摩多羅隠岐奈に見る赤山明神と新羅明神の要素

Q.摩多羅隠岐奈に赤山明神と新羅明神の要素を読み取ることは出来るでしょうか?

A.筆者は出来ると考えます。

Q.では一体どこにその要素が現れているのでしょうか。

A.私は他でもない天空璋六面の隠岐奈のヴィジュアルそのものに現れていると考えます。天空璋六面の隠岐奈は全体のイメージを摩多羅神から、ポーズを新羅明神から、椅子のデザインを赤山明神からそれぞれとったものだと考えています。

 以上がもう結論になってしまうのですが、その細かい意味について以下に書いていこうと思います。

摩多羅隠岐奈と元ネタ

 摩多羅隠岐奈は元ネタである摩多羅神からストレートにキャラクター化された幻想少女だとされています。それはZUNさんが過去にインタビューでこのような発言をしていることから分かります。

――そしてボスですが、確かに摩多羅で翁だなあと。

ZUN そのまんまですよね。今回はストレートに元ネタにしたかったんですよね。それが作品に現れている。僕としては摩多羅神が幻想入りしているのを感じたので、じゃあもうそんなにひねる必要がないなあと。

『東方外來韋編Strange Creators of Outer World. 肆』p16より

 元ネタからダイレクトにキャラ造形がなされている、ということの例を挙げれば、隠岐奈が天空璋のセリフの中で主張する神格「後戸の神」「障碍の神」「能楽の神」「宿神」「星神」などは、元ネタ本と目される『闇の摩多羅神』などを紐解けば、全てそれらしい記述を見ることが出来ます。他にもスペルカードの「秘儀『穢那の火』」やセリフの中に出てくる「烏滸の沙汰」「常夜神」など、元ネタと共通する要素は非常に多く見られます。

 元ネタである摩多羅神の多様な神格は、ほぼそのまま摩多羅隠岐奈へと受け継がれていると見てよいでしょう。

 しかし、この摩多羅神にとって非常に重要でありながら、隠岐奈へは一見して入っていないように思われる要素もあります。それが赤山明神と新羅明神です。

赤山明神と新羅明神

 そもそも赤山明神、新羅明神とはいかなる神でしょうか。隠岐奈の元ネタを考えるのが好きな人にとっては有名ですが、一般には殆ど知られていない神格です。

新羅明神

 Wikipediaを引用して簡単に説明すると、「新羅明神は、園城寺の守護神。円珍(智証大師)が唐から帰国するに際して搭乗船の船首に出現し、自らを新羅国明神と称していたことによる」といいます。(2025/02/20参照)

赤山明神

 赤山明神に至ってはwikipediaのページすら無いので、自分で補って書くと、「赤山明神は延暦寺の守護神。円仁(慈覚大師)が唐から帰国するに際して船中に現れた神である。赤山とは震旦(中国)の山の名であり、その山に棲む神とされたことによる」……という具合になります。

 赤山明神と新羅明神については色々と興味深い話が多いのですが、書き始めるときりがないので割愛します。興味のある方は『闇の摩多羅神』や『異神』などに詳しく載っているのでそちらをおすすめします。

 いま重要なのは、この二神が①異国の神であるということ。②仏法の守護神であるということ。③高僧の帰国時に船のなかに出現した神である、ということです。これら①②③の条件は摩多羅神にもまったく当てはまります。

 摩多羅神もまた、異国の神であり、念仏の守護神であり、円仁が唐から帰国する際に船に出現した神です。こう考えてみると大変よく似ています。

 『闇の摩多羅神』においては、このあたりの消息について以下のような文章があります。

 これらの赤山明神、摩多羅神、新羅明神の共通項は、それぞれ日本の天台宗を築いた「大師」の唐への船旅の途中に出現し、その「引声念仏」の守護神を買って出るということ。そしてその名前から明らかなように、それぞれ天竺、震旦、新羅という、日本以外の異国の土地の神格であるということだ。そういう意味では、これらの神々について論じる者が共通していうように、この三神はきわめて似通った性質、由来、来歴を持った神であり、ある意味では同一の神格と見なしてよいと思われるところが多いのだ。

 摩多羅神と「ある意味で同一の神格と見なしてよいと思われる」とまで評される赤山明神と新羅明神。それは「能楽の神」や「星神」、「宿神」などと比べても、なお一層著しい習合と言えるかもしれません。

 しかし、摩多羅隠岐奈の周辺からは赤山明神のせの字も新羅明神のしの字も出てきません。設定やセリフなどのテキストからは全く見出すことが出来ないのです。これはどう考えるべきでしょうか。

図像からの解釈

 こういう時に参考になるのは東方元ネタwikiです。元ネタwikiの摩多羅隠岐奈のページ(2025/02/20参照)を見てみると、このような情報が記載されています。

6ステージの椅子に座った姿

摩多羅神のモチーフとされる「新羅明神像」に酷似している。

 ここで述べられている「新羅明神像」というのは、『闇の摩多羅神』にも写真が載っているのですが、↓こういうものです。

 確かに左右反転してはいますが、天空璋六面の隠岐奈のポーズとよく似ています。この“ポーズ”という所に新羅明神の要素を見出すことが出来そうです。

 セリフや設定からは新羅明神の要素を探し出すことは出来ませんでしたが、他ならぬ隠岐奈のデザイン自体にそれが足し込まれているのだとすれば面白い視点です。

 これをヒントにもう一歩考えを進めて、赤山明神の要素もどこかに読み取ることが出来ないでしょうか。筆者はここで、隠岐奈の座っている椅子に注目します。

 再び『闇の摩多羅神』に載っている写真になりますが、↓この画像では赤山明神は「鳥居型の障屛を背に四脚床に趺坐」しています。

 鳥居というのは神門であり、一種のゲートです。それと一体化した椅子というイメージは、隠岐奈のそれと重なるところがあります。

 隠岐奈の座る椅子は手すりと大きな背もたれのついた立派な椅子です。その背もたれ部分が扉になって後ろ側に開いているように見えます。一見してそれは「後戸の神」である摩多羅神の神格を表現したものだと分かります。

 ただし、元ネタの摩多羅神は多くの画像では背もたれのついた椅子などには座っておらず、屋外で一時的に座る腰掛のようなものに座っています。有名な輪王寺に伝わる「摩多羅神二童子図」でもそうです。

 なので、隠岐奈の“扉付きの椅子”というデザインは「後戸の神」に着想を得た神主の翻案だとしても、そこに赤山明神の“鳥居型の障屛がついた四脚床”が影響していると筆者は考えます。

 隠岐奈の椅子は、摩多羅神の「後戸」と、赤山明神の「鳥居」をミックスさせたものなのではないのかと、そういう読み方がしたいわけです。

 このように考えると天空璋六面の隠岐奈のデザインは、全体的なイメージを摩多羅神から、ポーズを新羅明神から、椅子のデザインを赤山明神から、それぞれとったものだという想像ができそうです。

 あくまで解釈ですが、このように考えると隠岐奈は「摩多羅神」「赤山明神」「新羅明神」という中世信仰世界に君臨した三柱の異神たちを一身に兼ねているという見方が出来て愉快なのではないかと思います。

参考文献

『〈新装版〉闇の摩多羅神』川村湊/河出書房新社

『改訂新版 異神 中世日本の秘境的世界Ⅰ新羅明神・摩多羅神編』山本ひろ子/戎光祥出版

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