東方酔蝶華第65・66話のあいつらと肉塊系伝承の変遷

幻覚度 3

東方酔蝶華の第65・66話は肉芝という「人間が食べると仙人になれるが妖怪が触れると神仙力でただでは済まない激レアキノコ」を巡る話だった。結論としては「答えはそういう妖怪よ。肉人か何かかな」というどこぞの道祖神が好きそうなオチだったのだが。

 

さてこの肉芝と肉人、どことなく特徴が似ていたり後編最後のコマでツーショットしていたり、そもそも同じ話の前後編で登場してたりと関係匂わせがあるわけだが、元ネタ的にも密接に関わっている。今回は中国の伝承を中心に、この謎妖怪の元ネタを掘り下げていきたい。

 

怪異の三類型

中国の怪異伝承の一つの類型として「肉塊のようなものが出てくる話」というのがあるが、これにはいくつかの系譜がある。

肉芝ないし霊芝

前編の主役だった方。

 

「芝」単体でマンネンタケを指す字とされるが、古より必ずしも芝イコールキノコだったわけではない。

 

例えば、葛洪著『抱朴子』(317)には霊芝は石芝、木芝、草芝、肉芝、菌芝の五種類に分けられるとあり、肉芝として「一万歳のヒキガエル」「千歳のコウモリ」「千歳の五色の亀」「青色の貉に似た動物、風母獣」「千歳のツバメ」と動物が列挙されている。これはやや極端な用例にしても、『史記』(紀元前92~89年) や『爾雅』(年代不詳)、『漢書』(一世紀)には花をつける、葉があるなど、キノコではなく植物の生物学的特徴を有する「芝」が登場しており、古くは特に植物を指すものとして芝や霊芝といった語彙を用いることも一般的だったと思われる。なお、逆に元々一貫している要素として「芝」は仙薬や不老不死の霊薬、健康作用のある薬など、摂取により有益性があるとされることや、出現自体が瑞兆とされることが挙げられる。

 

『神農本草経』(年代不詳、一~二世紀とされる)では青赤黄白黒紫の六種があるとされ、健康への作用や神仙となる効能が謳われている。この色のうち、「紫」のみ五行思想の影響では説明がつかずそれこそマンネンタケの色に近いため、この時点で芝=キノコだったとする考え方もある(色以外の特徴が記載されていないので確定できない)。後述のように、紫の霊芝が日本でも記録があるという方向でも、五行思想への対応という意味合いの強い他の霊芝よりも特別感がある。

 

後に『本草綱目』(1596)で芝が記載された際は「菜之五 (芝 類一十五種)」に収録されていて、同項目に木耳(キクラゲ)や杉菌等があることから、遅くともこの時点で芝は明確にキノコとされるようになったのだろう。また肉芝も登場している。『抱朴子』からの引用と言ってる割に記載されてる「肉のような形をしており、大きな石に付着し、頭と尾を持ち、生き物である」という特徴は石芝っぽいのは内緒だ。

 

芝と呼称されないが霊芝のようなものとして、『山海経』(年代不詳)には視肉と呼ばれる生物が登場している。切り取っても再生して元の状態に戻り、食べても食べた分再生するからいくら食べてもなくならない肉塊と描写されていて、食用可能かつ食用として有用な性質をも持つという点において霊芝の類例とみなせるだろう。

 

こうした霊芝の知識は日本にも伝わり、『日本書紀』(720)には「菟田郡の人が子供と雪山に登って紫色の謎のキノコを発見し吸い物にして食べたところ、病気にもならず長生きした」という話が伝わっている。そして「現地の人は霊芝ということを知らないでみだりにキノコと言ったのではないか」という微妙に田舎人を馬鹿にしたような発言をある人がしたと続く。

 

余談だがこの日本書紀の逸話は皇極三年の出来事。同年にはみなさんご存じ常世神の流行と秦河勝による常世神討伐が起こった。長寿信仰が流行する世相だったのだろうか……。

 

更に江戸時代中期の随筆『嘉良喜随筆』には

 

延宝五年八月廿五日ノ夜、霊山権阿弥(りやうぜんごんあみ)ガ庭ニ丸ク白クシテ大ナル菌(きのこ)出ヅ。二三日ノ間ニ成リテ、白犬(しろいぬ)ノ蹲踞(そんきよ)ノ体(てい)に似タリ。タヽケバコンコント云フ。肉芝ノ類(るゐ)トミユ。

 

という逸話があり、酔蝶華肉芝の直接の元ネタはこれと考えられる。日本書紀の逸話と比べて外観特徴が「キノコ……?」になっており、霊芝の知識はその変遷含めて継続的に日本海を渡り続けていたことが伺える。

「地中から異物が出てくる」という怪異類型

肉芝、霊芝は基本的に薬学だったり仙術だったりの文脈で出てくる代物なので「食べたらいいことがあるよ」だったが、怪異の場合、食べたらどうなるかと続くとは限らない。例えば『捜神記』(四世紀頃)には

 

『夏鼎志』に言う、「地面を掘って犬を得れば、その名は『賈(か)』である。地面を掘って豚を得れば、その名は『邪』である。地面を掘って人を得れば、その名は『聚』である。聚は(人を)傷つけることはない(※)。これらの物は自然とこのようなことを起こすのであって、これらが鬼神だと言って怪しんではいけない。」と。

※「聚は無傷である」とする解釈もある

 

という話があり、別に何か害をなすわけではないが逆に有益なこともなくプラスマイナスゼロなオチである(それはそれとして「自然とこのようなことを起こす」あたりが封獣チミっぽくて個人的には好きな話ではある)。

 

そもそも冷静に考えて地中から人や獣のパーツみたいなのが出土したとしてそれを食おうという発想にはならんやろというのが常識というものだが、先の肉芝の話と習合したのか「地面を掘って人の手を得る。これを煮て食べれば、酒の味がして、人に気を養い病をなくさせる」(『白沢精怪図』(八世紀))というようなパターンもある。

太歳

こいつの説明のためにはまず古代中国の暦法についての説明が必要になる。

 

古代中国における天文学においては、天球の赤道面を東から西に十二分割した「十二辰」と呼ばれる区分けが天体の位置を表す手法として用いられた。十二辰の各方位の名称としては、北極星の位置を始点とした「子」から東回りに十二支があてがわれた(ちなみに十二支は元々は日付や地上の方位を表すのに用いられていた。子午線や卯酉東海道など、現代においても名残りが見られる)。

 

さて、木星という惑星がある。当時の中国では歳星と呼ばれた星だが、地球上から観測したとき、この惑星はほぼ十二年で天球上を一周する、言い方を変えると一年で丁度十二辰のうち一辰分だけ進むので、この性質を利用して年を数えることができた。この紀年法が歳星紀年法である。

 

ところがこの紀年法には一個大きな欠点があった。確かに歳星は十二年で天球を一周するのだが、一周する方向が東から西ではなく西から東なのである。なので歳星紀年法の場合厳密には十二辰ではなく、分割位置は十二辰と同じだが西から東に数えていくという違いがある十二次という分割法を使っていた。が、他の事物を東から西に数えるのに年だけ逆回りというのは不便極まりない(この東から西に数えるのは太陽や月がそう動くからという理由なので、他全部を西から東に数えるよう変えますというわけにもいかない)。

 

そこで、「歳星と点対称に反対側の位置を航行する架空の惑星の存在を仮定し、この架空の惑星が十二辰のどの位置にあるかで年を表す」という紀年法が発明された。この架空の惑星が太歳であり、太歳を用いるのでこの紀年法は太歳紀年法と呼ばれた。ちなみに暦法としては、その後十干という単位が追加され、干支により六十年周期で年を表すという現代まで伝わる暦に発展していく。

 

キノコの話だの肉塊の話だのをしていたところから延々と星と暦の話が始まりこれは何についての記事なんだと混乱し始める頃合いかもしれないが、紛れもなく肉塊伝承の話なので安心して欲しい。

 

つまり、元々太歳とは歳星とは逆に位置する架空の星だったはずなのだが、「天上にある歳星の逆なんだから太歳があるのは地中だろ」と考える人が出てきた。そして歳星という天の規準となる縁起物の対極なので、地中を動く太歳とは災厄の権現(正確には太歳を凶兆とする考えは架空天体としての太歳の時点で既にあったらしい)。妖怪「太歳」の誕生である。

 

怪異としての太歳は唐の『広異記』(八世紀後半)に何例か逸話が見られるが、扱いとしては地中にいるのを掘り起こした時点でほぼアウトな即死トラップである。一応対処法も書かれているのだが、

 

  • 「鞭で数百回打てば助かる」という対処法は二例試みられ、うち一例は実行者が豪運すぎて太歳が反撃を諦めたという理由で成功するも、もう一例では途中で太歳が逃亡、掘り起こした李氏の家は幼い子供一人を残し全滅した。
  • 「すぐ埋め戻せ」という対処法は実行したにも関わらず一年後には家が滅亡。

 

と人類側が一勝二敗の負け越し。どうしようもなさそうだが、そもそもが太歳であるからしているであろう方角を掘り起こさなければ遭遇もしないという、触らぬ神に祟りなしを地で行く怪異となっている。実際こうした太歳への恐れはもはや一種の信仰といってもよく、神格化した太歳こそが太歳星君……。その影の一つは東方原作にも出演した。ナマズだけれど。

 

ちなみに鞭打ちの話の方の太歳は肉塊、埋め戻した方の太歳は目が千個ついた赤いキノコみたいな形状と、この時点で既に霊芝や肉塊掘り起こし系怪異との類似が見られる。

 

と、唐代時点ではとんでもねえラスボス怪異だった太歳だが、時代が下ると風向きが代わる。

 

霊芝の項でも登場した『本草綱目』には太歳についての記載もある。この本は怪異集ではなく薬学とか博物学とかのジャンルに属する本である。危険度ダダ下がりというのがもうお分かりかと。

 

この本でもやはり土を掘り返したら肉が出てきたという形で太歳とエンカウントするが、対処法を相談された術師は「捨てても害はない」とバッサリ。更に言うと、この話、「山海経にも同じような記述がある(前述の視肉のこと)」とか「馮という食べると力を得ることができる子供みたいな形の肉塊がある」とかという話と同じ項目なので、この話に出てくる太歳は普通に食える可能性が高い。

 

と、明らかに霊芝の話と太歳の話が習合するのである。現代的には太歳の正体は「地中に存在する」「肉塊みたいな形」というところで「巨大な粘菌」とされていて、漢方として取引されることもあるらしい。

 

珍しくはあるので発見されると二十一世紀でもニュースにはなるのだが……。

 

地中から不気味な肉塊、不老不死伝説の生命体「太歳」発見か?―陝西省漢中市

Record China    2008年9月24日

地中から不気味な肉塊、不老不死伝説の生命体「太歳」発見か?―陝西省漢中市
23日、陝西省漢中市の漢江で1か月ほど前に、岸辺の砂の中から不気味な肉の塊が出てきた。これを持ち帰った男性が毎日水を与えていたところ、どんどん姿形が変化しているという。写真がその物体。

 

現代人、恐れて埋め戻す気などもはや毛頭ない。嗚呼無常。

肉人

ここまで中国の怪異伝承の話をずっと続けて、かつここまで長々話をして「肉人」なる怪異は一度も登場していない。というのも、肉人の伝承があるのは日本なのである。とはいえ、肉人は紛れもなく中国の肉塊怪異の系譜の先にある。

 

肉人は江戸時代の説話集『一宵話』(1810)に登場する。徳川家康が駿府城にいた時代、まさにその駿府城を舞台として出来事は起こる。

 

ある日の朝、駿府城の庭に異様なものが立っていた。小児のような形の肉塊で、手はあるけれど指はなく、その指のない手で天を指して動かない。発見した者はみな「なんだあれは」と右往左往するばかりで大騒ぎになり、やむなく家康公直々に判断を仰ぐことになった。家康公は「人目のつかないところに追っ払ってしまえ」と命じ、肉人は城から遠く離れた小山に捨てられた。この話を聞いたある人は「惜しいことだ。周囲に仕えるものに学がなかったばっかりに仙薬を献上し損ねた。それは『白沢図』に伝わるところの『封』であり、食べると多力になり武勇も大いに増すと書かれていたのに」と残念がった。

『白沢図』は、中国の神話上の王黄帝が、白沢(上白沢慧音の元ネタであるところのあの白沢)に出会ったときに白沢から授かった妖異鬼神について及びそれらが世に害をなすことを防ぐための知識を部下に書き取らせてできた書物と言われている。その神話はともかくとして『白沢図』そのものは実在していた書物だったようで、『捜神記』などの書に『白沢図』曰くと話の出典としてしばしば登場する。

 

実在「した」(過去形)。現代には残っていなく、散逸している。引用例の激減から推理して北宋の時代(十二世紀)には失われたと考えられているので江戸時代には既に架空の書となっていた。

 

じゃあこの話の人は嘘をついていたのかというとそうではなく、他の書で出典として登場しまくるのでそういう逸文としては遺っているのである。『封』の話もちゃんと現存している。

 

徐稹延評が盧州で税の監察を行ったとき、河のほとりで指のない子供の手を拾ったが、恐ろしくなりこれを埋めた。思うに、『白沢図』に言うところの『封』である。これを食べれば力が強くなる。

(『江鄰幾雜志』)

 

『白沢図』そのものの記述としては名前が「封」ということと食べると力が強くなるってだけなので外見特徴なんかは『江鄰幾雜志 』由来じゃねえかと思わなくはないのだがそれはそれ。類型としては確かに中国の各種肉塊ものの系譜である。「食べたときの有益性」は霊芝の話、肉塊が見つかるというのもよくあること。ただし、地中を掘るのではなく地上で発見されていることや見た目が指のない子供ということで、一番主流な類型とは少し外れていて、『本草綱目』の「馮」が一番近い。

まとめ

肉塊っぽいものが見つかる怪異は

  • 霊芝
  • そういう怪異
  • 太歳

と三つに大別されるが、特に時代が下れば下るほどこの三つには厳密な区別はなくなり混ざっていく。そして「肉塊っぽいものとエンカウントすることがあって食べると有益な効果が得られる」という最大公約数のようなものが現存して海を越えた日本でも「肉人」の話として登場したのではないかと思う。

 

酔蝶華内でも文が書く記事の内容が二転三転するという描写があるが、これも肉塊怪異にまつわる変遷を反映していたのかもしれない。もっとも文の方はかなり意図的にそれを引き起こしていた節があるが

 

ただ、惜しむらくはというかなんというか、食べたときの効能が「らしい」であって本当に効果があるのか分からないのが酔でもそうだし元ネタも大半なのである。魔理沙殿にはぜひ入手に成功してもらって食レポを……。

 

参考資料

『漢字源 改訂第五版』学研 2011年

大形徹『仙人の飲食』大阪公立大学学術情報リポジトリ 2018年

佐々木聡『復元白沢図 古代中国の妖怪と辟邪文化』白澤社 2018年

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