妖怪に敵対的な存在について

はじめに

よく(?)幻想郷における人間(霊夢などの特殊な存在などを除き)は妖怪を存続させる為に存在しているに過ぎない(求聞口授、8ページ)と言われたり弱者であると言われたり(これは筆者の意見だが)妖怪にとっては襲う対象でしかない(文花帖、55ページ)と言われたり。そこで私はあることを思った。

妖怪に敵対的な思想を持つ人間や組織がいる(ある)のではないかと。

文花帖における記述

人間の里で存在が噂されている秘密結社がある。その結社は幻想郷に住んでいた人間と妖怪の跡を調べ、幻想郷の秘密を解き明かそうとする集団だ。妖怪の活動範囲をも調べる事から、その活動は熾烈を極め死者も出ることがあると言う。
今回はついにその秘密結社のリーダーと名乗る人物と接触することが出来た。
秘密結社のリーダー甲さん(偽名)によると、結社を決意した理由はこうである。今の人間達は、なぜ妖怪の住む此処で暮らしているのか、そもそも幻想郷とは何なのか、先祖は一体どういう人間だったのか、と言うことを殆ど知らない。恐らく全てを知っている妖怪達を幻想郷から追い出して幻想郷を人間の物にするには、まず幻想郷の真実を知る必要があるのだ、という。
随分と自分勝手で人間らしい意見だったが、私を含む多くの妖怪達はこれを相手にしていなく傍観している。これに対し苦言を呈す妖怪もいる。そのうちの一人、上白沢慧音(ワーハクタク)の意見も聞いた。
「妖怪の恐怖を忘れ、幻想郷から妖怪を追い出そうと考える人間が居る事は非常によくない事だ。幻想郷は、今の妖怪と人間のバランスで保っている。ちょうど(半人半妖である)私の様に。この持ちつ持たれつのバランスを崩してしまうとあっという間に幻想郷は崩壊してしまうだろう。ただ妖怪は古いことも現在の事も同列に考える者が多いのに対し、人間は20年もすると新しい代に移り、記憶は薄まるばかりだ。これでは妖怪の方も張り合いがない。一方的に人間の方が妖怪から離れていってしまうからな。人間は、現在から歴史を探そうとするのではなく、歴史そのものを現在の事の様に伝え続けていく。その事の方が重要なんだ」
慧音さんは半分妖怪ながら人間に慕われ、時には人間の生活の手助けもしている。人間が子孫に歴史を伝えていこうとしていないから、危険な思想の結社が生まれるのだとするならば、歴史の学校を開くことも考えている、と語っていた(射命丸 文)

東方文花帖、54ページ

妖怪に対する敵対的な思想を紐解く場合、以下の記述が大きな参考資料となる。これは恐らくだが慧音が寺子屋を開く前の話で反妖怪主義(仮)に苦言を呈している場面である。

彼女は妖怪でもあるのでこのような考えになるのも無理はないのだが実際、反妖怪主義はこちらの世界における、具体的な名称を使うのは避けるが特定の人種に対する迫害に酷似しており、幻想郷の人と妖のバランスを崩しかねない存在と言われてしまっても仕方ないものである。大げさかもしれないが過激的な人類至上主義、全体主義へと「変貌」しかねない爆弾である(特定の人種に対する迫害という思想は将来的に全体主義と繋がりかねない。これも具体的な名称を使うのは避けることにする)

本来であればこんな組織、幻想郷の為に取り壊してしまった方がいいのだが何故残しているのだろうか。

事実上放置している理由

考えられる理由を挙げてみる。

不満を爆発させない為の「ガス抜き」としての存在

過度な取り締まりはかえって思想の過激化を招く。(これはWW1後のドイツに対する各国の対応等様々なケースを思い浮かべることができる)

不満を適度に吐かせておくことは結果的に安定に繋がる。そのように考えているのではないだろうか。もし過激化したら取り締まるぐらいで…。

人間を甘く見ている

ナズーリンではないが「人間を甘く見ていると死ぬよ?」と言いたくなるような理由。

しかし、しかしである。

「妖怪の活動範囲をも調べる事から、その活動は熾烈を極め死者も出ることがある」

この組織、自滅的な行動を繰り返していると言われても仕方ないので甘く見られてもしょうがない、かもしれない。文を含め多くの妖怪は相手にしていないようだし。

おわりに

妖怪に対する敵対的な思想というポリティカルな話題にもなりかねないこのテーマで考察記事を書いてみましたが如何だったでしょうか。拙い文章であることをお詫び申し上げるとともにここまで読んでくださったことに感謝を申し上げます。

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