九十九弁々の正体  星熊勇儀の道具説

玄象

歴史に名を残す著名な琵琶に、玄象というものがある。玄象にはこのような説話がある。

玄象という琵琶が鬼に取られた話 | 説話百景
今回の説話は『今昔物語集』の「玄象という琵琶が鬼に取られた話」。平安中期の村上天皇の御代、唐伝来の琵琶の名器「玄象」が突然、消え失せてしまいます。ある晩、その音色を耳にした源博雅が、夜の平安京を南、南へとその音色を頼りに探し歩き、やがて、羅...

詳しくはサイトを見ていただくとして要約すると、

「玄象という皇室に伝わる宝物の琵琶が、羅城門に潜む鬼に盗まれてしまった。鬼は最後には琵琶を紐に吊るして返してくれた。」

という説話だ。玄象という琵琶と鬼に関係があることがわかった。

さらに琵琶の付喪神である琵琶牧々だが、

「玄上牧馬と言へる琵琶はいにしへの名器にしてふしぎたびたびありければ そのぼく馬(牧馬)のびは(琵琶)の転にして ぼくぼくといふにや」

と百鬼徒然袋に解説されているように、弁々のモデルになった琵琶があるとすれば玄上(玄象)か牧馬が候補となるだろう。

弁々のモデルの候補に玄象があり、玄象は鬼と関係がある。これだけでは鬼と星熊勇儀を結びつけるものはない。

鎖と星

九十九弁々と星熊勇儀の姿を見てみよう。

 

二人とも腕に腕輪を嵌めて、そこから鎖を垂らしている。さらに琵琶と盃に注目してみる。

 

 

どちらにも星の意匠がある。これこそ玄象を盗んだ鬼の正体が星熊勇儀であるという証拠である。

こじつけ

残念ながら、弁々と勇儀を結びつける根拠は上にあげたものしかない。しかし、弁々と勇儀に道具と持ち主の関係があるという先入観を持った上で弁々と勇儀を改めて見てみると、やっぱり弁々と勇儀は関係があるように思える。つまり、こじつけである。

性格

弁々と勇儀は性格が似ている。弁々は「冷静で大人びたお姉さん役の弁々」とomakeに記載されている。勇儀にもそのような一面はある。地霊殿Stage3においては、旧都で暴れまわる自機を旧都の外まで誘導してから本格的な勝負を始めている。外來韋編のクロスレビューでは「地底の中では唯一話が通じる」と評されている。また、勇儀は同クロスレビューで「「てやんでぇ!」とか言って出てきそうだよね。もちろん勇儀は江戸っ子じゃあないけど、イメージだけは江戸っ子です」とある。弁々にもそういう部分はある。「待ちな!あんたの相手はこの私だよ」のセリフがそれだ。

また、言動にも似た部分がある。グリウサでの弁々と勇儀のセリフを挙げよう。

「はーい、今日は私たちのライブにようこそ!そろそろ音楽を聴きたくなるころかなと思って勝手にライブを始めちゃいまーす!懐かしくも新しい琵琶の音、是非楽しんでいって下さい!」

地上も壊れてきたなぁ。こんなに暴れても良いなんて素敵じゃないか。酒も回って気持ちよくなってきたし、そろそろ出番かな!

二人とも、暴れたいが周りの雰囲気に気を使ってタイミングを見計らっていたことが伺える。

自分で書いといてなんだが、先入観を持って物事をみているからそう見えるだけかもしれない。

呪法後の弁々

雷鼓は元々は太鼓に座っていたであろうものが、呪法を使って今のドラムに座る姿に変わっている(はず)。一方弁々がどうなのかというと

 

何にも変わっていない。星の意匠も鎖もそのままだ。この謎は、「弁々と勇儀は関係がある」という先入観をもってすれば説明が可能だ。小槌の魔力によって付喪神になれた弁々だが、小槌の魔力は鬼の魔力。弁々が勇儀と関係があるなら、弁々の自前の魔力も鬼の魔力。2つの魔力は溶け合わさり見分けがつかなくなり、小槌の魔力回収からお目こぼしを受けた可能性もあるだろう。つまり、弁々は道具を取り換えていないので姿が変わっていないのである。……くどいようだが先入観を持って物事をみているからそう見えるだけかもしれない。

終わり

 

 

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