明治前期の博麗神社にちゃぶ台は存在しない

幻覚度 2

※明治前期:本稿では、明治20年(1887)ごろまでを指します

結論

明治前期の博麗神社にちゃぶ台は存在していない。食事は箱膳で行われていたと考えられる。

←箱膳を用いた食事のイメージ

 

1.ちゃぶ台の歴史

 博麗神社のちゃぶ台といえば、鈴奈庵などで食事や会話シーンに登場する低い円卓である。ちゃぶ台は昔ながらの家具。そんな印象が強いのではないだろうか。
 しかし、史料によればちゃぶ台の一般化は意外と遅い。明治以前までは食事に箱膳が用いられ、明治期に西洋のテーブル文化が入り、ちゃぶ台が普及しはじめ、家族で一卓を囲む文化が広まっていった1。ちゃぶ台の原型とされる折り畳み脚の低座卓が登場するのは明治中期〜後期であり、最古級の記録として明治24年(1891)特許第1188号「卓子〈折脚〉」がある2。全国的な普及はさらに後、大正末〜昭和初期にかけてである3。

2.箱膳とちゃぶ台、どちらを使用していたか

明治前期の博麗神社では、箱膳が使用されていた可能性が高い。その理由は以下の通り。

①明治初期には未普及

 幻想郷は山奥にあるため、新しい生活家具の導入は都市部より遅れる。明治十年代にちゃぶ台が存在していたとしても、博麗神社にちゃぶ台が流通する可能性は極めて低い。

②社会構造と食事形態

 江戸時代〜明治初期の食事は銘々膳・箱膳が基本で、上下関係を前提とした場に適していた4。また、昭和に入っても、食事に箱膳を使用していた家庭は何軒か存在していたようである4。
 博麗家には従者的存在(宮出口家)がいたとされ、縦社会的な構造から見ても、食事をするのにはちゃぶ台より箱膳の方が自然である。

3.例外の可能性

 食事が常に箱膳だったとは限らない。作業用の座卓や縁側で菓子・煎餅を食べるといった場面は、明治前期でも成立し得る。

4.博麗神社のちゃぶ台はどこから来たのか

 勿論、外の世界からだろう。幻想郷への流入時期は不明だが、外の世界でのちゃぶ台衰退期(昭和40年代)以降に流入した可能性がある4。

5.おわりに

先代巫女の同人誌でちゃぶ台を描いてしまいました…(1敗)。
現代幻想郷なら時代問わず様々な道具がある、というような話を神主がしていましたが、明治前期の博麗神社を描くとなるとそうはいきませんよね。皆さんも気をつけてください…(戒め)

参考文献

1. 小泉和子(2002).ちゃぶ台の昭和.河出書房新社<らんぷの本>.pp91-93

2. 山口昌伴 (1991). 物質文化としての食卓: チャブ台の正体―その姿と形の変遷とその意味. p.148

3. 山口昌伴 (1991). 物質文化としての食卓: チャブ台の正体―その姿と形の変遷とその意味. p.160

4. 精華町教育委員会生涯学習課. (n.d.). 家族の食事スタイル 箱膳からちゃぶ台へ|コラム. せいか舎. http://seikasya.town.seika.kyoto.jp/essays/eat

 

 

 

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