ハルトマン『無意識の哲学』に挑む

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ハルトマン 『無意識の哲学』 に挑む
ハルトマン 『無意識の哲学』 に挑む オーサダハル

【目次】

  • 自己紹介
  • 古明地こいしと精神分析の関わり
  • 精神分析概説
  • ハルトマンとは誰か?
  • エドゥアルト・フォン・ハルトマンについて
  • ハルトマン哲学の背景
  •   カント
  •   フィヒテ
  •   前期シェリング
  •   ヘーゲル
  •   後期シェリング
  •   ショーペンハウアー
  • 『無意識の哲学』について

【スライド①】「知と愛は同一の精神作用である。物を知るにはこれを愛さねばならず、物を愛するにはこれを知らねばならぬ」 これは西田幾多郎が『善の研究』の中で語った言葉ですが、これほどわれわれに似つかわしい言葉もそうそうないと思います。誰を愛するにしても、これを知らなければならない。考察するというのは知ることの追求ですが、それ自体情熱的なまでの愛でもあります。知と愛が同一の精神作用であるとは、言い得て妙です。 今回、代理発表ということで、主催のあおこめさんに、この場をお借りして、謝辞を述べさせていただきます。対面で発表できないのは非常に残念ですが、この発表が皆さんの傾聴に値するものとなれば幸いです。

【スライド②】 この発表ではハルトマンの妖怪少女こと、古明地こいしの元ネタの掘り下げ、とりわけエドゥアルト・フォン・ハルトマンという哲学者の思想に迫ろうというものです。内容としては次のとおりですが、しかし50分でやらなければなりません。50分で名著です。 まず古明地こいしのモチーフになっている精神分析という分野について、次にハルトマンその人についてわかってる情報を整理してから、ハルトマン哲学の背景を総ざらいし、最後に『無意識の哲学』という書物に触れて終わりにしようと思います。

自己紹介

【スライド③】 自己紹介からはいらせていただきます。オーサダハル、趣味で哲学や哲学史をやってます。今回特に言及するのはドイツ観念論という、自分もこの発表で念頭に置くまではほとんど注目していなかった分野になりますので、素人の考察ということで眉唾ものとして見ていただければ幸いです。

古明地こいしと精神分析の関わり

【スライド④】 「ハルトマンとは誰か?」という問いを始める前に、古明地こいしがジークムント・フロイトの「精神分析」をモチーフとしたキャラクターであることを確認しておこうと思います。精神分析とはフロイトが創始した心理療法の理論です。精神分析学ともいいます。いわゆる心理学者です。

【スライド⑤】。 まず、地霊殿のスペルカードを見てみましょう。表象とは「意識の現れてくるもの」という意味で哲学、心理学、認知科学で使われてきた用語であるし、パラノイアとは偏執病、イド(エス)やスーパーエゴ(超自我)、無意識はそれぞれフロイトが提唱した重要な用語ですし、またロールシャッハはフロイトの流れを汲んだ精神分析家の名前です。

【スライド⑥】 心綺楼には本能「フロウディアン」というのが出てきますが、これはフロイト主義者を意味します。 古明地こいしがフロイトの精神分析をモチーフにしてることは自明のものとして判断した上で、これから先の議論を進めたいと思います。

精神分析概説

【スライド⑦】 さて、精神分析における無意識について説明しておきます。フロイトは無意識を発見したと言いました。そしてその理論体系として精神分析という新しい分野を創始したことも。 普段からわれわれは、意図せずやった行為を「無意識でやった」と言いますが、そもそもそうした使い方で無意識と言うこと自体がフロイトの発明であるのだから、二十世紀以降のわれわれはフロイトの思考の影響下から逃れられなくなっていると言えます。 フロイトは無意識がよく現れてくる場面に、錯誤行為を挙げます。いわゆる言い違い、聞き違い、書き違い、読み違いです。言い違いに照準を定めてみましょう。例えば、意図された言葉とは逆の言葉が口をついて出る例。議会の議長が開会の挨拶に「議会の閉会を宣言します」というのがそれです。フロイトはこれに、次のような解釈を加えます。それはとてもシンプルなものです。 曰く「この言い違いの意図はまったく明らかで、議会を早く閉じてしまいたいと思っていたのが、この話そこないの意図であり意味である」と。もちろんこれだけでそう結論したというわけではありません。精神分析入門を読んでいただけるとわかりますが、フロイトは錯誤行為という錯誤行為の、大量の事例を列挙してるのです。それはもう気が遠くなるくらいには。

【スライド⑧】 では、なぜ無意識的なものは普段から現出しないのかという問いが残ります。そこでフロイトは「抑圧」があるのだと語ります。この無意識的なものが、当人にとってストレスであることは容易に想像できますが、そうした欲望を抑圧する番人がいるのです。抑圧する主体である前意識という番人は、意識と無意識の中間に位置します。 精神に不調をきたす病気を神経症と言いますが、神経症の患者が苦しむのは、過去の心的な外傷の記憶を忘却しているからです。ですからフロイトの精神分析は、神経症の症状を患者の記憶の想起によって解消します。無意識的な欲望を意識化することが、神経症の寛解につながるのです。当然、現代の心理学的・精神医学的観点から正しいかと言われればそれも違うでしょうが。 またフロイトは無意識がよく現れる例に、夢を挙げます。そして先に言及した抑圧の原理を、この中に導入することができます。夢というのはいつだって意味不明な内容としてわれわれの前に現れますが、これは中途半端な検閲によってそうなるものです。検閲と言葉を変えて言いましたが、事態は抑圧と同じです。フロイトは夢を、無意識的なものの願望の充足としています。例えば飢餓状態にある兵士が、塹壕の中で見る夢は、その空腹を満たすようにたらふくご馳走になる夢を見るはずです。夢とは、睡眠がいくらか緩やかにした、抑圧による検閲を経て、意識に現れるもののことを言うのです。精神分析の目的は、検閲された夢の本性を、夢の解釈によって知ること。検閲される前の夢の状態を「潜在夢」と呼びますが、これを明らかにすることです。 このように、無意識はそれ自体広大な領域を占めるものです。「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」とはフロイト自身の言葉です。

【スライド⑨】 無意識と意識の関係について、フロイト自身の著作から引用します。「無意識の組織体系を一つの大きな控室にたとえ、その中でたくさんの心的な動きが個々の人間のようにせわしく動き回っていると考えるのです。この控室には、さらに第二の、それよりは狭い、サロンとでもいうべき部屋が続いていて、そこには意識も腰をすえています。ところが、二つの部屋の敷居のところには一つひとつの心的な動きを監査し、検閲する一人の番人がいて、自分の気に入らないことをするものはサロンに入れません」

【スライド⑩】 心的構造は「意識-前意識-無意識」の三者による関係です。ここまでが局所論と呼ばれる三者関係の説明です。夢の本性が「欲望の充足」にあったことからも、フロイトのスタンスとしては、人間に根本的に存在する欲動は、自己を保存する欲動、自己保存欲動と考えました。 しかし、この仮説は崩れることになります。きっかけは第一次世界大戦です。戦争神経症の特徴は、負傷した経験など、不快な経験が反復して想起され、繰り返し苦しむことにありました。夢は必ずしも欲望の充足ではないということがわかったのです。では彼らは何を欲望しているのか? この問いに、フロイトは「死を欲望している」と答えます。死の欲動、デストルドーあるいはタナトスとも言いますが、すべての生命体の目標は死であるという仮説に基づいた欲動です。『人はなぜ戦争をするのか』というアインシュタインとの書簡をまとめた本の中では、この死の欲動の概念を持ち出しています。つまり破壊衝動、攻撃衝動であるというわけです。これが外部に向けばいわゆるサディズムとなり、エロス的欲動と結びつけばマゾヒズムになります。このように、無意識と暴力的なものの関係は、容易に見出すことができる。

【スライド⑪】 さて、従来の説を覆さざるを得なかったフロイトは、第二の審級を導入することになります。構造論です。構造論は「スーパーエゴ – エゴ – イド」の三者関係です。スーパーエゴは超自我、エゴは自我、イドはエスとも呼ばれます。イドもエスも非人称代名詞の「それ」という意味です。イドはラテン語で「それ」、エスはドイツ語で「それ」です。。「超自我 – 自我 – エス」の方がスタンダードなので、こちらで呼ばせてください。なお、局所論では抑圧の主体は前意識とされていましたが、これが構造論では自我および超自我になります。当然われわれは普段から何を抑圧しているかを知り得ません。ですから抑圧の主体である自我と超自我はそれ自体無意識的なものになります。 エスは無意識に、ほぼ置き換わることになります。エスには抑圧されたものが含まれますが、先のように抑圧されない欲動もある、相違点はこれくらいです。スペルカードにある「イドの解放」とは、欲望・欲動の解放と言えます。フロイトは自我とエスの関係を馬と騎手に例えています。自我はエスに対して、自分を上回る大きな力を持つ馬を、御す騎手のように振る舞う。しかし、エスという馬から振り落とされなければ、馬が進みたい道を行くしかない場合が多い、と。 超自我、スーパーエゴはエスを抑圧する自我を抑圧します。良心やら罪悪感やら、道徳的な指針というのが表現としては近いです。だから、自我は超自我とエスのあいだで揺れ動くことになります。理性対欲望というように表現されるような状況です。超自我が過度に厳格である場合に、患者へもたらされるのがうつ病です。心を閉じる要因として良心以外の呵責が考えられるでしょうか。この超自我、そして自我についてはそれ自体無意識的なものであるとは、フロイトが認めているとおりです。彼女は知っている、彼女が彼女自身の主人でないことを知っている。そして彼女は彼女自身を抑圧してもいる。なぜ誰も彼女に気付かないのか? 彼女はエスであるとともに、超自我でもあるからです。無意識とは何もエスや欲動だけではありません。超自我という審級も同様に無意識に属しているのです。彼女が知覚されえないのはそのためでしょう。彼女が操るのは無意識の中でも抑圧に関わる超自我という審級であるからです。

ハルトマンとは誰か?

【スライド⑫】 さて、「ハルトマンとは誰か?」 この問いから始めてみたいと思います。ハルトマンはドイツ語圏で見られる姓名ですから、モチーフとして当てはまる人物は多いでしょう。ニコライ・ハルトマン、ハインツ・ハルトマン、エドゥアルト・フォン・ハルトマン、この三人を主に検討したいと思います。

【スライド⑬】 ニコライ・ハルトマンはドイツの哲学者で、初期はカント派、あとの方には現象学の影響を受けていますが、新カント派も現象学も大方フロイトが創始した精神分析とは関わりがありません。なお現象学についてはマルティン・ハイデガーの影響を受けたルートヴィヒ・ビンスワンガーやメダルト・ボスによる現存在分析などがありますが、ニコライ・ハルトマンはその気がなさそうなので除外して良いでしょう。

【スライド⑭】 ハインツ・ハルトマンは自我心理学の祖です。彼の理論は精神分析の中でも自我の概念を重視したものですが、懸念が一つ。

【スライド⑮】 先に述べたとおり、フロイトが発表した心的構造の図式には大きく二つがあり、それぞれ局所論と構造論と呼ばれます。局所論は〈意識-前意識-無意識〉、構造論は〈スーパーエゴ(超自我)-自我-イド(エス)〉の三者関係です。スライドには両方ミックスされてます。この構造論は局所論よりも後の時代に発表されたので、「構造論は局所論を乗り越えた」として、局所論を研究する必要はないと認識していた精神分析家がいました。これに反対した精神分析家もおり、例えばジャック・ラカンがそうです。彼は無意識を軽視しつつあった精神分析界を厳しく見ていました。 そうなると、ハインツ・ハルトマンは無意識の概念を軽視していたわけです。「無意識を操る程度の能力」の持ち主である古明地こいしのモチーフとして、ハインツ・ハルトマンが正しいかと言われれば疑問が残ります。

【スライド⑯】 エドゥアルト・フォン・ハルトマンはドイツの哲学者です。彼は1869年に『無意識の哲学』という著作を発表し、そこで自らの立場を「無意識者」として掲げています。加えてフロイト以前の人です。「無意識を操る程度の能力」の持ち主である古明地こいしにぴったりのモチーフであるといえるでしょう。今後はハルトマンといえばこのエドゥアルト・フォン・ハルトマンのことを指している、と考えてください。

エドゥアルト・フォン・ハルトマンについて

【スライド⑰】 ここからはエドゥアルト・フォン・ハルトマンについて、わかってる情報を掘り下げていきます。まず、著作の邦訳が一切ありません。解説書の類いは上田光雄『ハルトマンの無意識の哲学』の一冊だけ、それも初版1948年の古書です。また、ハルトマンを主題に扱う論文もまばらで、その中で言及されるJ・C・ヴォルフというハルトマン研究者は、「未だしかるべき研究はなされていない」と述べています。唯一の救いとして、オグデンによる英訳版はオンライン上でPDFで読むことができます。上田光雄の著書も、国会図書館に利用登録しておけばデジタルで読めます。

【スライド⑱】 では思想史におけるハルトマンを取り出してみましょう。『エスの系譜』に言及がありました。引用です。「軍人の息子として生まれ、自身も十六歳で近衛隊に入ったハルトマンは、膝に持病を抱えて除隊を余儀なくされた1865年以降は、哲学に専心した。持病ゆえに、職に就くことなく執筆活動に専念したハルトマンの名をとどろかせたのが『無意識の哲学』である。森鴎外が1887年に留学先のベルリンで手に入れ、「これが哲学といふものを覗いてみた初で、なぜハルトマンにしたかといふと、その頃19世紀は鉄道とハルトマンの哲学を齎したと云った位、最新の大系統として賛否の声が喧しかったからである」と回想したこの著作は、ベストセラーとなって一世を風靡した」 先に言及した上田光雄はハルトマン哲学の流行を、「第一次世界大戦後シュペングラーの『西洋の没落』が巻き起こしたセンセーションを想起せしめる」としながらも、「大学の哲学教授連中が眉を顰めたのも無理はない」と言っています。どうやらハルトマン哲学は、学術的な意味で支持を受けたのではなく、世俗的な流行によって地位を固めたものらしいのです。とりわけ彼の悲観主義的な世界観が、退廃的な雰囲気の漂う19世紀末にちょうど支持されたというわけです。 もう一つ、無名になった要因として、ニーチェが彼を批判したことも、妥当なものとして推測できます。1874年、『無意識の哲学』から5年後に、「生に対する歴史の利害について」という論文の中でハルトマンを批判しています。その中でニーチェは、ハルトマン支持者たちを「時流にかなった教養の屑ども」と呼んでます。

【スライド⑲】 ハルトマンは『無意識の哲学』の緒論で、次のように言います。「バスティアンが彼の『比較心理学への寄与』を次の言葉で始めるとき、私たちにとって未知の存在のように働くヴントの無意識的な魂を鮮明に想起させる。「私たちが考えるのではなく、それが私の中で考えることは、私たちの中で起こることに注意するのに慣れている者にとっては明らかだ」。この「それ」は、しかし〔…〕無意識の中にある」 バスティアンはドイツの民俗学者、ヴントは心理学者ですが、そこは注目すべき点ではありません。問題は「私たちが考えるのではなく、それが私の中で考える」という部分です。錯誤行為の例の話を思い出しましょう。言い違いをするとき、われわれはそれが自分の言ったことではないことを自覚するのでした。私が喋るのではなく、それが私の中で喋るというような経験を、錯誤行為は教えてくれます。そして、フロイトの構造論で、エスという概念が登場したことも思い出してください。エスとは非人称代名詞、ドイツ語で「それ」という意味を、ラテン語の場合はイドがその意味を持ちます。「「それ」は〔…〕無意識の中にある」、まさにフロイト的なテーゼのように思えます。

【スライド⑳】 若かりし日のフロイトは、ヨハネス・フォルケントという哲学者の見解を支持していました。フロイトは夢の研究をしていたと先に述べましたが、ちょうど世紀の節目、1900年に『夢判断』という著作を発表しています。フロイトにとっても、ハルトマンは決して無縁な存在ではありませんでした。その中で多くの夢の事例が引用されるフォルケントの『夢空想』は、後に詳しく言及するヘーゲル、ショーペンハウアー、そしてほかでもないハルトマンに依拠した著作だったからです。 さらにフロイトは『夢判断』の中でこうも述べています。「私が、エドゥアルト・フォン・ハルトマンがこの心理学的に重要な点について私と同じ見解を執っているのを知ったのは、かなりのちになってからのことであった」 しかしエスという概念を導入するにあたってフロイトが年頭に置いていたのはハルトマンではなく、ハルトマンの批判者であるニーチェでした。フロイトはニーチェに倣ってエスという語を用いた。ですからハルトマンからフロイトへ至る道が一本の整った流れであると主張するのは難しいでしょう。

【スライド㉑】 さてハルトマン『無意識の哲学』という書物の企図は、序文に宣言されています。以下引用です。「私の体系とは、シェリングの積極哲学から原理的学説の指示を、シェリングの初期体系から無意識の概念の指示を得て遂行された、ヘーゲルの明らかな優位の下におけるヘーゲルの体系とショーペンハウアーの体系の総合である」 皆さん、どうか卒倒なされないでください。まったくの意味不明ではありますが、一つ一つ読み解いていきましょう。重要なキーワードが四つ出てきます。まずシェリングの積極哲学と原理的学説、続いてシェリング初期体系の無意識の概念、さらにヘーゲルの体系、最後にショーペンハウアーの体系。 この後で、本腰を入れてこの序文の意図を理解するという作業をしますが、そのついでにこれらの哲学者、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアーのそもそもの哲学的背景についても言及するので、ハルトマンとは直接関係がないものばかり登場します。というかここまで来るとどこも東方とは関係がありません。

ハルトマン哲学の背景

【スライド㉒】 まずこれから話すハルトマン哲学の背景について、全体像を先に提示しておきます。登場人物はカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアーです。この中ではカントが一番最初に登場する人で、ほかの四人はこのカントの影響を受けて登場します。その中でもフィヒテ、シェリング、ヘーゲルはドイツ観念論と呼ばれ、カントに真っ向から対立した哲学者たちです。一方ショーペンハウアーという人はカントの立場を温存したまま継承し、独自に発展させたという形になっています。この人たちは非常に重要な立ち位置にいると言えて、例えばショーペンハウアーを継承した人にニーチェがいますし、ヘーゲルを継承した人にはマルクスがいます。いずれも現代思想の源流です。

カント

【スライド㉓】 まずはカントです。この人は何を言い出したかというと、「人間の理性には限界がある」ということです。例えば「神はいるのかいないのか」とか「魂はあるのかないのか」とか「死後の世界はあるのかないのか」とか「宇宙に始まりはあるのか」とか「世界は有限なのか無限なのか」という問いについて、カントの主張は知れる、知れないではなく「知ることができない」というものです。そういう超次元の世界の話は実際に経験してみなければわからない。カントは死後の世界がないといってるわけじゃなくて、仮にあったとして、でも経験できなければ知れたとは言えず、したがって死後の世界の有無は経験できないので知ることはできない。だから、世の中に蔓延る「魂はない」とか「死後の世界はない」とか「神はいない」という主張は、カントに言わせれば「理性が暴走してる」ということになります。

【スライド㉔】 思考が思考に、理性が理性に歯止めをかけさせなければ、思考や理性の健全さは保てないという思いがカントにはありました。「知ることができない」という結論は現実的で妥当ではありながらも、何か歯切れの悪いものを感じさせるし、理性が理性に歯止めをかけるなど、不自然な試みです。カント以後のドイツ観念論がそうでした。真偽の見定めがたい領域にこそ、思考は進んで乗り出していこうとします。ドイツ観念論の大成者であるヘーゲルはこう言います。 「哲学は経験のなかからはじめてうまれてくるとはいえるけれども、しかし、じつのところ、思考はその本質からして、直接に目の前にあるものを否定していくものなのである」 思考はその本質からして、目の前にあるものを否定していく。ここから、ヘーゲルがカントを乗り越えることを目標としていたことがわかります。

フィヒテ

【スライド㉕】 フィヒテに話を移します。フィヒテは〈私〉という存在の不思議さについて語ります。〈私〉というのは指し示すことができないといいます。自分のことを〈私〉と言った人を指差すと、その人はそのとたんに「君」とか「彼・彼女」になってしまい、〈私〉ではなくなってしまいます。それではその指を180度回転させて、自分自身を指差せばどうなるでしょう。しかし、指差したどの部分が一体〈私〉なのか。では、いま自分を指差した瞬間に腕が爆発し、腕全体が失われれば〈私〉は〈私〉でなくなったり、〈私〉というありかたが損なわれたりするでしょうか。そんなことはありません。 そんなこんなで、フィヒテは〈私〉を「自ら振り返る行為」と不可分であると考えます。「私」は、自分が自分を対象化して、対象化された自分を自分として認知するときにはじめて存在することになる。こうした運動の全体こそが〈私〉の心の存在である。

【スライド㉖】 そんでもって、フィヒテは〈私〉という概念が表現するのは「自由」の概念と同じであると言います。なんのこっちゃという具合ですが、フィヒテのいう自由というのは、ちょうどその時代に起きたフランス革命に由来します。フランス革命は、旧来の伝統的な王政に対して、王権や強制といった「拘束からの自由」という理念を共有していました。しかし、これから国を作るのに「拘束からの自由」というわけにはいきません。それを地で行けば無政府状態が自由になってしまいます。なので、自由という概念を転換する必要があるわけです。そのために打ち上げるのが「拘束への自由」です。例を挙げるなら、交通法規がそうです。交通法規を守らないことは自由とは言われません。われわれをわれわれたらしめるもの、それが「拘束への自由」です。

【スライド㉗】 だからフィヒテは「私」という概念が表現するものは「自由」の概念であると言います。〈私〉とは自ら振り返る行為と不可分であるのならば、〈私〉は〈私〉であることでしか行為することも認識することもできないということになります。〈私〉という自由は、人間の本質的な存在形態なのであり、人間は自由というありかたでしか存在できない。

初期シェリング

【スライド㉘】 次、初期シェリングです。若きシェリングは、1794年と95年に発表した二つの論文「哲学の諸形式」と「自我について」で、フィヒテの哲学を完全にわがものとしていました。フィヒテはこの論文があまりにも見事だったので、シェリングこそ真の後継者であると認めたといいます。このときシェリング弱冠20歳です。ガチの天才です。しかしシェリングはすぐにフィヒテと袂を分かち、独自の哲学を展開するようになります。 では、シェリング初期体系の無意識の概念とは何なのか。フィヒテによれば〈私〉とは自ら振り返る行為と不可分であるのでした。シェリングは、この運動そのものは私の意識以前の活動、つまり無意識的活動だといいます。これは確かにそうで、だって私という存在をいちいち確認してる人なんていませんから。人間の本質が自己意識にあるとすれば、この自己意識は無意識的活動なので、活動の主体は人間ではなくなります。むしろ人間はこの活動によって初めて人間になる。人間を生み出す無意識的な生産力は「生命活動」である。

【スライド㉙】 それで、フィヒテによれば自由とは「拘束への自由」であり、〈私〉が表現するのは「自由」の概念なのでした。しかしシェリングのいうように、〈私〉の働きは無意識的な生命活動なのであれば、自由なのは〈私〉ではなく、それも全部ひっくるめた「自然」そのものであるはずです。 つまり、自分を対象化し、対象化されたものによって自らをあらわにするという仕方で存在しているものは「自然」であることになる。そして、生命とはそういう仕方で存在してるとシェリングは言います。例えば、まもなく花を咲かそうとしてる樹木を、われわれは物理的な対象として見ることができます。その場合樹木は事物として存在しています。しかし、われわれが樹木の花開く瞬間を見るなどして、「生きているもの」として見た瞬間、われわれは直接にはあらわにならないものをそこに見ることになります。生命の息吹です。しかし、生命はそこに直接あるわけではない。生命は樹木を樹木たらしめていますが、しかし樹木に背後にあるわけではない。操り人形の背後に人形使いがいるというように考える人はいない。生命とは、つねにみずから外に踏み出すことによって他者を生かしめ、自分が生かしめた他者においてはじめて自分を示すような運動なのです。

【スライド㉚】 シェリングによれば、自由なのは人間だけでなく、自然もまたそうである。ただ違うところは、人間の自由がフィヒテ流の、〈私〉なる自己意識というかたちをとるのに対して、自然の自由の運動は無意識的であるということです。であれば、自由の体系とは、自然が死んだ物質から有機体を生み出し、最後に人間を生み出すことによって完結する過程でなくてはならない。この「自由の体系」をシェリングは「自然史」と呼びます。 しかし「自然史」が、「自然がわれわれの意識と根源的に同一であることがあきらかになる」過程であるならば、逆に言えば、人間の自己意識が人間の主観にだけ閉じ込められた孤立した存在ではなく、自然的世界を自らの材料としていることが明らかになる過程でもあります。人間の自己意識は自らを外に置き、自然のうちに客観化できる。 そうなると、自然とは無意識的なものから意識的なものを出現させる自由であるのに対して、精神は意識的なものから無意識的なものを出現させる自由の運動であり、「自由こそがすべてを担う唯一の原理」ということが明らかになる。

ヘーゲル

【スライド㉛】 次、ヘーゲルの体系です。ざっとヘーゲルの体系としか言及されていないので、ヘーゲルについてざっと触れる程度にしておきます。 ヘーゲルといえば弁証法です。例えば「種から芽が出る」というのを、ヘーゲルはあえて「種が否定されて芽になる」と表現します。否定というのはようは、ある一つの事態に対してすべてをぶち壊しにするような否定を想定します。そしてこの否定によって新しい形態へと変化する。このような対立が変化や運動の原動力になると考えます。まあオタクで例えればある解釈Aとそれに矛盾する解釈Bをぶつけて解釈バトル、推しに関するより優れた解釈Cを生み出す、この運動をアウフヘーベンと呼びます。より優れた、と言いましたが、ヘーゲルはこの弁証法がより上位のものを生み出すのだと考えています。

【スライド㉜】 ヘーゲルはこの弁証法をさらに壮大な場所で展開します。世界史です。先ほど言いましたが、ヘーゲルたちの時代にはフランス革命が起こり、そこで新たな時代に向けて機運が高まっている、と思ったのでしょう。実際、この革命は従来の神や王への服従に対して、人間の理性による勝利を象徴するような出来事でしたから。この時代を啓蒙主義の時代と言うことができますが、カントは啓蒙という言葉を「人間の未成年状態からの脱却」であると言っている。それに、このときイギリスでは産業革命が起こり、フランスもそれに続くような機運が高まっていました。それでヘーゲルも、革命を目の当たりにし、より希望に満ちた、より上位の時代がせまっていると確信したのでしょう。

【スライド㉝】 ヘーゲルの哲学的態度として際立っているものとして、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というのがあります。理性的な思考を働かせることで、われわれは現実の奥の奥まで認識することができるということです。これは例えば、ヘーゲルの自然観に如実に表れています。ヘーゲルは自然を、「理念が自分にふさわしからぬ形をとってあらわれたものである」と言い、ありのままの草木のような自然は、人の手が入っていない中途半端で調和していないものとして考えます。

後期シェリング

【スライド㉞】 次、後期シェリング、積極哲学の原理的学説ですが、わかりませんでした。なので先に進みます。

ショーペンハウアー

【スライド㉟】 最後がショーペンハウアーです。彼はヘーゲルが理性を重視したのに対し、非理性的なものを重視します。ショーペンハウアーはそれを「意志」と呼んでいます。意志といっても、普段からわれわれが使う「意識して意欲する」としての意志とは意味が異なることに注意しなければなりません。この「意志」は「盲目的な意志」とも表現され、非理性的かつ非合理的で、混沌としたものであり、人間や世界を無目的に駆り立てる衝動です。これは欲望を想定していただければちょうど良いかと思います。もっと言えば「植物において発芽し、成長を促す力も意志、結晶が形作られる力、磁石を北極へ向ける力、〔…〕その上とどのつまりあらゆる物質において強力に働いている力〔…〕は意志である」というわけです。

【スライド㊱】 ショーペンハウアーの人生観を端的に表した言葉に、アリストテレスの「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」というのがあります。つまりショーペンハウアーは世界の本性を苦悩に満ちたものだと考えました。苦痛がデフォルトなのだから、快楽とはつまり苦痛の少ない状態であるということです。ではどうすればいいのかといいますと、ショーペンハウアーは苦悩からの解脱を説きます。具体的には音楽をはじめとする「芸術」に触れることで苦悩を軽減できるといいます。解脱というと仏教みたいですが、実際ショーペンハウアーは仏教やインドの哲学に影響を受けた人です。

『無意識の哲学』について

【スライド㊳】 さてこれまで長かったですが、では『無意識の哲学』とは何か。高橋昌一郎『知性の限界』という本にハルトマン哲学の説明があったので、ここに引き出してみます。ハルトマンが最も影響を受けたのは、ショーペンハウアーの悲観主義哲学でした。ショーペンハウアーの後継者だと自他ともに認めていたハルトマンは、さらに徹底した悲観主義者であったようです。引用します。 「ハルトマンはショーペンハウアーの「盲目的意志」の概念を受け継いで、人間は「無意識」に支配され、その無意識が三つの幻想を抱かせると考えました。それらは①人間は現世で幸福になる、②人間は来世で幸福になる、③科学の発展によって少なくとも人間世界は改善されている、という欲望です」 「ハルトマンによれば、現世には幸福がなく、幸福な来世もなく、科学の発展が人間世界を改善することもないのです。こんな世界で生きていく必要があるのか、むしろ人間は自殺するほうが良いのではないか、と彼は考えます」 「しかし、個人が自殺しても、本質的な問題は解決されません。というのは、ハルトマンによれば、人間は巨大な「宇宙的無意識」の一部であって、人間は宇宙内部で進化するにつれて、「宇宙的意識」へと発展するように位置付けられた存在だからなのです」 【スライド㊴】 「要するに、人間は苦悩するために存在しているのであり、消滅するに越したことはないのですが、仮に全人類が自殺したとしても、数億年もすれば、再び「宇宙的無意識」は新たな人間を地球上に生み出して、彼らが再び苦しまなくてはなりません」 「それでは、人間はどうすればよいのか? ハルトマンの結論によれば、人間はできる限り進歩的な精神をもって、科学を発展させるべきなのです」 「彼が科学を発展させるべきだと言っているのは、人類を幸福に導くためではなく、人類があらゆる知識をもって「宇宙的無意識」を「宇宙的意識」に進化させ、宇宙が二度と生命を生み出したりしないように、絶対的に宇宙そのものを消滅させる方法を見つけるためなのです」 どうしてこうなった。いろいろとツッコミどころはあるでしょうが、しかし、ショーペンハウアーだけでなくシェリングやヘーゲルの発想も、この中に認めることができそうです。

【スライド㊳に戻る】 一枚目上と真ん中ではショーペンハウアーの悲観主義的発想が色濃く反映されています。 次に下、「人間は巨大な「宇宙的無意識」の一部であって、人間は宇宙内部で進化するにつれて、「宇宙的意識」へと発展するように位置付けられた存在」であるとは、シェリングの自然史の概念を彷彿とさせます。自然が死んだ物質から有機体を生み出し、最後に人間を生み出すことによって完結する過程を、シェリングは自然史と呼ぶのでした。

【スライド㊴に戻る】 二枚目真ん中、「人間はできる限り進歩的な精神をもって、科学を発展させるべき」からはヘーゲル的な上位の存在に絶えず発展し続ける進歩史観、楽観主義が見て取れます。ヘーゲルによる弁証法的な発想です。ここで、ハルトマンが『無意識の哲学』の序文に書いた言葉を思い出しましょう。それは「ヘーゲルの明らかな優位の下におけるヘーゲルの体系とショーペンハウアーの体系の総合」でした。ヘーゲルの明らかな優位とはまさにこのことです。ショーペンハウアーのいう「意志」を克服するものとしてのヘーゲルであるのです。彼がヘーゲル主義者であったことは、『無意識の哲学』の末尾からもわかります。引用は『知性の限界』から。 「実際に〔…〕『無意識の哲学』を読むとおわかりになるでしょうが、彼はいつか人間が科学的に進歩することによって「宇宙的無意識」を「宇宙的意識」に進化させ、宇宙そのものを永遠に消滅する方法を発見するに違いないと心の底から信じていました。ですから、彼の作品は、とても悲観主義者とは思えないほど幸福な調子で終わっているのです」 なるほど、森鴎外が「19世紀は鉄道とハルトマンの哲学をもたらしたといったくらい、賛否の声が喧しかった」と言ったのも、「大学の哲学教授連中が眉を顰めた」のも、当然の内容です。そしてこの本が世俗による熱狂的な支持を受けたのも納得がいきます。上田光雄『ハルトマンの無意識の哲学』にも、同様の記述があります。 「究極目標は存在の揚棄[アウフヘーベン]であるにしても、そのための手段はむしろ世界の進行に積極的に参加し、その速度を早めることにある」 揚棄とはアウフヘーベンのこと、つまり存在に矛盾するアンチテーゼをぶつけることで非存在へと昇華させること、それこそがハルトマンの狙いでした。

【スライド㊵】 まとめです。『無意識の哲学』とは何だったのか? その目的は「宇宙を滅ぼすために科学を発展させるなど、世界の進行に積極的に参加する」という壮大なものでした。

【スライド㊶】 以上です。ご清聴ありがとうございました。

本稿は、第14回東方発表会で「ハルトマン『無意識の哲学』に挑む」を再録したものです。

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