太陽の畑ライブステージは、なぜ東方憑依華のラストステージに選ばれたのか

注意事項(くわしい人向け)

 本稿では、便宜上「シャマニズム」と「シャーマニズム」の語義を区別せず、両者をひっくるめる形で「シャーマニズム」という語を使用しています。ご了承ください。

はじめに

 皆様は東方憑依華をプレイしたことがありますか。プレイしたことがある方はご存知だと思いますが、最終ステージは、なんとライブステージです。観客で満員のライブステージ上にて、自機キャラは依神姉妹と激戦を繰り広げます。今宵も飄逸なエゴイストのカリスマ溢れるメロディも相まって、今作の中でも印象的な場面かと思います。

 さて、そんな最終ステージですが、発売当初、背景のドット絵中にとあるキャラクターがいると話題になりました。プリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓です。

 この投稿では、

①プリズムリバーウィズHは、なぜあの場にいたのか。

②東方憑依華の最終ステージは、なぜプリズムリバーウィズHのライブステージなのか

 以上の2点について、少し考えてみたいと思います。

どうしてあそこに居たの?

 プリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓は、なぜ、あの場に居たのでしょうか。

 それは、あの場が彼女たちの晴れ舞台であるからです。『東方文果新報』には、解散を宣言したプリズムリバー楽団が、その三日後に堀川雷鼓と共に再結成ライブを開催し、ファンの情緒を壊してしまったという記事が掲載されています(1)。以降、プリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓は「プリズムリバーウィズH」というユニット名で、ライブ活動を精力的に続けているようです。

 自機キャラと依神姉妹の決戦は、彼女らのライブ会場で行われていたのですね。

 これで、東方憑依華の最終ステージにプリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓がいた理由がわかりました。場違いなのは彼らではなく、自機キャラと依神姉妹の方であったというわけです。

 プリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓が、あの場にいた理由はわかりました。では、東方憑依華の最終ステージとして、どうしてあの場が選ばれたのでしょうか。

 筆者は、その理由をシャーマニズムに求めました。「憑依」といえばシャーマニズム、シャーマニズムといえば楽器だからです。

あまりに根拠が薄いですね。

なので、ここからは、このあまりに細い線を少しでも太くするべく足掻こうと思います。

どうぞお付き合いください。

シャーマニズムとは

 そもそも、シャーマニズムとは一体何なのでしょうか。まずは、シャーマニズムと呼ばれるものについてお話したいと思います。

 シャーマニズムとは、神霊・精霊・死霊などの霊的存在と直接接触し、交流することにより、託宣・予言・卜占・治病・祭儀などを行うシャマンを中心とする呪術・宗教的形態(2)です。

超自然的な存在と交流し、その成果を生活に還元する職能者(シャーマン)を中心とする、呪術的で宗教的な集団の形、と言い替えることもできます。

ようは、人ならざる存在と交流ができる特別な人が中心にいる、人間の集団です。

 意外なことに宗教ではないのですね。むかしはシャーマニズムを原始宗教だとする研究がありましたが、現在、この仮説は主流ではありません。

 原始宗教であるという学説があったほどですから、その分布はとても広範囲です。筆者が知る限り、シベリア・北アジア・東アジア・東南アジア・中央アジア・北ヨーロッパなどが挙げられます。北アメリカやアフリカでも類似した事例が見られるそうです。

 日本でいうと、東北地方のイタコや沖縄のノロ・ユタを取り巻く環境が、シャーマニズムであると言えるでしょう。両者ともに託宣・卜占・祭儀・治病(イタコは怪しいかも)を執り行いますし、何より神霊との交流を持ち続けています。また、意外なところでは、修験道にもシャーマニズムの片鱗が見られるようです。

 ところで、そんなシャーマニズムの特徴を、皆さんはご存知でしょうか。

 シャーマニズムの特徴は、ひとえに憑依と脱魂にあるといえるでしょう。シャーマンが超自然的な存在と交流を持つためには、この二種類のうち、最低でも片方は習得していなければいけません。この二つは、いわばシャーマニズムの根幹を成す要素といえます。憑依は、読んで字のごとく人間に超自然的な存在が依り憑くことを指します。脱魂は、魂が肉体を離れる現象を指します。

 前者に比べると、後者はあまり聞き馴染みがないかと思われますが、それも当然。日本おけるシャーマニズムに、脱魂の要素はあまり見られないからです。主に北アジアのシャーマニズムで盛んな要素となります。

 この傾向は東方Projectでも同様で、憑依の要素は数あれど、脱魂の要素はあまり見られません。しいていえば完全憑依のスレイブとマスターが入れ替わるロジック周りが怪しいですが、まあこのあたりの話は本筋とは関係ないので終わりにしましょう。

 では、ここで一度、これまでの話をまとめておきます。

  1. シャーマニズムとは、超自然的な存在と交流し、その成果を生活に還元する職能者(シャーマン)を中心とする、呪術的で宗教的な集団の形。宗教ではない。
  2. 特徴は憑依と脱魂。一番大事な要素だが、日本では憑依が主流。

以上の2点です。次章では、②を踏まえてもう一段階深いお話をしていきます。①は忘れてしまって大丈夫です。

シャーマニズムと音楽

 さて、ここまで皆さんは、シャーマニズムのあらましを見てきました。きっと、シャーマニズムという言葉が持つイメージにも変化があったかと思います。それではここからは、もう一歩奥の領域に踏み込んでいきましょう。

 先述の通り、シャーマニズムでは、シャーマンが超自然的な存在との交流を持っています。では、シャーマンはどのようにして霊的存在との交流を持つのでしょうか。シャーマンが儀礼を実践している様子を、いくつかの記録を通して見てみましょう。

シャマンは天幕の土間に作った炉の傍らに座って、(中略)さまざまな霊に依頼する。それから、シャマンは待ってましたとばかりに、魂を奪った霊の隠れ場所を探す。太鼓を打ち鳴らしている間、シャマンはときどき休んで、はるかかなたを見つめているようなふりをする。(中略)シャマンは病人のからだに入り込んでいたすべてのアバ―スを自分に集める。(中略)シャマンが悪霊を自分の中に移し入れることができたと身振りで示すと、他の者たちは槍をもって、そのシャマンを突き刺すふりをする。ただちにシャマンは太鼓を打ち鳴らし、歌謡を歌いつつ、そのもとの居場所へ連れて行く(3)。

ウノハルヴァ『シャマニズム1』219ページ

 これはサハ(シベリア)のシャーマンが、病人の身体に入り込んだ悪霊を取り除き、追い出された病人の魂を元の身体へ連れ戻す際に行われる儀式の様子です。あたりの霊と協力したシャーマンが、太鼓を叩きながら悪霊(アバ―ス)の隠れ家を見つけ、病人に入り込んでいた悪霊(アバ―ス)を自らの身に移し入れ退治したあと、歌を歌い太鼓を打ち鳴らしながら、病人の魂をもとの居場所に誘導しています。

その舞踏は太鼓を強く打ち、金属片を鳴らしながら一定の拍子で前へ動いて来る。そして時折奇妙な風に廻ったり跳ねたりする。(中略)二度、殆んど激怒したようになって、その汗を浮かべた顔は異様で不安な様子を帯びるが、再び落着きを取りもどすとただちに脱魂状態に入る。彼は身を動かしている間じゅう歌い死者の国への旅の模様をのべる(4)。

内田るり子「音楽の側面から見たシャマニズムの諸相」『日本のシャマニズムとその周辺』341ページ

 続いては、シベリアのエニセイ川下流に暮らしていたシャマンの儀礼の様子です。太鼓を打ち鳴らし動き回るシャーマンが、やがて歌を歌いながら死者の国への旅へ出る様子が語られています。

 「金属片を鳴らしながら」とありますが、これはシャーマンが装束にぶら下げた装飾品がぶつかり合う様を、観察者が鳴らしているのだと誤解したのでしょう。違ったらごめんなさい。

その夜、家族の祖先の仏降ろしの時にも、また翌朝の地方の神を降ろした時にも、彼女は繰り返しうちわ型の太鼓を打ち鳴らし、黒い数珠をすり合わせ、多くは同じものと思われた経文や祈願を唱えた(5)。

C・ブラッカー『あずさ弓』146ページ

 こちらは青森県の田名部という町のイタコが儀礼をした際の手順です。祖先を降ろす時も、神を降ろす時も、同じ手順で行う点が興味深いですね。

 さて、ここまでシベリアと日本におけるシャーマニズムの実践例を3つ見てきました。皆さんは、これらに共通点があることに気が付いたかと思います。

そうです、太鼓です。

 どの事例においても、シャーマンに相当する職能者は、みな太鼓を使用しています。また、サハとエニセイ川下流のシャーマンは、二人とも歌を歌っています。イタコは歌こそ歌っていませんが、経文を呟いています。ここで紹介したシャーマンたちは、みな儀礼の際に太鼓を叩きながらリズミカルに発話しているのですね。

 こうした事例からは、シャーマンたちは超自然的存在と交流する際、ある特定の楽器とそれが奏でるリズムに合わせて、自らの状態を整えているのではないかと考えることができます。

 これは何も筆者の妄言ではありません。

 内田るり子という研究者は、シャーマニズムにおける音楽について「儀礼の中で最も重要な役割は、脱魂・憑霊のモメントにおける呪的なエネルギーを供給することである(6)」としています。また、供給される呪的なエネルギーは「『リズム』と『テンポ』の加速と、それにのっての『動き』と『憑霊』という密接な相関関係の中で生ずる(7)」とし、「人間の能力をこえた心理的に異常な『コンセントレーション』であるとも考えられる(8)」であると述べています。シャーマンは音楽で集中を高め、それによって神や精霊との交渉に赴いていたのですね。

 また、シャーマンが集中を高めるために用いた道具としては、太鼓と歌以外に、鈴や弦楽器、人形や杖などが挙げられます。たとえば、日本のイタコは一弦琴や人形を、韓国のムーダンは鈴や杖を、中央アジアのバクスはコブスと呼ばれる弦楽器をそれぞれ使用しています。

 なんにせよ、シャーマンの儀礼に音楽は付き物であることは、わかっていただけたかと思います。

それでは、この章のまとめをしましょう。

  1. シャーマニズムにおいて音楽はとても重要。
  2. 音楽に合わせて集中力を高めることで、シャーマンは神秘的な存在とやり取りできるようになる。

ここまでお疲れ様でした。あと少しの辛抱です!

シャーマニズムとライブステージ

 それでは初めに、東方憑依華の最終ステージについておさらいです。

 東方憑依華の最終ステージは、プリズムリバーウィズHのライブステージです。今作のボスである依神姉妹が、そこに押し寄せた観客からお金を巻き上げるべく現れるためでした。

ここで、彼女たちが編み出したお金を巻き上げる方法について確認しておきましょう。

「観客が無心になる瞬間が訪れるわよー」

「特にライブの観客は精神的に無防備なんで楽勝だわ」(9)

 これはストーリーモード「魔理沙&こいし」のステージ5にて、依神女宛が発したセリフです。無心になった観客は、精神が無防備になり、完全憑依がしやすいことがわかります。

「マスターの同意があれば問題なく出来る」

「マスターが油断しているなら同意も無く強制的に憑依出来る」(10)

 続いてはストーリーモード「マミゾウ&妹紅」のステージ2にて、雲居一輪のセリフです。完全憑依は、マスター側が油断している場合、マスターの同意無しに強制的に憑依できることがわかります。

 これらのセリフからは、完全憑依には同意型と強制型の二種類があることがわかりました。依神女宛は観客の精神が無防備なことを喜んでいたことから、彼女は観客に対して強制完全憑依を試みる予定なのでしょう。

ライブに夢中の観客たち。その心に生まれた隙に強制完全憑依することで、依神姉妹は彼らから冨を奪おうと画策しているのです。

 こうしたことから、東方憑依華本編におけるライブステージは、観客の心に隙を生み出し、強制完全憑依の難易度を下げる装置として描かれていることがわかります。

プリズムリバーウィズHのライブステージが選ばれた理由は、強制完全憑依をやりやすくするためだったのですね。

 しかし、ここで終わってはいけません。

 本稿の目的は、東方憑依華のラストステージが選ばれた理由を、シャーマニズムに求めることに尽きます。ですがこのままでは、シャーマニズムの「しゃ」の字もないまま終わってしまいそうです。なんとかこじつける必要がでてきました。ただ、いかんせん完全憑依というシステムが難敵です。このシステムのおかげで、真っ向から立ち向かうことができないのです。厄介ですねこれは……!

 と、いうことで。一度、東方憑依華の最終ステージの光景をイメージしてみましょう。そうですね、できるだけ客観的な視点に立った方が良さそうです。視点人物は、依神姉妹でもなく、八雲紫でもなく、博麗霊夢でもありません。私たちです。

 ライブステージの観客は、プリズムリバーウィズHの演奏に心を奪われ、それがために強制完全憑依の標的となってしまいます。つまり、音楽によって隙が生まれ、その隙を狙って疫病神が憑依してきているのです。

 音楽は、すなわちリズムです。リズムに聞きほれる観客の心は、一体どうなっているのでしょうか。筆者は、リズムに集中しているのだと考えます。

 では、観客が集中して聞くリズムは、どんな楽器が奏でているのでしょう。プリズムリバーウィズHは、プリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓の合同バンドです。4人が得意とする楽器は、それぞれルナサのヴァイオリン、メルランのトランペット、リリカのキーボード、そして堀川雷鼓の太鼓ですから、観客は4種の音色を耳にしていると考えられます。すなわち、管楽器と鍵盤楽器、そして弦楽器と打楽器です。また、プリズムリバー三姉妹はそれぞれ感情を操る音色を奏でます。ですから観客は、4種の音色を聞きながら、心を激しく揺さぶられているのでしょう。

 4種の音色に耳を奪われるだけでなく、心の機微すらも音楽に奪われた観客たち。そんな彼らの元に、悪意を持った神霊、すなわち悪霊が近づいてきます。音楽に紛れて人間へ近づいた悪霊は、悟られぬうちに依り憑き、その身体に悪事を働くのです。

 ですが、そこに邪魔者が現れます。闖入者の名は、博麗霊夢。妖怪を打ち倒す博麗神社の巫女です。彼女は、相棒の妖怪すなわち超自然的な存在の協力の元、悪霊と戦い、そして見事打ち倒しました。

 その戦いの場には、終始プリズムリバーウィズHの奏でるメロディが流れていたのです――――

 今宵も飄逸なエゴイストの音色と共に、あの光景が脳裏にありありと浮かんできますね。あの演出、結構好きなんです。

 ところで皆さん、この光景、どこかで見覚えがありませんか? 忘我の域に達しつつある人に依り憑く悪霊と、それと戦う超自然的存在を従えた巫女。

 そうです。なんと、サハのシャーマンによる悪霊を追い出す儀式とそっくりなのです。

ためしに両者を比べてみましょう。

シャーマニズム

 シャーマンは儀礼に際して、楽器の奏でるメロディに集中することで、憑依あるいは脱魂を実践していた。シャーマンは、楽器の音色が響き渡る実践の場で、神霊や精霊と協力して治療や占いを執り行い、時には悪霊と直接渡り合う。

東方憑依華

 作品のラストを飾る最終ステージには、音楽を奏でるバンドが居る。彼らの音色は観客を魅了し、その心に生まれた隙を狙い、悪い神霊が憑依しようと謀った。ライブの最中、巫女は超自然的な存在である妖怪と協力し、悪霊と対峙した。

 両者は「音楽が流れる場で、悪い霊と対峙する職能者」という点で共通していることがわかります。こうして比べてみると、そっくりですね。そっくりですね?

 これはもう、東方憑依華の最終ステージでは、シャーマンによって悪霊を追い出す儀式が行われていたと言わざるを得ません。東方憑依華は、シャーマンによる憑依の実践が行われていたのです! そういうことにしましょう!

まとめ

 それではまとめに入ります。

 東方憑依華において、ライブステージの観客たちは、演奏に夢中になるがあまり依神姉妹の強制完全憑依の被害に合いかけていました。八雲紫と共にそれを阻止した博麗霊夢ですが、その空間で起きていたことは、シャーマンが実践する儀礼と似通っていました。

 シャーマンは音楽とともに悪霊を追い払う儀礼を実践していましたが、博麗霊夢もまた、音楽とともに厄病神を追い払う儀礼、すなわち弾幕勝負を実践していたのです。

 これはつまり、シャーマニズムをモチーフとする作品の最終ステージが、シャーマニズムの儀礼を再演しているのだと言えましょう。

 ライブステージとライブ会場の環境は、シャーマニズムの文脈に沿えば憑依・脱魂を促す効果がありました。そして憑依華本編でも、あの場所では憑依が試みられたのです。

 この一致が意図的なのかはわかりません。単なる偶然かもしれません。作者の人、そこまで考えてないと思うよ案件かもしれません。

 ですが、シャーマニズムの文脈に沿って解釈できてしまったことは、確かな事実なのです。

 こうして東方憑依華とシャーマニズムの間には、プリズムリバーウィズHのライブステージをきっかけに、「憑依」という言葉に加え、シャーマンの儀礼の再演という共通点が加わりました。シャーマニズムとの結びつきは、より強固なものになったのです。

 これらはすべて、東方憑依華の最終ステージの舞台が、プリズムリバーウィズHのライブ会場であったからこその産物でしょう。

それでは、最後に例の問いに答えましょう。

Q.東方憑依華の最終ステージは、どうしてプリズムリバーウィズHの      ライブステージなの?

A.元ネタであるシャーマニズムの文脈に沿うと、ライブステージを取      り巻く環境は、完全憑依を促す装置として最適だったからです。

余談

 本稿では、シャーマニズムと東方憑依華のストーリーを「悪霊退治の場と、そこで流れる音楽」という構造に無理矢理落とし込むことで、両者の共通点を作り出しています。

 なのですが、実はこの構造はすべての東方原作に当てはめることができます。メタ的な視点ではありますが、プレイヤーたる我々から見れば、悪霊退治の場は自機キャラが訪れる場所(ステージ)ですし、そこで流れる音楽は原曲(ステージのBGM)だからです。

つまり、東方原作はすべてシャーマニズムの実践である!とも強弁できるというわけです。

 ただ、本稿はそこまで主張するつもりはありません。本稿の結論がカバーする範囲は、あくまで東方憑依華の最終ステージもしくは東方憑依華のみと考えています。少なくとも筆者はそのつもりで書きました。

 もちろん、本稿の内容に加えて物語論や神話学のエッセンスを盛り込めば、東方原作のすべてを包括した結論を導くことも不可能では無いように感じます。ですが、本稿が目指したものは、あくまで「シャーマニズム×東方憑依華」です。

 万が一、億が一のことではありますが、この記事の引用を考えてくださっている方がいましたら、上記のことを踏まえたうえで引用して頂けると、筆者冥利に尽きます。

あとがき

 本文がとてつもなく長くなってしまい、申し訳ございません。にもかかわらず、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。次があれば、その時はまたよろしくお願いいたします。

 それでは「完全憑依とシャマニズム」もしくは「戎瓔花を神様にしよう」のどちらか、あるいはまったく別の投稿でお会いしましょう。

引用文献一覧

  1. ZUN『東方文果真報』KADOKAWA 2017 51ページ
  2. 佐々木宏幹「シャーマニズム」『歴史学事典第11巻 宗教と学問』弘文堂2013 305ページ
  3. ウノ・ハルヴァ『シャマニズム1』東洋文庫2013 219ページ
  4. 内田るり子「音楽の側面から見たシャマニズムの諸相」『日本のシャマニズムとその周辺』日本放送出版協会1984 341ページ国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/12218384 (参照2024-01-16)
  5.  C.ブラッカー 著 ほか『あずさ弓 : 日本におけるシャーマン的行為』岩波書店1979 146ページ                    国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/12218011 (参照2024-01-16)
  6. 内田るり子「音楽の側面から見たシャマニズムの諸相」350ページ
  7. 同上
  8. 同上
  9.  ZUN『東方憑依華』黄昏フロンティア&上海アリス幻樂団2017 ストーリーモード「魔理沙&こいし」ステージ5
  10. 同上 ストーリーモード「マミゾウ&妹紅」ステージ2

コメント

  1. さくさく より:

    まず太陽の畑なので修正した方が良いかと