八百万の神と名付けの話

はじめに

幻想郷における神の定義を調べるために求聞史紀を開くと、「神様」という単一の項目はなく「龍」「八百万の神」「神霊」という項目が並んでいるのを目にすることになる。

龍は龍だ。

幻想郷の最高神。
人間、妖怪共に、生きとし生ける物全てが崇拝する神である。

 

手と角が付いた蛇の様な姿をしていて、太さは樹齢数千年の大木を遥かに上回り、長さは空を覆う程だと言われている。

分かりやすい。ネガティブな話としては、あまりに位が高すぎて神格としての龍の話は断片的にしか語られないので作中情報だけでこれ以上を考察するには少々情報が足りていないというのもある。

神霊については過去に記事を書いている方がいるのでそちらを参照されたし。

東方世界の霊の分類について | 幻想郷学講談所 (gensoukoudan.net)

さて、残る八百万の神はというと、求聞史紀ではこんなことが書いている。

姿形は無く、触る事も会話する事もできない。
その実体が何かというと、あらゆる物体の、名前を付けられる前の存在が神そのものなのである。名前を付けられた後にも、この神の影響が僅かに見られる。

ダントツに分かりにくい。しかも求聞史紀には八百万の神の姿形について「姿形は無く、触る事も会話する事もできない。」とあるのに続編の求聞口授では洩矢諏訪子という明らか姿形のある八百万の神が登場した上に彼女の説明では姿形に関して「神様という特性上、姿形は殆ど意味をなさない」に変わり、話が違うじゃないかとなる。

結論から言うと別に矛盾はしていなく設定は一貫していると思われるのだが、まずこの抽象的な求聞史紀時点での説明から、八百万の神を理解するには「名付け」の話を理解することが必要だというのを感じ取ってほしい。

それでは、神を知るための名付けの話をしよう。

『名前の無い石』

「名前」の話は東方世界観の哲学においても重要な要素の一つなので何度も繰り返しなされるのだが、だいたい抽象的で分かりにくいということが、上の求聞史紀における八百万の神の説明でも分かると思うし、もう少し詳しい方ならば純狐の能力が「分かりにくい東方キャラの能力」で相当上位に来るだろうことから実感しているだろう。

そんな中で、名前の話をかなり具体的にしているエピソードがある。東方香霖堂第一部は第15話、『名前の無い石』である。

本筋としては香霖堂に霊夢が持ち込んだ石の骨に関して霖之助がうんちくを垂れ流すという内容である。もっともこの本筋は龍の話やら見立ての話やらも入ってきて具体的ながら複雑でもある。そこで今回は具体的ながら比較的簡潔である冒頭のエピソードと途中で地の文として挿入される神への命名の話を取り上げる。

冒頭の話は以下のように進んでいく。

魔理沙は「外の世界の石」と評して半導体を香霖堂に持ち込む。霖之助が「半導体という外の世界では主に式神を扱うのに使う石だが単体では役に立たない」といった説明をし、それを聞いて満足した魔理沙は半導体をお守りにする。魔理沙にとって霖之助の説明を聞く前はこの半導体もただの石だった。名前がついていない魔理沙の世界では他の石とこれとを区別することができないからである。しかし霖之助の説明で「半導体」という名前を得てこの石はお守りとしての機能を得た。

ただし、外の世界の石に半導体という名前をつけたのは霖之助ではない。名前は既についていた。より一般的に、元来この世のあらゆる物には名前がついていなく、それに一つ一つ名前をつけてすべてが混ざった混沌の世界から秩序の取れた世界を生んだのは太古の神々であった。名付けとは無から物体を生み出す神の力で、霖之助は物が名前をつけられていたことを覚えているからその名前を視ることができるのだという。

本筋とは別とはいったが、話の構造としては本筋が単体で分かりにくいが故により簡単な例示を先に置くという手法をとっているのであり、この話では霊夢が持ち込んだ石を巡って似ているがより応用的な議論がもう一度展開されるという流れが続く。

その本筋の流れの中で、名前を付ける力が神の力であるのと同時に神々にも元々名前がついていなかったという論が展開される。ここで例示されているのが建御雷命だ。建御雷は元々甕霊で文字通り甕に宿る神だったのが建御雷に名前を変えられたことで、呪術(=甕)の神が剣(=雷)の神になったのだという。神に名前が付くとは、その神の一側面だけを切り出すということである。またこのことを逆に言うと、本来の姿の神は名前を付ける以前の物にしか宿らず、名前が付いた後の物に神が宿ってもその神の一側面のみを表すということになる。

香霖堂の話をまとめると、まずあらゆる物には名前が付けられる前の状態が存在し(この前提を演繹させると原初は全てに名前がついていない混沌だったという創造神話にも繋がる)、求聞史紀ではこの状態、厳密な表現をするならばこの状態のモノに宿る純粋な神の力を狭義の八百万の神と呼んでいるということになる。そして神に名前が付くと人間にも認識可能になる代わりに性質の一側面のみが切り取られた状態になってしまうということである。

ただし、そもそも東方香霖堂とは森近霖之助の主観で語られる作品であり、極端な言い方をすれば上でまとめた事柄はそれ単体では彼の与太話にすぎない。なのでこの理論を香霖堂外に持ち出すに際して果たしてこれが東方の世界観に対して真か否かを見て行こう。

理論の骨子は二点、

・物には名前が付けられる以前の状態が存在し、ここに狭義の意味での八百万の神が宿る
・名前が付くということは性質の一側面を切り出す行為で、認識可能性を生み出す代わりにありのままの姿は損なわれる

前半部分は求聞史紀の「八百万の神」とほぼ完全に重なっている。求聞史紀もぶっちゃけると阿求の主観なのだが、二媒体にわたって胡乱な噓情報を流す意味がメタ的にないのでここは真とみなしてよいだろう。

後半部分だが、求聞口授で神奈子がこんなことを言っている。

神は名前を付けられると力は制限されてしまいますが、自我が持てるようになるのです。何にでも宿る能力を失い、妖怪とほぼ差が無くなりますが……、逆に神話によって生まれ変わる能力を得ます。

前提として、ここでの発言者である神奈子は厳密には八百万の神ではなく神霊である。なので「名付けにより認識されるがその名前に切り取られて性質が限定される」は神霊と八百万の両方、神全般が有する性質ということになる。また霖之助の言い方だと建御雷の甕霊→建御雷の名称変更による性質の変化は受動的に起こったというようにもとれるが神奈子曰く神自身が能動的に変化させることもできるらしい。実際神奈子自身元々風雨の神だったのが山(八坂=無限の坂)の神になり、さらにそれでは信仰が得にくいという理由から技術革新の神に変化させようとしている最中である。

ただ、それらの細かい(主に神自身の視点で世界を見ているか否か)に起因する認識の差はあれどほぼ同じことを言っているのであり、神と名前に関しては霖之助理論を東方の世界観の説明に使ってよさそうである。

『香霖堂』で少し触れましたが、言ってしまえば神の力です。モノに名前が付く前にあった、純粋な力。名前が付いてしまったら、神としての性質は無くなる。その純粋な部分をずっと持っているし、他に与えることができる、神を生むくらいの力です。

まあメタ的には神主が紺珠伝インタビューで言っていたで一発なんですが。

洩矢諏訪子とは

では最後に霖之助から抽出した理論も使いながら、一見求聞史紀と矛盾してそうな求聞口授の諏訪子の項目を読み返してみよう。

彼女の種族は神奈子とは異なり八百万の神である。元となる霊は存在せず、純粋な信仰から成り立っている。その為、信仰を完全に失って困るのは神奈子ではなく彼女の方だと思われる。

種族八百万の神。諏訪子が認識可能なのは名前を得ているからだが、その名前が忘れられると名前が付けられる前の状態に戻り認識上は消滅してしまうのだと思われる。

数多の神様と同じく、普段は人型を取る事が多い。しかし神様という特性上、姿形は殆ど意味をなさない。分霊として祀られる際には、蛙の姿を取る事も多く、その際には旅行安全(無事カエル)、金運上昇(すぐカエル)、変貌祈願(見ちガエル)といった御利益があるらしい。

名前を得ていて認識可能な状態にあるので求聞史紀での話とは矛盾してはいない、ということは理解できると思う。また分霊の御利益に神奈子の言う「神話による生まれ変わり」の片鱗が見えるほか、それらすべてがカエルの言葉遊びであるという名前による属性の切り取りも感じられる。

土着神とは狭い範囲だけで信仰されている神様である。

また諏訪子は土着神でもある。「諏訪」と命名され他と区別された土地に限定して強大な力を振るうというところに、名付けが持つ呪術的意味合いを感じるのは私だけだろうか。

最後に

今回は求聞史紀の定義に始まり香霖堂の一エピソードから理論を抽出、これで洩矢諏訪子という八百万の神一人をとりあえず見るという構成で書いたが、東方にはまだまだ多くの神格がいるし、そもそも名付けの話は必ずしも名有りの神と直接結びついている必要はない。例えば「伊弉諾物質を異なるカードの絵柄に整形しそれぞれに異なる名前を与えると特定の機能を得る」というアビリティカードも名付けの例の一つだろう。こうしたより広い範囲での考察の一助にもなることを願いつつ、今回は筆を置かせて頂く。

 

参考

東方求聞史紀 〜 Perfect Memento in Strict Sense.
東方香霖堂 ~ Curiosities of Lotus Asia.
東方求聞口授~ Symposium of Post-mysticism.
東方東方外來韋編 Strange Creators of Outer World.壱

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