純狐さんの立ち絵には背後に大きなオーラが描かれています。一見すると紫色の火炎が七房に分かれたような形です。あるいは巨大な七本の尾のようにも見えます。
純狐さんの圧倒的な強者感を引き立たせる印象的なパーツですが、この紫色のオーラに何か特別な意味づけがなされているわけではなさそうです。設定上は特に何もないようですし、元ネタの中国神話の「純狐」にも七本の尾があったなどの伝説があるわけではありません。というわけで未詳です。よく分かりません。
よく分からないので逆に解釈の余地があります。そういうわけで今回は「純狐さんの背後にある紫色のオーラ」について考えていこうと思います。
二つの異なる説を思い付いたので、両説を併記する形でやっていきます。
「七(なな)=名無(なな)説」説
なぜ七本なのか考えていたところ、そもそも日本語の七(なな)の語源について、おもしろい説を見つけたので引用します。
なな【七】
数のななつ。「ななつ」の「つ」は数にそえていう助数詞。語源説としては、新村出説にツングース語の方言nadaの借用か、あるいは中国の無名指(薬指)をいう「名無(なな)」の意であろうかとするが、数詞は基本語とみるべきものであろうから国語を以て考えるべく、たとえば白鳥庫吉説の「竝無(なな)」、奇数の意とする説などをとるべきであろう。『新訂字訓[普及版]』白川静/平凡社 より
ここでは、中国語で薬指のことを「無名指」と呼び、それに因んで数の7を日本語で「名無(なな)」と呼ぶようになったのではないか、いう説が紹介されています。
著者の白川静はこの説を退けていますが、ともかく中国語で薬指のことを「無名指」と呼ぶことは間違いありません。また日本語の「なな」の語源がこの「無名指」だと考える説があるのも事実です。
純狐さんは「無名の存在」ですので、この「名無(なな)」と七本のオーラを結びつけて考えることが出来そうです。
「無名の存在」であるために「名無(なな)」であり、それゆえに背後に延びる尾形のオーラは七(なな)本なのである。
これが第一の解釈です。
「三魂七魄」説
第二の解釈は道教の「三魂七魄」を援用して考えていくものです。
道教の魂魄説では、人の霊魂は精神の気である「魂」と肉体の気である「魄」に大別できるとされます。
そして「魂」は更に「天魂、地魂、人魂」の三種に分けられ、「魄」は「尸狗、伏矢、雀陰、吝賊、非毒、除穢、臭肺」の七種に分けられると言います。
前者を「三魂」と呼び、後者を「七魄」と呼びます。両者を合わせて「三魂七魄」です。これが道教における霊魂の総体ということになるようです。(※三魂七魄のそれぞれの名称については異説が複数あります。ここで挙げたのはそのうちの一説です)
当考察ではこの「七魄」を純狐さんの七本のオーラとこじつけます。あの紫色の火炎のようなものは「七魄」が体外に放出されているものなのだ、ということにするのです。「魄」は気ですので、定形のないエネルギーみたいなものです。炎のような状態になっていてもおかしくはありません。
「三魂」の方はどう説明するかというと、こちらは体内に留まっているものと見なします。
体内に留まった「三魂」は、純狐さんのテーマソングである「ピュアヒューリーズ ~ 心の在処」に結びつけて考えます。
そもそも「ヒューリーズ」はギリシア神話の復讐の女神たちを意味します。復讐の女神たちは一人ではなく、多数いるとされますが、整った形では「アレークトー、ティーシポネー、メガイラ」の三柱の女神とされています。
「三魂」を、この復讐の三女神と同一視して考えれば「三魂七魄」の数字はつじつまが合います。
純狐さんの体内に留まる「三魂」は“復讐の三女神”つまり「ヒューリーズ」であり、「七魄」の方は体外に放出され、七本の尾形のオーラとして現れているという解釈です。
なお「三魂」は精神の気ですので「心の在処」と関連させることも出来そうです。
余談ですが、もし純狐さんが「三魂」や「復讐の三女神」に対応して三人に分身できたらヘカちゃんの真似しているみたいで可愛いですね。
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