姫海棠家は名門か

幻覚度 8

 姫海棠はたては実はお嬢様なのではないか。

 そんな話がたまにファンの間で語られることがあります。原作で明確に描かれてはいませんが、そう考えると奇妙に符合するところが多いので魅力的な説です。

 筆者はこの「姫海棠はたてお嬢様説」が好きなので、そのように解釈できる要素を集めて自分なりにまとめてみました。今回の記事はそういう趣旨のものです。

 この「お嬢様説」自体はだいぶ前から言われていることですが、いくつか思いついたことを付け足したつもりなので、多少は新奇さもあろうかと思います。ただし後半はかなり幻覚度高めですのでご了承ください。(前半は幻覚度6、後半は幻覚度9くらいのイメージです)

作中要素からの解釈

外見

紫色の貴族感

 はたては兜巾のほか、服装が全体的に紫色です。ここから高位の貴族なのではないか?と想像されることがあります。紫は有名な冠位十二階で臣下としては最高位の色ですし、その後の位階でも上位の色であり続けました(*1)。今でも紫は高貴な色という印象が強いです。

 天狗社会は上下関係が厳しいので、兜巾の色は冠位十二階などのように身分による色分けをしているという可能性があります。あくまで可能性ですが、文や椛などの一般天狗が赤である上に『虹龍洞』で登場した飯綱丸が青だったことから、その解釈はより「らしく」なった感があります。

服装的な特徴

 色以外の外見的な特徴を挙げていくと、ウェーブのかかったツインテールに、市松模様のミニスカート、ハイソックスにスクエアタイなど、全体的に今どきのお嬢様っぽい要素が目につきます。おてんばな印象と同時に品の良さを感じさせる絶妙なデザインだと思います。超かわいいですね。こういったところからも名門の子女なのではないかという想像が膨らみます。

名前

「姫海棠」のお嬢様感

 はたてのお嬢様感は、その名前からも感じられます。まず「姫海棠」という姓がどことなくお嬢様っぽいです。個人的には三千院とか西園寺とか、そういった語感に近いものを覚えます。

 元となったのはズミという植物の別名「姫海棠」だろうと思われます。そんなに有名な植物ではありませんが、桜に似た美しい花を咲かせる種です。花言葉が「追憶」であることから「過去に撮影された写真を映す」はたての能力を暗示しているとも考えられます(*2)。

 このズミは染物に使われることもあったことから、染(ずみ)という語源説があるようです。雅で華やかな名前は、なんとなく名門貴族にふさわしいようでもあります。

「海棠」は楊貴妃の美称

 また、姫海棠と続けて読まず、あえて「姫+海棠」と分割することで新たな解釈を施すことも出来ます。

 海棠は唐の玄宗皇帝が、楊貴妃を喩えてそう呼んだことで知られる花です。

「此眞海棠睡未足耶」(これまさに海棠の眠り未だ足らずや)

『唐書』(楊貴妃伝)

 そこから海棠と言えば楊貴妃の美称として用いる例が定着しました。楊貴妃といえば世界三大美女の一人です。東洋で最も有名な妃かもしれません。その言い換えである海棠に姫を足した「姫海棠」はプリンセスオブプリンセスみたいな姓です。

「はたて」という雅な古語

 姓もそうですが、名前の方の「はたて」もお嬢様感を感じさせます。

 「はたて」はおそらく、古典において「果て」を意味する「果たて」からとった名前と思われます。これは和歌などに用いられる雅語であり、良家の子女らしい名前だと言えるでしょう。

 古語における「はたて」の漢字表記は「果」「尽」「極」などがありますが、この場合おそらく「果」だろうと思われます。彼女が出している新聞「花果子念報」に「果」の字が含まれるからです。

 「花果子念報」の意味を解釈していくと、「花」は「姫海棠の花」を意味し、「果」は「はたて」の漢字表記、そして「花果子」というまとまりで「案山子」の意味を持たせているものと考えられます。

 『古事記』において久延毘古という案山子の神が「足は行かねども尽く天の下の事を知れる神ぞ」と評されているので、引きこもりながら念写で記事を書くはたてが自らを案山子になぞらえたものと推測できます。

 これらは原作で明示されていないので解釈の範疇にあることかもしれませんが、ともかく「花果子念報」に「果」の字が含まれることは「はたて」が「果たて」であることの蓋然性を高めてくれるようです。

「夕暮れは雲のはたてにものぞ思う」の和歌が典拠?

 ここで「はたて」という言葉が用いられる具体的な例を見ていきたいと思います。試みに古語辞典などを引いてみると、かなりの確率で以下の歌が出てくることに気づかされます。

夕暮は 雲のはたてに 物ぞ思ふ 天つ空なる 人を恋ふとて

(夕暮れ時に雲の果てを見ていると物思いに耽ってしまう。遥か空にいる人が恋しくて)

『古今和歌集』(恋歌、詠み人知らず)

 本屋で並んでいる古語辞典などを開いてみると、自分調べですが半分以上(体感八割)は例としてこの和歌が引用されていました。「はたて」という言葉から連想する歌としてはこれが代表的なもののようです。

 歌われている情景は夕暮れの雲ですから、視覚的イメージは紫色です。そのあたりもはたてっぽさを感じます。また、鴉天狗という種族にもふさわしい歌だと思われます。夕暮れと鴉の組み合わせは平安時代から意識されていました。

 秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へゆくとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。

『枕草子』

 さらにこの歌は一般に、身分違いの恋を嘆く歌だとされています。「天つ空なる人」とは高い身分にある人を意味しているというのです。作者については不明ですが、貴族に恋をしてしまった身分の低い人などが想像されて、なかなかに切ないものがあります。

 この歌が「はたて」の典拠だというのは例によって可能性に留まりますが、もしそうだとすれば高位の貴族を暗示しているようで「はたてお嬢様説」と響きあうような気がします。

作中の描写

 ここまで外見や名前と言った要素からお嬢様説を考えてきましたが、次は作中の描写をもとに考えていきたいと思います。

 はたては発言や行動から「実はいいとこのお嬢なのでは…」と思われる要素がちらほら見えます。ここではファンの間でよく指摘されるポイントを挙げて、少し整理していこうと思うます。

大天狗の頭をど突く

 『ダブルスポイラー』のセリフでこのようなものがあります。

「へー、お祭りって良いね! アレでしょ?無礼講なんでしょ?夢のぶれーこー こういう時しか大天狗様の頭ど突けないしね」

 この口ぶりでは、はたては過去に大天狗の頭をど突いたことがあるようです。しかし、いくら無礼講といえど天狗社会でそれは許されるのでしょうか。普通の身分ではちょっと厳しそうな気もします。

天狗の世界の上下関係は絶対で、大天狗は強大な権力を持っています。

『東方幻存神籤』(p131)

 はたてがそのような狼藉を許されるのは、貴族だからでは?…という想像がここから発生します。姫海棠は大天狗よりさらに上の身分だから治外法権的に許されたという可能性です。

 しかし仮に「大天狗より上」となると一体どのような立場があるのでしょうか。ファンの間では「天魔の娘」あるいは「天魔の縁者」などを想像する声もありますが、これについては後程あらためて考えていきたいと思います。

大天狗の制止を無視

 『ダブルスポイラー』ではまた、このようなセリフもあります。

「おっと鬼に出会っちゃった 大天狗様に鬼との過度な接触は控えろって言われてるけど悪事の隠蔽が目的なのかな?それとも癒着の阻止?」

「鬼との接触は控えめに……って言われてるけど こんなにネタがありそうな相手に出会って黙過は出来ないよ! さあ、色々記事にするわよー」

 ここでは大天狗の指示を思い出しておきながら軽々と無視する姿が見えてきます。上下関係は絶対とまで言われる社会においてなかなかのフリーダムさです。

権威に委縮しないはたて

 また『文果真報』では明らかに文、椛、はたてと思われる天狗の鼎談が載っていますが、そこではこのようなやりとりが交わされています。

 天狗社会の腐敗を暴く!

鴉天狗A(以下A) 本日は是非とも無礼講でいこうじゃありませんか。

鴉天狗B(以下B) はいはーい。もちろん来たからには、あんたも言いたいことがあるんでしょ?

白狼天狗C(以下C) え、ええ。でも、こんなことして大天狗様たちや天魔様に見つかったら、明日からもう山では生きていけません……。

B だいじょぶだいじょぶ(棒読み)。天狗の新聞だってたくさんあるし、こんなとこまで偉い人は見てないって。

A こんなとことはまた失敬ですね。(以下略)

 この会話は鴉天狗C(椛)と鴉天狗B(はたて)の発言が興味深いところです。「天狗社会の腐敗を暴く!」と題された集まりで、すっかり椛は委縮してしまっています。大天狗や天魔に見られたらやばいと、上司の視線を内面化してしまっているようです。しかしはたては全く意に介していません。これもお嬢様ゆえの余裕なのかもしれません。

 なお鴉天狗A(文)も同様に怯んではいませんが、射命丸は位階は高くなくとも「幻想郷で最高クラス」の力を持つ実力者です。どちらかといえばこれは椛の方が一般的な天狗の感覚に近いのではないでしょうか。

まとめ

 上記の場面以外にも、引きこもり気味であることや、椛が敬語で話すことなど「お嬢様説」を思わせる要素はあるのですが、長くなりそうなのでこの辺りで止めておきます。

 全体的な傾向としては、はたては全く天狗社会を恐れていないように見えます。権威を無視、あるいは軽視するということが何度もあり、自由奔放といった印象です。もちろん彼女も天狗社会に対する不満はあるようですが、それを漏らすときにもあまり深刻さを感じさせません。

 性格も明るく素直で、なんというかスレたところがないようです。それは彼女の天稟なのかもしれませんが、お嬢様ゆえという可能性もあると思います。

平安朝からの類推

 ひととおり見てきましたので、このあたりでもう一度原点に戻って考えてみたいと思います。そもそもはたてのお嬢様説は「紫色が貴族っぽい」という素朴な点から始まっているような気がします(*3)。

 ここを掘り下げて、もし本当に兜巾の色が冠位十二階などをモチーフにしているなら、天狗組織の構造も「朝廷」なのでは?…という想像が出来るのではないでしょうか。冠位の制度を採用しているなら、組織の構造自体もあるいは朝廷を模しているかもしれません。

 一回モデルとして平安朝を考えて、そこから天狗組織を類推するということをしてみたいと思います(*4)。

 平安時代の朝廷は簡単に言うと、頂点に天皇を戴き、その下に国政を審議する太政官を設けるという構えでした。太政官は今でいう内閣のようなもので、複数人で作る最高評議会です。この太政官が八省と呼ばれる主要な役所を統括し、政務を執り行うというのが基本的な構成でした。天皇をトップにして、太政官たちで政治を行うという形になります。

 ただし平安朝では天皇と太政官の間に摂政・関白がいます。しばしば平安時代は藤原氏がこの位について、事実上の最高権力者として君臨しました。彼らは天皇の代理人として太政官の上に立ち、朝政を支配します(*5)。

 藤原道長の時代に頂点を極めるこのような体勢を摂関政治と呼ぶのは教科書に書かれているとおりです。この摂政・関白に就任できるのは、藤原氏の中でも名門中の名門である、摂関家だけでした(*6)。

 非常におおざっぱな説明ですが、これを東方の天狗組織に無理やり当てはめると以下のようになるのではないでしょうか。

天魔  =天皇

姫海棠家=摂関家

大天狗 =太政官

一般天狗=一般官人

天魔=天皇

 天魔は天狗組織における頂点ですので、朝廷に喩えるなら「天皇」にあたるということは、わりとあり得る発想だと思います。漢字の並びで言えば「魔」と「皇」を入れ替えただけなので、なんとなく収まりがいいような気もします。

姫海棠家=摂関家

 平安時代の朝廷には他の貴族とは一線を画す「摂関家」が存在していました。彼らが摂政・関白に就任し、天皇と一体化した権力を手にしたのが摂関政治の時代です(*7)。

 このような別格の上級貴族が天狗の中にあるとしたら、それが姫海棠家なのではないでしょうか。筆者はそんなことを考えています。ただし根拠は貧弱です。「紫色=貴族」という、ほとんどその一点から出てくる想像です。

大天狗=太政官

 大天狗は朝廷で喩えるなら「太政官」に相当すると考えられます。太政官は複数人で作る評議会なので、八大天狗をモチーフにしているとおぼしき大天狗にふさわしいと思えます。

 天狗の社会は縦社会で、大天狗は天狗社会の中のボスに相当する存在である。なので普通の天狗に命令を出すことも出来る。大天狗の命令は絶対だ。山に棲む他の妖怪にも命令を出すこともあるが。こちらは逆らう者もいる。命令する権利があるからといって、私利私欲の為に命令することはほぼ無い。大天狗には天狗の社会を成長、維持させる義務があるのである。

『虹龍洞』おまけtxt

 「大天狗は天狗社会の中のボス」で「天狗の社会を成長、維持させる義務がある」というので、会社で喩えれば役員的な立場のようです。ならば朝廷で喩えればやはり太政官あたりが近いのではないでしょうか。

一般天狗=一般官人

 文や椛などの一般天狗は、朝廷に喩えれば「一般官人」に相当すると考えられます。天狗はどうやら種族ごと一つの組織に統合されているらしく、完全な自由民はいないようです(*8)。

 末端であろうと上の指示には従わねばならず、きっちり命令系統に組み込まれています。そういう意味では立派な“官”と言えそうです。椛や文の言動からはしばしばそのような世知辛さを感じます。というわけで、彼女たちを一般の官人に喩えるのはある程度妥当かと思います。

姫海棠家が平安朝における摂関家のような名門だとしたら

 もしはたての実家が摂関家のような超名門だとするなら、そこからあらためて解釈できることがあります。

スカートの市松模様

 はたてのスカートの市松模様はそれだけで既にハイカラなお嬢様感がありますが、平安朝との関係を考える時、束帯で用いる袴の文様であったことが一層興味を惹きます。

 四角形が連続する、いわゆる「市松模様」「石畳文」は、有職文様としては「霰」と表現される。単純ながらすっきりとしたデザインが好まれて多くの使用例があるが、束帯で用いる表袴の代表的な文様として知られる。(中略)霰地の上に窠の文を織り出したものが「窠霰」である。晴の儀式や若年の公卿が、表袴に用いたのが窠霰文であった。この窠の部分は家々により異なる。また天皇が着用する指貫は、紫の窠霰文であった。

『有職文様図鑑』八条忠基/平凡社

 市松模様は有職文様としては「霰」と呼ばれました。それは平安貴族の袴に使われた文様です。さらに天皇が着用する指貫は紫の「窠霰文」でした。こうなると、かなりはたてのスカートに近いものがあります(*9)。

天魔の縁戚?

 また、上で一度はたては「天魔の縁者」なのではないかという想像に触れましたが、もし姫海棠家が摂関家のような立場だとすれば、その解釈にも合致すると言えます。藤原氏は古代以来、天皇と縁戚関係にあることが甚だ多かった氏族です。摂政・関白という地位も、要するにそういった天皇との関係を基礎として築かれたものでした。はたてが同じように天魔様と非常に近い立場の者だとすれば、色々腑に落ちるところがあるような気もします。

結びに。なぜ「はたて」なのか

 ……などと好き勝手なことを書いてきましたが、平安時代の摂関家に見られるような強い政治性は、はたてには殆ど見られません。むしろそういう荷厄介なものからは程遠いように思えます。

 もし本当に名門の出身であれば、それ相応の振る舞いを求められそうなものですが、そのような重圧は彼女からは感じず、非常に自由であるように見えます。この点はどう考えるべきでしょうか。

 結論めいたことを書くと(全く個人的な妄想ですが)はたてちゃんは名門貴族の四女くらいに生まれて、後継ぎや政治とは無縁の、いい意味で適当に育てられた少女のように思えます。半ば放任されたことで、のびのびと素直に育つことが出来たのではないでしょうか。「はたて」という名前も、権力争いとは無縁ということで「最果て」のような意味を持たせた名前なのかもしれません。

 お嬢様説との整合性をとるための解釈ですが、「はたて」という名前を今はそのように考えておきたいと思います。

注釈

(*1) 平安時代には臣下で最高位の色が黒になりますが、これは実は「濃い紫」です。(『和の色のものがたり 歴史を彩る390色』視覚デザイン研究所)

(*2) 『ダブルスポイラー』の頃はGoogle画像検索みたいな能力だったようですが、『智霊奇伝』では殆ど制約のない念写になっています。

(*3) もっともはたての紫色はジョジョの「ハーミットパープル」が元ネタの可能性が高いのですが、ひとまず置きます。

(*4) 冠位十二階は飛鳥時代の制度ですが、天狗と縁があるのは圧倒的に平安時代なので平安朝をモデルに考えています。日本の妖怪としての天狗が資料に現れるのは平安後期以降であり、また天皇から天狗になったとされる崇徳院も平安末期の人でした。

(*5) 摂政は幼年の天皇の代理人。関白は成年天皇の補佐官。

(*6) 近世初頭に豊臣氏が関白に就任したのが例外。

(*7) 厳密には摂関家が家格として固定されるのは院政期以降。

(*8) もしかしたら描かれていないだけで完全にフリーの天狗も居るかもしれません。

(*9) ただし『人妖名鑑(宵闇編)』で「彼女のスカートの柄はガラケーをイメージしています」とはっきり書かれてしまっています(笑)。考察はあくまで考察ということで。

 

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