珠伝』ED)。今回の件も同様、幻想郷にとって適度な刺激と言える範疇だったのではないでしょうか(そもそも妖怪たちが弱体化しないために定期的に決闘することが是とされる世界ですし)。
富裕霊は……細かい設定が基になっているというよりは「浮遊霊」とかけたギャグありきの存在だと思うので、よくわからないというのが正直なところですね。単純に「土地に憑いていた霊」と解してしまっても良い気はします(土地持ち=富裕)。その辺をふらふらしている浮遊霊と土地に取り憑いた富裕霊で対比になっているのかもしれません。 -
ドンドンゲスト
宇佐美のお遊びのような「オカルトボール異変」はまだしも、「獣王園異変」に関しては、最善でも幻想郷全土が日伯残夢に支配され、最悪の場合(日伯残夢が畜生界を抑えきれなかった時)、畜生界の組織と幻想郷の全面戦争に発展する可能性があります。それ故、「適度な刺激」として笑い飛ばせるような規模とは思えません。
また、八雲紫が日伯残夢を手駒にできるほどの器とも思えませんし、龍神に関してもその実在性には疑いが残ります…。
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takenoko参加者
まず、件の台詞を言った時点での藍は異変の全容を把握できていません(その後早苗に言われて初めて動物霊が多いことに気付く)。なのであの時点での藍の反応としては正常なものだと思います。
藍が残無の存在に気付けばもう少し慌てたかもしれませんが、恐らく黒幕の意図に気付いていたであろう紫が霊夢と同様に自然現象として収めようとしていたこと(藍ED)から、やはりそう大した危機ではなかったように思えます(都市伝説異変は菫子ではなく月の都の計略なので、重大度で言えば地獄との接触とトントンかそれ以上ではないでしょうか)。
紫と残無のパワーバランスについては、わたしは紫の格が明確に残無より劣るとは感じていないので特に引っ掛かりませんでした。ここは主観的なイメージの話になりそうです。 -
ドンドンゲスト
なるほど、現在おまけtxtやセリフを読み返してきましたが、納得が行きました。
結局の所、本編で八雲紫の同行が曖昧なので真相は闇の中ですね… -
V層もどき参加者
>何故大地が解放され霊がいつく事が喜ばしいと言えるのでしょうか?
獣王園のomake.txtでの神主の言葉がひとつのヒントになると考えます。AIの象徴する、完全性、無機質性、結果論に対し、不完全性、有機質性、
過程の重要性とは何か、それは簡単に言うと生き物である、と言う事です。
人間がAIにかまけているうちに、獣たちの方が精神的に豊かで生を実感
できる世界を築いている、そんな幻想が詰まったのが、今作品のテーマです。話の枕からの繋がりとしてAIが語られていますがそれが本筋ではなく、「完全性・無機質性・結果論」に対する「不完全性・有機質性・過程」の話、「生きていること」の話がなされています。
そして、紫は幻想郷について「完全性、無機質性、結果論」の世界ではなく、「不完全性・有機質性・過程」の世界であること、「生きた世界であること」を望んでいます。
このため、幻想郷を破壊しないようなレベルの変化、生きた変化については紫にとって喜ばしいことです。
(今まで描写された各種の「異変」も、それぞれが生きた変化のひとつであると言えるでしょう)
類似のシステムである花映塚のバックストーリー冒頭において「幻想郷が蘇生した」と述べられていることも(神主の観点から見た)同様の趣旨の言葉でしょう。「既存勢力が弱体化し騒乱状態になる事は幻想郷にとって悪影響」とのお考えですが、逆に、「既存勢力が変わらず強力であり平穏状態」であることについて、極端なケースを想定すると良いと考えます。
東方においてそのような状況にある領域、小世界は、月の世界です。
月の世界は不変の世界、比喩的には凍りついた世界であり、紫が(複数回月面戦争を挑むほどに)嫌悪している世界です。
幻想郷が月の世界に近づくような方向性を紫は望んでいないと考えます。>富裕霊とはどの様な存在なのでしょうか?
富裕者であり土地所有者ということですが、これはつまるところ、過去に何らかの結果をなして、世界に一定の居場所を得た存在であり、かつ、その一方で現在活動が停滞している存在であるということです。
(幻想郷において、あるいは我々の世界の諸々や東方のコミュニティにおいて、当てはめは可能でしょうが、個別具体の話というよりは、そのような類型の象徴という話です)紫の視点において、そのような存在は「変化を拒む・停滞を招く」存在であり、ことさらに排除を行うようなレベルではない一方で、その存在が既存の立場を手放し新しい何かを始める、あるいは、新しい存在が手放されたところに取って代わって新しいことをする、ということは喜ばしいことである、ということです。
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