ちやりの情報から考えられる血の池地獄の実態について

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    • #977 返信

      獣王園のちやりtxtにある「怨念渦巻く呪われた血を求め、旧血の池地獄に辿り着いた」「元々、地獄に住んで、血の池のおこぼれにあずかる生活をしていた」という記述の解釈に関する相談です。これについて現在、血の池には石油タイプのものとそうではないタイプのものがあり、ちやりは最初そうではないタイプの血の池からおこぼれを回収していた後、地底の血の池へ移ったという仮説を立てたのですが、剛欲異聞における描写で矛盾が出ないか確かめようとしたところ、矛盾ではないような……でも何となく血の池は一つだけを前提としているような……と自分では曖昧にしか判断ができない状態になってしまいました。というわけで、この情報についてここは明確に矛盾するといったご指摘やtxt文の別の解釈の仕方などありましたらお聞きしたいです。

    • #978 返信
      V層もどき
      参加者

      ・血の池には石油タイプのものとそうではないタイプのものがあるか
      あるといえばあるし、ないといえばない、という感じではないかと思います。

      剛欲異聞では、村紗シナリオにおいて、石油に見えたものが実は血の池だった、というような描写がされています。
      村紗が真言を唱えることで「真実の姿」があらわになるという展開です。

      一方で、饕餮は「この石油が血液であることなんてもちろん知っているさ」「憎悪にまみれた有機物が全て燃料になるんだ」「元来、石油というのは生物由来の生成物じゃないか」「生命の恐怖、哀楽、憎悪、怨嗟の全てがこの液体の正体なんだよ」と述べています。

      ここでいう、「有機物」「生命の恐怖、哀楽、憎悪、怨嗟の全て」とは、つまるところ、汚穢・穢れのことです。
      紺珠伝での妖精の件の通り、穢れは死をもたらす存在であり、かつ、それを逆に解釈すれば、生命の活力・変化の種子、機縁そのものです。
      有機物というのは、単なる炭素化合物という趣旨ではなく、有機体、生物に由来するもの、そして生物として機縁を有するものという意味です。

      また、鈴奈庵での阿求と小鈴との会話の通り、東方の作品世界における「真実」とは、「ただ一つの正解」ではなく、個々の意志を持った存在が選択する、個々人から見れば一つであっても、各者の真実がそれぞれ一致するようなものではなく、無限に存在するものであるという定義です。
      つまり、村紗のいう「真実」は「村紗の選んだ個人的なものの見方」であり、「村紗の目にはそう見えている」ということに過ぎません。

      このため、血の池地獄を構成するものは、本質的には「穢れ」であり「機縁」であり「有機物」であって、具体的な姿は、石油であっても血液であっても例えば石桜であっても、そのように見るものが見ればそのように見えるものです。

      よって、「血の池には石油タイプのものとそうではないタイプのものがあるか」は、「あるといえばあるし、ないといえばない」という感じではないかと思います。

      ・血の池は一つか
      一つである必要はないと考えます。

      先程の穢れの話でいえば、天上から地底に至るまで、それぞれの場所で循環しながら、地底に滴り落ちてきた穢れが、これ以上落ちる先がなくなって溜まって・沈殿しているのが旧血の池地獄と考えられます。
      (そのような穢れのどん詰まりであるからこそ、隠岐奈にブーストされた饕餮によって穢れを一括回収し変換初期化した後にフランドールが饕餮ごと飛散させることでそのあり様を変化させているわけです)
      (剛欲異聞で、血が旧灼熱地獄跡で炎に変換されていたり、核融合センターで核種変換させられていたりするのも同様のお話ですね)

      ここで、地底に滴り落ちてきた穢れの最終地点が旧血の池地獄であろう、と述べましたが、逆に解釈すれば、最終地点以外にも、地底に滴り落ちてきたものが溜まりこむ場所は、存在しうると考えられます。
      旧灼熱地獄にしても、下の旧血の池地獄から吸い上げられるようなものだけでなく、上から滴り落ちてきたものがそのまま炎になっているケースがあってもなんら不自然ではないと考えます。

      よって、「血の池は一つか」は、「一つである必要はない」と考えます。

    • #979 返信

      返信ありがとうございます!中々複雑な内容なので、時間をかけて読み込ませてもらっています。
      この件を取り上げたのは最近地底と地獄の関係が話題となっていたことがきっかけで、石油の海と血の池の在り方を読み解くことでそれに迫れないかと考えていました。
      この場合同じ一つの場所から石油と血液の二通りの解釈が生まれているのか、違う場所にあった本質的に同じもの同士が合体しているのか……
      あるいはこの二者択一も「真実」の一つなのか……

    • #987 返信
      V層もどき
      参加者

      ・同じ一つの場所から石油と血液の二通りの解釈が生まれているのか、違う場所にあった本質的に同じもの同士が合体しているのか
      答えそのものではないのですが、なにか参考になれば、との思いから、メタなお話をご紹介します。

      神主は、5年ほど前に、心の裡に溜め込んだ感情・想いと、そのアウトプットについて語っています。

      2019.05.26 ポリポリ☆クラブ第93回「集え!作る人と遊ぶ人!~2人の距離は秒速ポリ☆メートル~」

      18分15秒頃から
      ◆作り手とファンとの距離感について
      ZUN:結構、多分、この話で一番ごちゃごちゃしているのは東方ですよ。世界一ごちゃごちゃしてるんじゃないかな。
      「作っている」とか、「遊んでいる」とかのようなジャンルがない、だからまあ、「あそこに|来ている人たちはみんな参加者だ」みたいなぐらいのことになっていると。
      やっぱりその、ゲームを遊ぶこと自体が僕は「クリエイティブじゃない」とは思わない。
      ゲームを遊んで、なにかいろんな感情が起こる、ね。
      実際に絵を描かなかったとしても、なにか感情が起こっている人はもうクリエイティブな感じになっている。
      それをどうアウトプットするかだけなんで。
      今だったら、「プレイしてるだけ」も実況動画とかで一応クリエイティブになるから。
      もう別に、わざわざ絵を描かなくたって、曲を書かなくたっていいんですよ。
      「自分がこんだけ好きだ!」ってアピールするだけでも、だいぶ、他の人から見たら新鮮だったり、クリエイティブの部分が多いので。
      ここはやっぱり、「一億総クリエイター」ですよ。
      吉永:文字だけの感想ツイートでも、それによってやろうとする人が現れたり。
      他人の心を動かしたら、もう一部クリエイティブだってことですよ。
      「このゲーム、人生で一番面白かった」みたいなことを書いたら、それを見てやろうとする人もいるじゃないですか。
      ZUN:それをアウトプットしないで、裡に溜めてる人だって、もう、いつか爆発する可能性だってある。
      ずっと溜め続けているような人もいますけど。

      ここでいう、「裡に溜まるもの」が穢であり有機物であり生命の活力・変化の種子であり、機縁です。
      内側に溜まるそれらをアウトプットするならば、それは石油や核分裂・核融合燃料のように振る舞うでしょう。
      一方で溜め続けたそれが、アウトプットすることや自分の心を動かすことを拘束してしまうならば、それは亡者の血や厄、怨霊のように振る舞うでしょう。

      また、神主は、獣王園リリース直後の2軒目ラジオにて、ちやりの服装や曲、あり様について語っています。

      2023.08.31 2軒目から始まるラジオ(第156回)

      52分46秒頃から
      ◆ちやりの塩基コードと饕餮文について
      ZUN:あの、(ちやりの)服の、裾とか模様も見ました?
      (略)
      ZUN:ああいうとこ、すごい凝ってるんですよ。
      (略)
      ZUN:なんて書いてるか、あとで考えてみてよ。
      (略)
      ZUN:こういうのをね?細かいとこを見てくと、意外とデザイナー考えてるなって思うよ。地獄のデザイナー。
      (略)
      ZUN:あれが、(塩基配列コードでありつつ)饕餮文に見えるんですよ。

      ここで、饕餮文というのは、紋様であると同時に、神主が頻繁に参照している諸星大二郎作品(孔子暗黒伝)によれば、器に刻みつけられた魂魄の形です。
      血液は、生命の活力・変化の種子であると同時に、連綿と連なる過去の生命の遺伝的記憶、生命の化石であり、更にはその血の主の魂魄の形の一部でもあるということです。

      2023.08.31 2軒目から始まるラジオ(第156回)

      59分05秒頃から
      ◆ひきこもりの幸せについて
      ZUN:(ちやりの曲が)ここから気持ちいい。やっぱ、ひきこもりの気持ちよさがある。
      (略)
      ZUN:これはひきこもりもねやっぱ、幸せなんだ。そういうのをすごい出してる。

      ここでいう「ひきこもり」は、アウトプットに至らずとも、自らの裡に溜めた心の動きを楽しんでいる人ということです。
      意味合いとしては、鬼形獣における瓔花の賽の河原での石積み、完成に至らずとも楽しんでいる話とも同様です。

      つまり、石油・血液とは、世界に継承蓄積された記憶であり、血統に継承蓄積された記憶です。
      それら他者の記憶を取り込んで、自らの中で楽しむこと・糧とすることも、別の形を新たに取らせてアウトプットすることも自由です。

      「記憶」に着目すれば、「同じ一つのもの」と捉えても妥当でしょうし、「誰の血・誰の遺物・誰の記憶か」に着目すれば、「別の場所・別の存在によるもの」と捉えても妥当と考えます。

      どのような解釈にせよ、形をなした記憶であり、同時に新たな姿に変ずる可能性を内包したものであり胎蔵されたもの、という点から外れなければ、いかようにも成立するのではないかと考えています。

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