ハクタク時の慧音が使用するラストワードに、「無何有浄化」があります。解説文には「世界再生」という文言が最初に置かれており、無何有=ありのままの自然が浄化を経て再生していく様をこの技は表しているのだと考えられます。
ハクタク時の彼女が使用する一連のスペルカードは、歴史における「再生」の流れを表したものになっています。「オールドヒストリー」から「転世」を経て「ネクストヒストリー」へ変化していく。これが歴史を食い、創造する力を持つ彼女の示す歴史の流れです。また、その内の転世「一条戻り橋」と弾幕の形が同種であることから、「無何有浄化」は生まれ変わる歴史の境目における現象とも位置付けることができます。
今回はこの「再生・転世」において「浄化」がいかに関わるかを考えていきたいと思います。
上記のような歴史観は実は彼女に限ったものではなく、他作品においても表現されています。最たる例として挙げられるのは、永夜抄のすぐ次に制作されている花映塚です。特に再生の年に何が起こるのかについては、EXストーリーに繋がる形で執筆された『東方紫香花』収録の短編小説にてより詳しく言及されています。曰く、六十年を境に『記憶』は消え、歴史となる『記録』だけが残るのだと。
さて、これら自然のサイクルに往々にして準えられるものがあります。それは生物の命のサイクル、仏教でいうところの輪廻です。
東方の世界観が生まれ変わりを前提としていることは、各作品でも節々で言及されており広く認識されるところだと思います。生まれ老い死に、また新たに生まれるという命のループ。この輪における「再生」は、死んでから次の生を受けるまでのタイミングです。ここでも果たして浄化は成されているのでしょうか。
千年以上もの時の間転生を続けてきた少女・稗田阿求は、求聞史紀での独白にて「転生を行うと大抵の記憶は失われてしまう」と述べています。彼女が転生時に受け継ぐのは求聞持の能力であって、その人として生きた記憶は別物であるようです。記憶に特化した彼女でさえそうであるならば、転生時に記憶を失うというのは通常の習わしだと考えられるでしょう。
この「記憶の消失」こそ、命の輪廻における「浄化」であると捉えることはできないでしょうか。
東方における生まれ変わりを語る上で重要な人物がいます。永遠の命を持つ紅い少女・藤原妹紅です。スペルカード突破の毎にリザレクション(蘇生)を繰り返すことからも見えるように、彼女も再生・転生自体は行っており、その上で通常の様に別の存在に生まれ変わるのではなく藤原妹紅として生まれ直している、というのが彼女の不死の実態であるように思えます。永夜抄EX詠唱組の会話では、アリスが不老不死の仕組みについて「魂のみが本体となる」という説明を加えています。輪廻において宿り先となる肉体と精神は都度変えなければならない「魂」に対して、それが本体となることで同一人物のままでいられるという説明は比較的イメージしやすいものなのではないかと思います。しかしその場合、少なくとも妹紅においては記憶を失っているような描写は見られず、そのまま引き継ぐ形になっていると思われるのです。
ともすれば、蓬莱の薬を飲むと穢れると言われているのは、本来転生によって浄化されるはずの「生と死の記憶」が永遠に残り続けるから、と解釈することができるのかもしれません。
一か月後に頒布をひかえた東方錦上京では、同じ一日を繰り返す(記憶がリセットされている?)異変や唯一祭壇に歓迎される「浄穢」の異変石など、今回触れた事柄に関連しそうな箇所が所々見られます。物語がどう展開するのか楽しみに待つのと同時に、今のうちにこの辺りの情報を整理して少しでも備えていけたらと思います。ご一読ありがとうございました。
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