返信先: 転生における「魂」の語の用法について

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#4184
クエビコ
ゲスト

 魂について考える一助になればと思い書き込ませていただきます。
 魂魄について直接の話ではありませんが、古代ギリシャにも魂について考えた人がいます。魂はこの世ではないところからやってきており、またその場所に帰りたいから人間は自らを良いものにしようとするのだ、みたいな考え方ですね。ここでは肉体と魂は舟と漕ぎ手のような関係になっています。つまり肉体と魂は分離可能なものとして捉えられていることになります。それに対して、肉体と魂とは分離できない、魂は肉体なしに存在することはできないという考え方をする人もいます。魂とは肉体の作り出す影絵なのだから、そもそも肉体なしの魂というのはありえないという立場ですね。
 また、肉体なしの魂があったとしても、果たしてそれらは輪廻転生するのだろうかという問題もあります。キリスト教がそうですし、儒教もそうなんですが、死んだら死にっぱなしです。そこでおしまい。本居宣長もそんなこといってますね、対して、魂は輪廻転生するという立場の人もいます。そっちのほうが安心して生活できるじゃん、というわけです。
 ウィキペディアの「魂魄」という記事には魂は神に、魄は鬼になるという記述があります。また魄が地に帰さなかったものが僵尸(キョンシー)になるともあります。
 儒教的な解釈では気は集合離散し続け再び同じ形に集まることはないとされます。気が凝り固まったものが魂魄なので、魂魄は死ぬと散り散りになり輪廻転生しません。先祖の魂を招くことは出来ても、魂が生前の姿のままということにはならないですし、仮に転生してしまったら、墓には誰もいないということになります。
 この辺まで考えると、幻想郷における魂魄とは道教的世界観に基づくものだと考えなければいけなさそうな気がします。仏教も、解脱を求めるものなので、本当は輪廻転生しないほうがいいという立場だと思うのですけど。
 魂がiPS細胞的だというのは、気が集まったものとして魂を捉えるという解釈に近いと思います。人の体も気が集まって出来ていると考えられるでしょう。すると、魄とは気が人の形という枠組みに詰め込まれたものと言える筈です。それって肉体の影絵なんじゃないかな、と思ったりして。つまり魄単体では輪廻転生しないのでは、というのが個人的な感想ですが、それはさておき。肉体と精神が対応した形での転生というのは難しいのかもしれません。クローンの魂とはどのようなものか、みたいな話でもあります。
 気の流れという視点から魂魄について考えてみると、何か整合的な解釈ができるかもしれないと思い書かせていただきました。長文失礼しました。