返信先: ちやりの情報から考えられる血の池地獄の実態について

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#978
V層もどき
参加者

・血の池には石油タイプのものとそうではないタイプのものがあるか
あるといえばあるし、ないといえばない、という感じではないかと思います。

剛欲異聞では、村紗シナリオにおいて、石油に見えたものが実は血の池だった、というような描写がされています。
村紗が真言を唱えることで「真実の姿」があらわになるという展開です。

一方で、饕餮は「この石油が血液であることなんてもちろん知っているさ」「憎悪にまみれた有機物が全て燃料になるんだ」「元来、石油というのは生物由来の生成物じゃないか」「生命の恐怖、哀楽、憎悪、怨嗟の全てがこの液体の正体なんだよ」と述べています。

ここでいう、「有機物」「生命の恐怖、哀楽、憎悪、怨嗟の全て」とは、つまるところ、汚穢・穢れのことです。
紺珠伝での妖精の件の通り、穢れは死をもたらす存在であり、かつ、それを逆に解釈すれば、生命の活力・変化の種子、機縁そのものです。
有機物というのは、単なる炭素化合物という趣旨ではなく、有機体、生物に由来するもの、そして生物として機縁を有するものという意味です。

また、鈴奈庵での阿求と小鈴との会話の通り、東方の作品世界における「真実」とは、「ただ一つの正解」ではなく、個々の意志を持った存在が選択する、個々人から見れば一つであっても、各者の真実がそれぞれ一致するようなものではなく、無限に存在するものであるという定義です。
つまり、村紗のいう「真実」は「村紗の選んだ個人的なものの見方」であり、「村紗の目にはそう見えている」ということに過ぎません。

このため、血の池地獄を構成するものは、本質的には「穢れ」であり「機縁」であり「有機物」であって、具体的な姿は、石油であっても血液であっても例えば石桜であっても、そのように見るものが見ればそのように見えるものです。

よって、「血の池には石油タイプのものとそうではないタイプのものがあるか」は、「あるといえばあるし、ないといえばない」という感じではないかと思います。

・血の池は一つか
一つである必要はないと考えます。

先程の穢れの話でいえば、天上から地底に至るまで、それぞれの場所で循環しながら、地底に滴り落ちてきた穢れが、これ以上落ちる先がなくなって溜まって・沈殿しているのが旧血の池地獄と考えられます。
(そのような穢れのどん詰まりであるからこそ、隠岐奈にブーストされた饕餮によって穢れを一括回収し変換初期化した後にフランドールが饕餮ごと飛散させることでそのあり様を変化させているわけです)
(剛欲異聞で、血が旧灼熱地獄跡で炎に変換されていたり、核融合センターで核種変換させられていたりするのも同様のお話ですね)

ここで、地底に滴り落ちてきた穢れの最終地点が旧血の池地獄であろう、と述べましたが、逆に解釈すれば、最終地点以外にも、地底に滴り落ちてきたものが溜まりこむ場所は、存在しうると考えられます。
旧灼熱地獄にしても、下の旧血の池地獄から吸い上げられるようなものだけでなく、上から滴り落ちてきたものがそのまま炎になっているケースがあってもなんら不自然ではないと考えます。

よって、「血の池は一つか」は、「一つである必要はない」と考えます。