結論からいうと、ある参照元のそれぞれの側面を切り出しているので表現形は複数ありうる、ということと考えます。
とある有名な作品では、スサノオと斉天大聖とが戦い、また、シリウスに擬された白い犬と斉天大聖とが戦うシーンがあります。
スサノオとの戦いでは、斉天大聖は「天に斉しい」とするその傲慢をスサノオに指摘されます。
これらの要素、傲慢と天人崩れ(ひとしい、というのはそのものではないということです)の面は比那名居天子として表現されています。
シリウスの犬との戦いでは、犬猿の戦いが繰り広げられます。この猿としての面や猿以上のものとなった面は美天として表現されています。
また、東方のキャラクターは、既存のキャラクターから概念が深堀りされてスピンアウトされる形でキャラクターが現れることがあります。
典型的には、プリズムリバー三姉妹の日月星のシンボルから三月精が現れたケースでしょうか。
これらの、ある存在がバラバラに咀嚼されて、それらの構成要素をもつ別の存在として現れる、という考え方は東方の根本的な思想のひとつです。