赤べこの発祥の地と残無の関係

初めに

日本史だめだめ人間が書いた妄想レベルの話です。

背景

日白残無の元ネタは残夢とされ,会津の飯森山はさざえ堂の出口に鎮座しています。

 

さざえ堂は会津の実相寺によって建てられたとされ(さざえ堂の説明に書かれています),この寺には残夢も住したと言われます。

しかし,現代の実相寺は住宅街の中にある小さなお寺です。戊辰戦争で一度焼けてしまったのかもしれませんが,お世辞にも有名な寺とは言えないこのお寺に本当に残夢がいたのか疑問に思いました。

そこで,私は奥会津は柳津にある福満虚空蔵尊圓蔵寺に残夢はいたのではないかと考えました。

(図1さざえ堂の残夢の像,図2飯森山のさざえ堂,図3会津市街地にある実相寺)

圓蔵寺について

円蔵寺は大同2年(807)に徳一大師によって開創された臨済宗のお寺です。虚空蔵菩薩を祀っており,日本三大虚空蔵菩薩の一つとされています。

また,この寺は赤べこの発祥の地と言われています。江戸時代初期(1611年)に起きた会津地震で円蔵寺は倒壊してしまいました。そこで,より災害に強い巌上に本堂を移し再建することになりました。そのための木材を運ぶのに困っていたところを,赤い牛が現れた木材運搬を助けてくれたことが由来とされています。https://temple.aizu-yanaizu.com/faith/#faith

(図4円蔵寺)

以下に(こじつけレベルの)残夢(残無)との関連を述べていきます。

虚空蔵菩薩と”虚無を操る程度の能力”

円蔵寺は虚空蔵菩薩を祀っており,残無の”虚無を操る程度の能力”に通じるところがあります。

また,円蔵寺は臨済宗に属しており,臨済宗の僧侶である残夢が足を運んでいてもおかしくありません。

また,虚空蔵菩薩は,地獄の審判を行う10の仏である十王とその後の審判を行う3の仏を合わせた十三王の最後の仏です。残無が初出した獣王(十王)園や残無が地獄のトップであることと共通点があります。

十王 - Wikipedia

虚空蔵菩薩は「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」とされ,奇行に富む人物だったとされる残夢や地獄を支配するインテリ鬼である残無に通じるところがあります。

虚空蔵菩薩 - Wikipedia

円蔵寺と常陸坊海尊

円蔵寺の本堂に入って上の方を見ると,奉納された絵の中に源義経と弁慶が描かれた絵が二枚ほど見つかります。本堂内は撮影禁止なのでうろ覚えですが,片方はかの有名な五条大橋で牛若丸と弁慶がであった様子が描かれていました。(絵は直接撮影できませんでしたが,このサイトのヘッダ画像の左に片方の絵が写っています。https://aizu-yanaizu.com/feature/akabeko-legend/)

残夢と同一人物とされる常陸坊海尊は義経の家来であり関連しています。

また,住職に少し話を聞いたところ,二枚の絵のうち一枚は江戸時代に会津を治めていた会津松平家の関係者が奉納したとお聞きしました。

会津松平家の初代当主である保科正之は会津風土記を編纂し,その中で正之は富士を望む三保の松原で残夢と源平合戦について話し合ったという人物です。

正之は,死んだはずの残夢と対面したことで,残夢が源平合戦のころから生き続ける常陸坊海尊であると信じ,円蔵寺に義経・弁慶の絵を奉納したと考えると面白い話だと思います。

結論

円蔵寺と残夢(残無)の共通点・関連性は多少見出せましたが,残夢が円蔵寺に居た・訪れていたという決定的な証拠は見出せませんでした。

円蔵寺は震災で,実相寺は戊辰戦争でそれぞれ一度失われた?と思われるので,残夢の痕跡を追うのは難しいかもしれません

おまけ

私の出身地である福島は京から離れたみちのくであることもあり,あまり東方キャラの聖地が無かったのですが,最近は庭渡久侘歌や日白残無などが出てきて,少しずつ福島にも聖地が増えてきて嬉しいです。

聖地巡礼でさざえ堂のある会津若松に向かう際は,温泉あり絶景ありそして円蔵寺ありの柳津や奥会津にも足を運んでみてはいかがでしょうか

コメント