東方妖々夢の2面ボス・橙は苗字のないキャラである。苗字のない東方キャラはたくさんいるが、こと橙に関しては八雲紫が操る式神である八雲藍がさらに操る式神であるという構図から言って八雲橙という名前であって然るべきと思われるにもかかわらず、苗字のない単に「橙」という名前である所が奇妙に思われる。
これに対するよく見られる解釈としては、橙はまだ未熟ゆえ八雲の姓を与えられるに至っていないというものである。実際pixivで「八雲橙」のタグ検索をすると普通の橙のイラストに交じって大人びた姿の橙のイラストが時折ヒットし、成長して八雲の名を頂いた橙として扱われている様子が見られる。
この解釈について筆者は特に否定的な感情は持っていないが、個人的により好みの解釈があるのでこの記事で語っていきたいと思う。
まず、八雲紫の「八雲」という姓について東方香霖堂で霖之助の解説という形でその意味が説明されている。曰く、この八雲はスサノオが詠んだ和歌『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を』から取られており、強固な囲い(八重垣)を意味し、その内にいる巫女を決して逃がさないという。当然霖之助の解説といったら眉に唾をつけて聞くべき話ではあるが、ZUN氏がそのように書いたのは確かであり、そのような意味合いが少なくともある程度は念頭に置かれていると考えて差し支えないように思う。
実際、八雲紫は特にwin版初期において非常に支配的に振る舞い、様々な異変を思い通りに転がしているのが印象深い。書籍文花帖では命令にない行動を取った藍を折檻する場面も描かれ、キャラクター性として「思い通りに動かす」事がかなり強調されているように見える。
一方で、儚月抄では藍に計算能力だけではない創造性を求めたり、天空璋では隠岐奈が幻想郷はもはや制御不能状態だがそれも賢者たちの望んだ事と発言するなど、「すべてを思い通りに」というイメージとは反する「自分の想像を超えてほしい」という思いがある気配を感じさせる場面もある。これは紫だけでなく先述の隠岐奈や、すべては我が掌の上と言いながら掌の上に乗らない霊夢に希望を見た残無といった幻想郷の有力者たちに見られる思想である。
紫は八雲の八重垣で幻想郷を強固に支配しつつ、その幻想郷が自らの想像を飛び越える事を望むキャラクターであると言えるだろう。
ここで橙の話に戻る。
橙は紫の式神である藍の式神であるが、式神としての性能は藍とは比べ物にならないくらい低く、言う事を聞かせるためにマタタビを使う事さえたまにあるという様子で紫と藍の格の違いが表現されている。ここで注目したいのは紫と藍の格の違いではなく、藍が橙に言う事を聞かせるためにマタタビで釣る事があるという点である。より単純化した話として橙は藍よりも主の言う事を聞きにくく、これは明らかに主である藍の未熟が表現されている所であるが、ある意味では「すべてを思い通りにしつつ一方で自分の思い通りにならない事をも望む」という紫の理想が「思い通りに動く部下の思い通りに動かない部下」として橙に表れていると捉えられなくもないように思う。
つまり、橙が八雲の名を冠していないのは橙が八雲の八重垣(紫の支配)から自由であるという解釈である。
この解釈の好きな所は橙の未熟さにフォーカスする説より「八雲」の名を持たない事をポジティブに捉えられる所である。橙は幼い雰囲気のキャラであり、幼いキャラとは幻想郷の未来を象徴するキャラであるとも言える。そんな橙が八雲の八重垣を脱し紫の想像を超えていくという構図は、幻想郷自体が紫の想像を超えていく構図にもつながり、なんとも素敵なものが感じられる。
橙と「強固な囲い」の話としてもう一つ、明らかにwin版初期の東方のイメージソースになった作品の一つである藤木稟『上海幻夜』の中の1話である『橙と呼ばれた少女』の話をしようと思う。
『橙と呼ばれた少女』のあらすじはこうである。清朝末期の上海の娼館に、橙(チェン)と呼ばれる7歳の少女が住んでいる(東方の橙と区別するため、この記事では以降この少女を「橙」と「」付きで表記する。またこの「橙」は本名ではなく、その娼館に住む女たちはそれぞれの履く靴の色で呼ばれる習わしである)。「橙」は痛々しい纏足の少女なのだが、将来この娼館から脱して中国一の金持ちの家に嫁ぐために、金持ちに尊ばれる小さな足(小さければ小さいほど良い)を目指すのだと主人公である少年に強い眼差しで語る。無理矢理足を小さく押さえつける纏足は非常に苦痛を伴い「橙」はそれによく耐えているのだが、最終的には無理な纏足によって足が象のように大きく化膿し「橙」は死んでしまう。纏足にはそのような死の危険がある上に、無事に成長できてもまともに歩く事はできず支えが必要になるという男の支配欲を満たすためのもので、そんな事のために気丈な「橙」が死んでしまった事を嘆いた主人公はせめて死後は娼館から出してやろうと自らの家の庭で彼女を弔う……という話である。
この「橙」は2つの「強固な囲い」に縛られたキャラクターである。ひとつは娼館であり、ここの女たちは諦観に囚われ、最終的に老いて客が取れなくなったら放り出されるのがオチで、こんな場所からは出ていくのだと「橙」は息巻く。しかし、その出ていく手段である「中国一の金持ちに見初められる」事のための努力として熱心に行っている纏足もまた、彼女の自由を奪っていく「強固な囲い」である。
一方で、東方の橙は自由さを象徴する猫のキャラクターであり、素早い動きを得意とし、ゲーム中でも画面内を縦横無尽に動き回る。主の命令で動く式神ではあるが、必ずしも主の言う事を聞くとは限らない。ZUN氏が何を思って橙のキャラクターを設定したのかは本人のみぞ知る事ではあるが、『上海幻夜』の「橙」の存在が念頭にあった事はまず間違いなく、それが「橙」を取り巻く「強固な囲い」を脱するようなキャラクター性である事は何かしらの意思を感じずにはいられない所である。
ここで橙が「強固な囲い」を意味する八雲の姓を持たない事がさらに意味深く思えてくる。
橙は強固な囲いから脱しようともがいて死んだ「橙」の無念を晴らすように、「強固な囲い」の名を冠さない自由に走り回る猫として幻想郷に存在する、そんな祈りが感じられるように思う。
夢のない話をすると、現実的に考えて橙に苗字がないのはEX、Phというかなり先の場面で登場する八雲紫、八雲藍の存在を示唆しないためであると考えるのが妥当ではある。また、遠野幻想物語という曲を流しながらマヨヒガが舞台になるという柳田國男を強く思わせるシチュエーションで八雲などという小泉八雲を強く思わせる名前のキャラが出てくると妖々夢の本筋と関係ない所で存在感を持ちすぎるという事情も考えられる。
そういうわけで橙が八雲の八重垣を冠していない解釈はZUN氏がそのようにキャラを作ったという推測というよりは、そういう風に捉えたら素敵だなという楽しい空想である。ここは一応強調しておいて記事を終えようと思う。


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