小説版『儚月抄』第一話の修正意図について

 小説版『東方儚月抄』の第一話には単行本化にあたって大幅にカットされた文章が存在する。
 本考察ではそのカットされた内容を実際に読み、文章の改変が行われた理由を想像するほか、削除された情報はどう扱うべきなのかといった今後の考察の指針についても考えてみたい。

カットされた内容

 問題となる文章は、単行本14ページの「いやその言い方は正確ではない~」から始まる段落と、「私は悔いた。悔いた結果~」から始まる段落の中間に位置する。単行本ではこの二つの段落の間に「簡単に言うと蓬莱の薬~」という段落が挿入されているが、これは本誌掲載時の文章の一部分を改変しつつ自然に接続したものである。つまりこの時点で、問題となる改変が単行本化の際に起きた単純なミス(意図せぬ欠落)であるという可能性は消える。
 カットされた文章は次のようなものだった。

 些細なミスとは、蓬莱の薬、つまり不老不死の薬を輝夜に渡してしまった事である。輝夜は他愛もない好奇心から私に不老不死の薬を求めた。私は不老不死の薬と言えば蓬莱の薬という物がある、と教え、その薬を作ってみせた。
 月の民が蓬莱の薬を持つ事は別に不思議な事ではない。主に地上の権力者を試したり、新たな争乱を起こす為に人間に与える為である。
“人間がこの薬を飲めば、その躰は朽ちる事なく、未来永劫生き長らえるでしょう。ですが、何人たりとも決して飲んではいけません”
“何で飲んではいけないの?”
“人間が飲むと永遠に苦しみます。死ぬ事も許されず、仙人になる事も出来ず、人間のまま人間と暮らせなくなります。この薬は月の民が地上の人間を試す為に存在するのです”
“では、もし、この薬を月の民が飲むとどうなるの?”
“もし、この薬を穢れ無き月の民が飲むと……”
“飲むと?”
“不老不死になると同時に、不老不死という誘惑に負けた事で人間と同様の穢れが生まれ、二度と月の都では暮らせなくなるでしょう”
 私が警告した甲斐無く、輝夜は蓬莱の薬を飲み不老不死となった。それと同時に、月の都から追放された。
 輝夜は何かと地上の人間の話を好んで聞き、自分からもよく話す子だった。月の民から見た地上は、刹那的な快楽の渦巻く穢れた場所である。それが輝夜の眼には魅力的に映っていたのかも知れない。蓬莱の薬も、最初から自分で飲む為に私に作らせたのだろう。

――『キャラ☆メル Vol.1』一迅社, 2007, p.115

 見てのとおり、カットされた内容はすべて蓬莱の薬にまつわる永琳の回想となっている。月の都における蓬莱の薬の扱いや蓬莱人が仙人になれないという情報、さらには輝夜のパーソナリティに関する貴重な描写なども含まれており、我々ファンからすればなぜ削除してしまったのかと思わず嘆きたくなるような内容だ。
 以下、本考察では便宜上この文章を、

  • A.蓬莱の薬を渡したという事実「些細なミスとは ~ 渡してしまった事である。」
  • B.蓬莱の薬を作った経緯「輝夜は他愛もない好奇心から ~ 作って見せた。」
  • C.蓬莱の薬の歴史「月の民が蓬莱の薬を ~ 人間に与える為である。」
  • D.蓬莱の薬の副作用「“人間がこの薬を飲めば ~ 暮らせなくなるでしょう”」
  • E.輝夜の処遇「私が警告した甲斐無く ~ 月の都から追放された。」
  • F.輝夜の動機「輝夜は何かと ~ 私に作らせたのだろう。」

 という六つのパートに分けて扱う。
 また、「A.蓬莱の薬を渡したという事実」と「E.輝夜の処遇」の内容は単行本では「簡単に言うと蓬莱の薬~」の段落に統合されている。この統合された段落は少々特殊であるため、特別に「AE′」として扱う。AE′の内容は以下のとおり(A、Eからそのまま引き継がれている部分を太字にした)。

 簡単に言うと蓬莱の薬、つまり不老不死の薬を輝夜に渡してしまったのだ。蓬莱の薬は作ってはいけない禁忌の薬だった。輝夜は蓬莱の薬を飲み不老不死となった。それと同時に、月の都から追放された。

――ZUN『東方儚月抄 ~ Cage in Lunatic Runagate.』一迅社, 2009, p.14

修正はなぜ行われたのか?

 東方Projectの公式書籍において、これほどの文量が修正・削除されてしまうという事態は他に類を見ない。なにかよっぽどの問題が発生したと考えるべきだろう。
 この「そもそもどうして修正が行われたのか」という謎に対し、本考察では「蓬莱の薬の出自にまつわる矛盾」説を提示したい。
 蓬莱の薬の出自について、初出となる『永夜抄』では次のように説明されている。

当時輝夜と一緒に住んでいた賤しき地上人には、口止め料として永琳特製の「蓬莱の薬」の入った薬の壺を手渡した。

――『東方永夜抄』キャラ設定.txt(八意永琳)

興味本位で永琳に、禁断の秘薬である蓬莱の薬を作らせてしまい、それに手を出してしまったのだ。

――『東方永夜抄』キャラ設定.txt(蓬莱山輝夜)

永琳は薬を作っておいて自分だけは無罪だった事もあり、輝夜に対し申し訳ない心でいっぱいだった。

――『東方永夜抄』キャラ設定.txt(蓬莱山輝夜)

 まずこれらのテキストを読む限り、蓬莱の薬を製造した人物が八意永琳であることには疑いの余地が無い。
 一方で、次のようなテキストがある。

私の力で作られた薬と永琳の本当の力、
一生忘れないものになるよ!

――『東方永夜抄』ステージ6A 禁薬「蓬莱の薬」発動直前の輝夜の台詞

蓬莱の薬を作ったのは輝夜でしょう?
ふざけるのもいい加減にして欲しいわ。

――『東方永夜抄』Extraステージ(紅魔組ルート)妹紅の台詞

ここでの蓬莱は、蓬莱で取れる~、の意味もあるが、本当は輝夜が自分の名前を使っているだけかも。輝夜の薬でも同じ。

――『東方永夜抄』Spell Practice(禁薬「蓬莱の薬」 Hard)

不死の薬を作れるなんてばれたら、輝夜は権力者の取り合いになる。

――『東方永夜抄』Spell Practice(禁薬「蓬莱の薬」 Lunatic)

 加えて、エンディングの内容になるため直接的な引用を避けるが、永琳が「姫の能力で作られた薬」を服用したという台詞も『永夜抄』幽冥組エンディング(Good Ending No.04)で見ることができる。
 以上の情報から察するに、蓬莱の薬の製造には輝夜自身の存在――おそらくは彼女の持つ「永遠と須臾を操る程度の能力」が、何らかの形で関与していると考えられる。
 この文面だけではまだ幾通りかの解釈が可能であるが、仮に蓬莱の薬の製造にとって輝夜の力が必要不可欠なものであると考えてみるとどうだろう。先ほどの削除された文章には少々おかしな点が出てきてしまう。
 輝夜の存在無くして蓬莱の薬は作れないとした場合、その輝夜本人に向かって「不老不死の薬と言えば蓬莱の薬という物がある」という説明は明らかにおかしい。
 それに対して修正後の文章では永琳が輝夜に薬の説明をするシーンがバッサリとカットされ、輝夜が蓬莱の薬のことを初めから知っていた、あるいはこのとき初めて蓬莱の薬を作ったとも取れるような描写になっている。
 修正の意図がこのような矛盾の解消であったと仮定すれば、「B.蓬莱の薬を作った経緯」「D.蓬莱の薬の副作用」が削除された理由が説明できる。また「A.蓬莱の薬を渡したという事実」「E.輝夜の処遇」が「AE′」に統合されることは説明不要として、「C.蓬莱の薬の歴史」を削除した理由も、永琳と輝夜がこのとき初めて蓬莱の薬を作ったというシナリオに修正されたのだとすれば自然に説明できるのではないだろうか。

さらなる矛盾

 上の仮説では「C.蓬莱の薬の歴史」の削除理由を説明するために「永琳と輝夜はこのとき初めて蓬莱の薬を作った」という仮定を置いた。この仮定の根拠としては単行本で加筆修正された「AE′」に「蓬莱の薬は作ってはいけない禁忌の薬だった」という文章が新しく追加されていたことも挙げられる。文面だけを読むと、修正前には「所持はOK」であった薬が「製造もNG」へと変更されたかのように読めるからだ。
 しかしながら、この仮定は永琳が輝夜に薬を授けるよりも以前に薬を服用した人物が存在すれば、たちまち崩壊してしまう。嫦娥のことである(*1)。
 まず、永琳が輝夜のために蓬莱の薬を製造した時期についてだが、これは小説版『儚月抄』第四話の妹紅の過去などから約千三百年前のことと推定できる。仮に輝夜が薬を飲んだときから、その罪が発覚し地上へ落とされるまでの間が長く空いていたとしても、百年や二百年のずれということはまあ無いだろう。
 対して、嫦娥が薬を飲んだ時期は明らかにされてない。しかし小説版『儚月抄』第六話にて、嫦娥の贖罪のための薬搗きが「既に何千年か続いている」ことがレイセンの回想によって明かされている(*2)。漫画版『儚月抄』第二話などの描写から、嫦娥の罪とは輝夜と同じく「不死の薬を飲んだ罪」であると考えて恐らく相違ない。そして同話にて、嫦娥が飲んだ不老不死の薬も永琳が作ったと永琳本人の口から明言されている。つまり、永琳と輝夜が件のタイミングで初めて蓬莱の薬を作ったという仮説は誤りであったことになる。
 ところで、嫦娥が飲んだ「不老不死の薬」が「蓬莱の薬」ではない別の薬だったという抜け穴は無いだろうか。「B.蓬莱の薬を作った経緯」に見える「不老不死の薬と言えば蓬莱の薬という物がある」という言い回しからは、まるで別の種類の薬が存在しているかのような雰囲気を感じなくもない。そして都合のいいことに、漫画版『儚月抄』第二話では、嫦娥が飲んだ薬は「不死の薬」「不老不死の薬」としか書かれていないのだ。
 しかし残念ながら、この抜け穴はすでに塞がっている。嫦娥が飲んだ薬が蓬莱の薬であることは『儚月抄』連載終了の数年後、『紺珠伝』のomake.txtにてひっそりと明記された。
 こうなってくると、「蓬莱の薬は作ってはいけない禁忌の薬だった」という一文は、あくまで永琳の後悔の念を反映した表現だったという解釈が妥当だろうか。事実として、蓬莱の薬を複数回にわたり製造した永琳は一度も罰されていない。

(*1)『永夜抄』Spell Practiceのコメントでは徐福が蓬莱の薬を飲んだとされているが、どこまで作中の事実として扱って良いのか不明であるため、ここでは触れない。
(*2)兎達が搗いている蓬莱の薬がいつまで経っても完成しないというのも、輝夜が持つ永遠の力が最後のキーであるということの示唆ではないだろうか。

最終的な仮説

 話がちぐはぐになってしまったが、わたしが最終的に提示したい筋書きは以下のようなものである。

『永夜抄』制作時、ZUN氏のなかでは蓬莱の薬は輝夜の能力無くして製造不可能なものだった。
 しかし小説版『儚月抄』を執筆する際、うっかり輝夜が蓬莱の薬のことを認知していないという体で台詞を書いてしまう。
 この問題を単行本化にあたって修正しようとしたが、「当時の輝夜は蓬莱の薬のことをあまり知らない」というZUN氏の脳内イメージが先行し、今度は「輝夜が蓬莱の薬製造に関わるのはこのときが初めてである」という体で文章をカットしてしまった(実際の描写を追うと、嫦娥が蓬莱の薬を飲んだ数千年前の時点で輝夜は蓬莱の薬製造に関わっていたと考えるべきだろう)。
 結果、修正後の内容では蓬莱の薬の出自に関する矛盾が解消されたが、本来削除する必要のなかった(設定的に矛盾の無い)箇所まで勢いでカットしてしまい、そうして生まれた空白地帯に「なぜ削除される必要があったのか」という新たな疑問が生じてしまったのだ――。

 ――もちろん、この仮説は一つの想像でしかない。特に後半部分は想像に想像を重ねたようなもので、幻覚度もかなり高いと言わざるをえないだろう。
 さらに悪いことに、この仮説では「F.輝夜の動機」がカットされた理由をまったく説明することができなかった。輝夜の根幹的なパーソナリティを示すこのパートに設定的な変更があったとは考えづらく、また、どのようなシナリオであってもカットされる明快な理由が思いつかない。お手上げである。
 逆に考えると、「F」が謎の削除を受けていることを根拠に別の仮説を立てることもできる。「輝夜が蓬莱の薬を知らないという矛盾の修正」を出発点とするのは先ほどの仮説と同じだが、それ以外の箇所が削除された理由は「ただ近くにあったから」と考えてしまう説だ。乱暴だが、有りえないと言い切れる根拠も無い。
 さらにその逆に、すべての削除に厳密な意味があったという可能性も当然存在する。しかしここまで来るとわたしの手には負えそうにないため、これ以上の探求は他のファンの考察に期待したい。

削除された設定はどう扱われるか

 最後に、単行本では削除されてしまった情報の信頼性を検討してみたい。

  • 「A.蓬莱の薬を渡したという事実」と「E.輝夜の処遇」については削除ではなく統合であるため、問題が無い。
  • 「B.蓬莱の薬を作った経緯」はどうだろうか。前述の仮説を採用するならば、永琳が輝夜に薬を紹介したという事実は完全に無かったことになったと考えるべきだろう。
  • 「C.蓬莱の薬の歴史」については解釈が難しい。仮説に基づくのならZUN氏のなかでは無かったことになった可能性のある設定だが、先述したように嫦娥の時代から蓬莱の薬が存在していたことは揺るぎない事実である。そのため、現行の設定のなかに放り込んでも特に矛盾は起こらない内容となっている。
  • 「D.蓬莱の薬の副作用」もよくわからない。仮説では永琳が輝夜に説明するというシチュエーションの矛盾が削除の要因ということになっているため、説明の内容そのものは裏設定のような形で生きていても不思議ではない。事実、「薬を飲むと人間と同様の穢れが生まれ、月の都で暮らせなくなる」という部分に関しては後の段落で再び同じ説明が繰り返されているのを単行本でも確認できる。そのため現時点での扱いが不明な情報は、「蓬莱人は仙人になれない」「蓬莱の薬は地上の人間を試すために存在する」「飲むと穢れが発生する理由は不老不死の誘惑に負けたことによる」の三点となる。人間を試すうんぬんは「C.蓬莱の薬の歴史」で語られているため、Cの信頼性に依拠する面が強い。残りの二点は現行の設定と組み合わせても矛盾しないだろう。
  •  最後に「F.輝夜の動機」だが、これに至ってはアプローチの足掛かりがまったく無い。なぜ削除されたのか、本当に削除される必要があったのか。一切わからない。一見何の違和感も無いこの文章がもし何か我々には思いもよらない理由で削除されたのだとすれば、この輝夜の動機はZUN氏の最新の輝夜像と決定的に食い違っている部分があるのかもしれない。あるいは本当に勢いで削除されただけなのか。有力な判断材料が存在しないため、結論を出すこともできない。

 以上、削除された設定についてまとめてみたが、これらはあくまでも推測であり、想像に過ぎない。唯一確固たる事実は、これらすべてが削除されているという現実のみである。どのような考えを巡らせたとしても、これらの設定のいずれかを正当な公式設定とみなすべきでないことは言うまでもない。
 しかし、この文章は一度ZUN氏によって生み出されたものであるという事実もまた変わらない。幻覚度の適切な上昇を受け入れるならば、難度は高いが、これらの情報を基にした考察を建設することもまた不可能ではないのではないかと思う。

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