真実の満月と天蓋について

幻覚度 7

 本記事は、近日takenoko氏によってなされた論考に示唆を受けて追考を試みたものである。閲読に当たっては先に氏の記事を参照されたい。( 月と地上のアクセス、「地上の密室」の原理考察

 氏が行った情報の整理によって、永夜抄における月が種々の相を以て描写されていることが明快になり、その一つに「真実の満月」という形態があることが指摘された。また、これらの月をめぐる言説において「天蓋」という概念が事態に絡んでいることも述べられた。本稿では、この両者の関係について更に踏み込んで考えてみる。

 

 「真実の満月」には人を狂わす力がある。このことは輝夜との会話において適宜触れられているが、紅魔組の会話ではそれに続き「月の民が地上人を魔物に変えて、穢れを調節してきた」ことが語られる。これは「地上人は自ら魔物を封印してしまった」と続くことからも、幻想郷が大結界を張る以前の状況を指していると思われる。

 一方で、地上人が実際に見ることのできる月の姿は「天蓋」に映ったものであり、直截の姿は毒である、逆に言うと天蓋に映った姿は人を狂わることは無いということが、書籍版文花帖の萃香の記事から推察された。これにより、人を狂わす真実の満月が地上から失われたことと「天蓋」という概念との間になにかしらの関係がある可能性が浮かび上がった。

 筆者はここにおいて、「天蓋」概念の受容された年代に関して興味を持った。地上人が魔物に変えられていた時代、すなわち真実の満月が失われていなかった時代の地上人は、どのように月を捉えていたのだろうか。裏の月から見える地上が球体であることや自転周期に干渉したとみられる(小説版儚月抄第五話)ことからして、月の民達は月が物理的な天体であることを承知していただろう。しかし、地上の民は空の先が無限に広がる空間であり、月はただその途中の一点に浮かぶものであることなど知る由も無かったのではないか。つまりここで言いたいのは、この時代の地上人の世界観にはむしろ天蓋上の月しか存在しなかったのではないか、ということである。

 地上人が「天蓋がある」と思い込んでいただけで実際は存在していなかった、という見方も一応は可能であろう。しかし、現在で天蓋の適応されている状況が有るのを踏まえると、それはややちぐはぐな話であるように思える。天蓋の世界観が信じられていた時代であれば、なおさらそれは存在するものとして扱われるべきではないだろうか。

 それではもし、古代においてもその世界観通り天蓋が存在したのであれば、何故満月が人を狂わせることがあったのか。天蓋に映る満月は本当の月の毒素を持たないのではなかったか。ここからはより確度の低い仮説になるが、筆者はこれについて、真実の満月が姿を表すのに別の条件があるのではないかと考えた。

 詠唱組との会話において、輝夜は真実の満月のもと「穢れのない月は、穢れのない地上を妖しく照らす」「永琳の術で穢れのない月と穢れのない地上は隔離された」と述べた。すなわち、「真実の満月」は「穢れのない地上」でのみ姿を現すのではないだろうか。この場合、「真実の満月が地上から失われた」というのは「地上から穢れの無い土地が無くなった」と読み替えることができる。東方では白蓮や神子など古代における超人の存在が示されているが、そういった人物は往々にして山岳などの霊地で超常的な力を手にする場合がある。異界として存在した霊地が人類の活動の変化によって徐々に神聖さを失い、その地から生じる超人や魔物も数を減じていく。この狂化の条件はそういった状況を表している、と読むのもありではないだろうか。

 

 以上、本稿では「天蓋の信じられていた時代」という視点を基に、真実の満月は何かしらの条件を満たすことで天蓋を貫通して姿を現していたのではないか、という提唱を行った。一方的ながら示唆をいただいたtakenoko氏には感謝を述べるとともに、今後も本視座に対する考察の進展に期待したい。

コメント