聖域考〜東方錦上京解剖論

幻覚度 7

聖域考〜東方錦上京解剖論

はじめに

本稿は東方錦上京新規ボスの元ネタやストーリーの流れやその他いろんな要素について、自分用の考察メモから一部を抜粋したものです。大前提としてこの手の話は『東方元ネタwiki 2nd』さん(https://seesaawiki.jp/toho-motoneta_2nd/d/)が一番詳しいので、本稿ではそちらに記載が無い(編集により追加されているかもしれませんがあくまで本稿が執筆された段階で…)ものを中心に。その性質上多くの裏取りや賛同を得たものではなく、幻覚度の高い内容となる点ご留意ください。気ままに吐き出された蜃気楼の向こう側、何か小さな一つでも発見と示唆のあらん事を。

consideration 1 空想の封じ目

黄金に輝く大地の守り人

 『七夕坂夢幻能』のブックレット、『秘匿されたフォーシーズンズ』の項にこんな記述がある。

確か、さっきまでは騒々しく聞こえていた
鳥の歌も、風の声も、木々のさざ波も止んだ
目を閉じると黄金に輝く大地が視える
空一面には沢山の不思議への扉が視える
マエリベリー・ハーンの姿も手の届きそうな所に視える

 『七夕坂夢幻能』が頒布された当初、筆者はこの「黄金に輝く大地」という記述について、「聖域」の換喩ではないかという考察を別の媒体で書いたことがある。まずはこの経緯について過去の考察を引用する形で記す。(* )内の記述は引用にあたって後から付記したものである。

 第一に「目を閉じると」視えるという記述。つまり普通に目を開けて眺めていては見えない。直後の「沢山の不思議への扉」は「空一面“には”」という助詞を用いて「視える」と言われているから、「黄金に輝く大地」とは並列されていないと考えるのが妥当である(国語…)。したがって「沢山の不思議への扉」、つまり天空璋5面や6面やEx面の背景のような景色というのは、霊夢がそうであったように普通に目を開けていても見える筈。ということはその向こう側の景色も同様に視認が可能であって、扉の向こう側(恐らくは幻想郷)の景色に対して「黄金に輝く大地」という表現を当てているとは考えにくい。現世(メリーと蓮子が生きている世界)でもなく、後戸でもなく、幻想郷でもない「黄金に輝く大地」。天空璋2面の黄金色の背景と合わせて聖域の話をしているように聞こえるなあ…というのがそもそもこの考察を提出するに至った契機である。
 第二には七夕坂における霧の表象が『スモーキングドラゴン』である必要性が感じられない点。煙のように濃い霧に包まれて、それではメリーは気がおかしくなって後戸の国の幻覚を見たのかと言われればそうではなかった筈。メリーと蓮子が両者とも後戸の国の景色を目にしていて、隠岐奈の台詞か二童子の台詞かは不明だが、とにかく『夢幻能』の頁にて彼女らもメリーが「そちら側」へ足を踏み入れたことを関知している。実際にメリーは二週間の間行方不明になっている。彼女が後戸の国にいたことは紛れもない事実であると考えるのが自然である。したがってあの霧が山如の煙草の煙である理由は全く存在しないと言って良い。異界へと誘うものの象徴でさえあれば良く、本当にただの濃い霧であっても構わない。まさに天空璋4面、「視界ゼロの邂逅」、『幻想のホワイトトラベラー』なんかは適任であったのではないか。わざわざ『スモーキングドラゴン』を選んだ理由、七夕坂の地に山如の影を落とした理由が何かあったのではないか。駒草山如とは何か、言い換えればシリーズ唯一の能記でもある山女郎とは何なのか。元人間であり、神に仕える女性であり、これまで頑なに濁されていたが聖域を守る山姥の別名でもある(摩多羅隠岐奈構文)。七夕坂夢幻“能”などと言うが、能の演目の一つに『山姥』というものがある(*ウバメの元ネタの元ネタががっつりここである)。
 第三には(*当時)直近の獣王園から、美天の存在も気になる所。ネムノによく似た衣装の彼女だが、実際のところその根底で共有しているものは何かと言われれば「聖域」という表象である。猿神、そして孫悟空の生まれ変わり(?)である彼女にとって、「聖域」というと「山姥の縄張り」「月の都の通路(*当時の表現)」と呼ばれるそれ以上に「天竺」のことなのではないか。単に「天竺」というとインドの旧称のことだが、西遊記における、つまり「中国」という文脈の中での天竺というのは中国より西側の遥か遠い場所、というぼんやりとした表象をも同時に持ち合わせていた。まして幻想郷は日本にある訳であるから、この立場から天竺というものを考えてみると、海の向こうの中国のそのまた向こうにある幻想でしかない。西遊記のモデルとなったヴァルダナ朝インドの繁栄ぶりも相まって、日本では天竺に対して「伝説の国」「黄金の国」というイメージ付けが度々なされてきた。宗教保護政策によってインドの絢爛な芸術品の制作が当時最盛期を迎えていたことも要因の一つであると言えるかもしれない。このイメージがまさに「黄金に輝く大地」と合致する。これが例えばバレットフィリアで一瞬顔を出しただけの天子の表象であればこうして引き合いに出すことはしなかっただろうが、天子が持つそれよりも更に強い「天竺」のイメージを「聖域」の概念と一緒くたにした上で最新作である獣王園で強調してきたというのはやはり意図的なものであるように感じられる。ネムノから山如を経て美天へ、そして「月の都の通路」という設定が明らかになったことで清蘭やドレミーやサグメへと。純狐や隠岐奈や千亦や残無といったラスボス達は「聖域」とは全く別の話をし続けているにもかかわらず、その裏で数年かけて何故だか押し出され続けている重要な概念なのである。

 この考察をある一定の視点から裏付けたのが錦上京における楽曲『プレステ・ジョアンの黄金境』である。単に山の神としてのイワナガヒメを祀る場所としての浅間浄穢山であれば、必ずしもそれがピラミッド=金字塔を模す必要はない。四季の竪穴へ続く4つの入り口、四角錐としての性質を加味しても、そこには「黄金に輝く大地」への示唆が少なからず含まれていると捉えたいところである。

 錦上京で新たに語られた情報から、聖域とは阿梨夜の神域であることが明かされている。4節に後述するが、虹龍洞もまた元を正せばイザナギオブジェクトの眠る土地であり魅須丸の神域である。神聖な土地を守るものとして、山姥と山女郎をある種同一のものとして捉えようとする姿勢は各ボスのネーミングからも垣間見える。山如の名字である駒草はケシ科ケマンソウ亜科コマクサ属の高山植物の名前から引かれているが、ネムノの名前もマメ科ネムノキ亜科ネムノキ属の樹木であるネムノキから、ウバメの名前はブナ科コナラ属の樹木であるウバメガシから取られたものと思われる。樹木と草花の階層の差による区分はあれど、同じ植物界被子植物門であることは間違いない。と言うより、植物という根底を共有するこの下位区分こそ幻想郷における山姥という種族の実情に一致していると言って良い。

 神域を守る女性としての山姥の性質は、4年に一度という謎の刻み方をされながら少しずつ強調されてきた。今後の動向も4年後になるかもしれないが、注視する価値はあるだろう。幻想郷という世界そのものの心臓部にこそ、山姥という存在はその根を下ろしているのかもしれない。

山姥の能力テキストとその「種族性」

 新作頒布の度に4番目くらいに気に掛ける要素に新規ボスの能力フレーバーがある。このフレーバーには原作者からの言及の外に「種族性」という要素があると本稿では主張したい。そもそも「種族性」という語自体筆者が勝手に提示したものであるから、まずはこの場で語を定義しよう。

 能力フレーバーには大きく分けて2つの種類がある。各個人を特徴づける固有の能力と、各種族を特徴づける能力である。本稿では前者は種族性が低く、後者は種族性が高い能力として定義される。以下に例を挙げる。

  • 運命を操る程度の能力(レミリア・スカーレット)
  • 密と疎を操る程度の能力(伊吹萃香)
  • 星空を操る程度の能力(飯綱丸龍)

これらの能力は種族性が低い。種族が吸血鬼にあたるボスは複数人存在するが、「運命を操る」というのは吸血鬼の種族特性ではなくレミリアの個性である。幻想郷に吸血鬼は複数存在しても、全く同じ能力フレーバーを持った人妖は存在しない。

  • 境界を操る程度の能力(八雲紫)
  • 所有権を失わせる程度の能力(天弓千亦)
  • 魔法を使う程度の能力(霧雨魔理沙ほか)

これらの能力は種族性が高い。一人一種族の妖怪では個性と種族特性が一致してしまい、神の類も多くは神格と能力が一致するので自明であるが、「魔法を使う」に関しては魔法使いの種族特性として全く同じ能力フレーバーを持ったものが複数人存在している。なお、当然ながら種族性の強さは二極化せず緩やかなグラデーションを呈する。恐らく複数の個体が存在することが示唆されている種族における、「何でもひっくり返す(鬼人正邪)」や「心を読む(古明地さとり)」、「空気を読む(永江衣玖)」なども種族性の高いフレーバーであると言えるだろう。

 錦上京が頒布されるまでの長い期間、「聖域を作る(坂田ネムノ)」は種族性の低いフレーバーであると予測されてきた。天空璋の情報のみでは、山姥とは個々人が各自の縄張りを持って生活している種族であって、中でもネムノは「聖域」と呼ばれる特殊な空間を作り出すことができると解釈されてきたためである。ところが、錦上京がそれを否定した。山姥とは種族それ自体として聖域=阿梨夜の神域を作り守るものである。本人達がそれを自覚している訳ではないとしても、変化を拒み一つの土地を守り続けようとする山姥の気質と変化を辞めさせる阿梨夜の能力が相互の利益を生み出し、緩やかな共生という形で聖域はその機能を果たしている。そして、「聖域を作る」と対になる「聖域を壊す」という能力は、ここで裏付けられた種族性とは相反する。

 文の能力フレーバーである「風を操る」は、筆者による位置づけでは一定の種族性を持つものである。葉団扇によって風を操る典型的な「天狗」像の表出のみならず、「風説を操る」意味をも象徴的に内包する。これを種族の括りから切り離し、龍を大天狗たらしめる(種族性の対義語としての)個人性こそ「星空を操る」能力である。そうであれば、「聖域を壊す」という個人性の強いフレーバーによってこそウバメは山姥の王となることができるのである。

 塵塚怪王という妖怪は、山姥に関連づけられつつもその実態は鳥山石燕による創作妖怪であり、幻想郷風に言えば一人一種族の性格が強い。そこから「ごみの付喪神の王」「鬼の一種」といった表象を取り除き、純粋に「山姥の王」としての性格を強調するものこそ、一見すると聖域を守る山姥としての表象を否定しているように見える「聖域を壊す」というフレーバーなのだろう。ところで、ウバメから取り除かれた「ごみの付喪神の王」の表象は、ネムノに既に与えられていたのではないかという立場を筆者は取っている。『The Grimoire of Usami』において、弾幕花火の大会に乱入した正邪がほぼ唯一率直に肯定的なコメントを残しているのがネムノである。

「優しい殺人鬼もやってきたぜ。こいつは残虐性と慈悲心の二面性を上手く使い分けていて、個人的に気に入って……、いや、気にくわない奴だ。」

2人はこの時が初対面であり、直接会話をした訳でもないにもかかわらずこの対応は極めて異質であると筆者は考える。一つの意図として考えられるのは、山姥を天邪鬼と同祖とする説に則った可能性。同書の中で正邪はサグメとの邂逅を「大きな収穫」と述べている。しかし本稿で強調しておきたいのは、塵塚怪王の持つ表象のうち「ごみの付喪神の王」の性格だけがこの時点で既にネムノに譲られていた可能性である。付喪神をテーマにした輝針城や弾幕アマノジャクのストーリーに則った台詞であると考えれば正邪の反応も自然なものに見えてくる。こうした表象をネムノが引き受けていたからこそ、純粋な「神域を守るもの、妖怪版の巫女としての山姥」を強調した東方錦上京という作品において、必要だったのはネムノの再登場ではなくウバメの初登場だったのだ。

 (話は逸れるがあまりに書く場所が無いのでここに記す。天空璋のネムノと言えば刃符→尽符の移行のネーミングが見事であるが、これが8年を跨いで全く同じ読みでウバメの塵符に繋がっている構造があまりに美しく未だに新鮮に感動している。これ自体これで完結する話すぎてわざわざ言及するタイミングも無かったのだが…。)

 「聖域を作る」というフレーバーの種族性を再定義したとしても、「聖域を壊す」という能力が具体的に何を指すかは未だ明らかになっていない。直感的にだが、聖域のみを破壊できるという意味で例えば「あらゆるものを破壊する」といったフレーバーの下位互換なのではなく、演じられる役割が根本的に違うのではないかというような心持ちは微かにしている。根拠は無い。聖域とは何か、壊すとは何をすることか。山姥達のみならず、月の都や浅間浄穢山を考えるにあたっては切っても切り離せない問いとなることだろう。

consideration 2 聖なる森の銀河

聖なる宇宙を見守る瞳

 ウバメの1枚目のスペルカード「コズミックダスト」や2面のステージタイトル「聖なる森の銀河」、これらに対する疑問こそが体験版から製品版頒布までの期間に筆者を最も惹き付けた問いだった。聖域とは宇宙なのだろうか。答え合わせがあるかも分からない製品版を黙って待つことなど到底できず、書籍や博物館を片っ端からあたっていたところ、興味深い企画展に出会った。『死と再生の物語〜古代中国の神話とデザイン』。泉屋博古館東京で2025年6月7日から7月27日まで開催されていた展示であり、青銅鏡の名品を中心として中国古代の洗練されたデザイン感覚、その背景となった神話や世界観を紹介していた。動植物(剛欲異聞)、天文(錦上京)、七夕(天空璋)、神仙への憧れ(永夜抄、紺珠伝、神霊廟)といった観点からデザインの背景を解説しており、錦上京の文脈を除いても極めて実りある企画展であった。が、本稿ではその中でも方格規矩鏡というものについて、錦上京2面の文脈と絡めて紹介したい。

方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)とは、漢鏡の一種で、鏡背の内区がいわゆる方格(四角形)と規矩(TLV)によって分割され、その内部に細線による主文様を有する鏡の総称。内部に配される文様は様々でそれによってさらに細かく分類される。

(Wikipedia「方格規矩鏡」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%A0%BC%E8%A6%8F%E7%9F%A9%E9%8F%A1)(最終閲覧:2025年9月29日)

中でも規矩文の間の主文様として四神をもつものが方格規矩四神鏡である。四神は天を示す円周に立つように描かれており、天に居ることを示している。実際、四神は古代中国における星座にもなっている。

 ここでチミのデザインについて見てみる。種族上魑魅とは言ったもののその外見は極めて異質であり、長い耳を除いては魑魅とも魍魎とも特徴が一致しない。寧ろその外見は頭部から順に白虎の白と黒の毛皮、朱雀の赤い羽根、玄武の緑の鱗、青龍の青い尾を示唆しているようにさえ見える。四神のキメラと呼ぶに相応しい。同じくキメラティックな側面を強く押し出され「封獣」の名前とともに先んじて登場していたぬえと、「封獣属」という区分を共有しているのだとチミ本人が(ぬえの名前を出した訳ではないものの)エンディングで語っている。幻想郷において、「姉妹」の文脈無しに同じ名字を共有しているボスは紫から名前を譲り受けたと思われる藍のみである。幻想郷においては存在そのものの写鏡である「名前」を、血縁なく(九十九姉妹のような奇特な人々は一旦考えないことにする)共有しているというのはかなり特別であってレアケースなのである。したがって「封獣」という名前それ自体が、「複数の獣を一つの身に封じる」ことから来た通り名のようなものなのではないかと筆者は考えている。閑話休題、これもまたチミを四神のキメラとして捉えようとする論の正当化である。また、四神は元々東西南北の四方を守る神であって、3面においてピラミッドを守り道案内をする馴子の立ち回りがこれに極めて類似している。製品版において、その馴子をピラミッドの外に設置したのはチミであることが明らかになっている。

 方格規矩鏡が描き出す宇宙の上で四方を守る獣神達の姿は、聖なる森の銀河の下で主人公を祭壇へ導くチミの姿に極めてよく重なる。ところで、中国考古学の専門家である林巳奈夫は自著の中で、方格規矩鏡のTLVのうちV字形を『淮南子』天文訓において北東・南東・南西・北西の四方にある鈎を表すものではないかと推測している(*)。これら四つの方角をまとめて「維」と呼ぶそうである。どうせ関連性は無いが、面白みはあるのでここに記しておく。他のどの神でもなくユイマンをピラミッドに勧請した月の民の意図としていい感じにこじつけてみても良い。無機質な名前も月の民にとって都合が良すぎる能力も、どう考えても後付けであってその素体がユイマンである理由にはなっていないのだから。

(*林巳奈夫(1973)「漢鏡の圖柄二、三について」『東方学報』44, 11-14. 京都大学人文科学研究所)

consideration 3 化石化した異変

山と海とを繋ぐ場所

 浅間浄穢「山」が静かの「海」と繋がり、見覚えのある背景の向こう側からこちらを呼び止める「彼女」の気配。折角新キャラのユイマンが霞むくらいに感動したのを今でも鮮明に覚えている。豊姫の「山と海を繋ぐ程度の能力」を物理的にに再現した構成の錦上京5面であるが、錦上京におけるこの能力には、もう一つより象徴的な存在意義が残されている。

 豊姫はそのモチーフを日本神話のタマトヨヒメに持ち、はっきりと言及されている範囲では依姫との姉妹関係が神話の系譜と一致している。タマトヨヒメは親等としてはイザナギノミコトの孫にあたり、オオワダツミノミコトの子である。一方の阿梨夜はというと同じく日本神話のイワナガヒメをモチーフとしており、過去作書籍で何度か名前のみ(「イワナガヒメ」という名で)言及があった。親等としてはイザナギノミコトのひ孫であり、オオヤマツミノミコトの子である。阿梨夜(ここでは便宜的にこう呼ぶ)の妹のコノハナサクヤヒメ(こちらも過去作書籍で言及がある)にはホオリノミコトという子がいるが、その妻としてフキアエズノミコトを産んだのが豊姫(便宜的に以下略)である。この親等の近さで錦上京製品版みたいなことをやられると変にリアリティがあるというか背徳的というか、とにかく妙な気分になるので自重して頂きたい。誰向けの文句だ。

(▲魅須丸は古事記ベースなのに阿梨夜は日本書紀ベースで書いていることに今気付いた。神奈子やワカヒコの立ち位置もざっくりすぎるしまあ素人が付け焼き刃の知識で作ったものということでご愛嬌。)

その名からも分かる通り、オオワダツミは海の神でありオオヤマツミは山の神である。綿月姉妹が海からやって来て身体を清めた地として千葉県に神洗神社が残っていたり、全国の浅間神社に阿梨夜とサクヤが(基本的に全て後者を主祭神として)祀られていることからもこの性質は自明である。ここに至って、「山と海を繋ぐ」能力は錦上京5面と6面を、即ち豊姫と阿梨夜を繋ぐものとしてより象徴的に機能していたのである。

 ここで2面に目を向けてみる。チミはおまけtxtの種族の項からも分かる通り魑魅という種族であるが、その長い6つの耳は魍魎の方の特徴である。魑魅は山の怪、魍魎は河の怪であるとされており、チミの能力フレーバー「山河の気を操る」も勘案するに、性格としては魑魅と魍魎の合の子といった個性が強いのだろう。「セイクリッドフォレスト」という聖域の森の換喩より、たかねの「森の気を操る」というフレーバーとの関連性も疑問視される所ではあるが、それはまた別の話である。とにかく、魑魅だけでなく魍魎の性質をも同時にその身に内包することで、豊姫が5面で与えた示唆を「山河」という縮小した形で2面でも与えているのがチミなのである。

 「魑魅」を名乗りながら河の気をも操るチミが導いた5面の静かの海へ続く道、「変化が停止する」「石に関わる異変」というイワナガヒメの存在に対する示唆、タイトル画面で蜃気楼のように揺れる龍。製品版のヒントは体験版の時点で既に至る所に散りばめられていたのである。『どうせなら命を賭けて謎を解け』。製品版への期待とともに終わる体験版3面には、原作者からの小さな置き手紙が残されていた。

consideration 4 二枚貝の追憶

龍の棲む山〜虹龍洞に見る浅間浄穢山

 錦上京製品版が頒布される以前、筆者が別の媒体で出した考察の中に、ピラミッドの底には龍が眠っていたりすれば構造として非常に綺麗であるなあ、という内容のものがある。元からそうではなかったものの、結果として蜃が化石の森で生まれたことにより、概ね似たような構図がここに完成した。化石の森にニナがいることの一体何が重要なのか、という問いには、虹龍洞を引き合いに出して応じるのが手っ取り早い。以下過去の考察を引用・要約する。(* )内の記述は引用にあたって後から付記したものである。

 虹龍洞を前提にして考えると、チミの台詞で気になる点が2点ある。第一に「この先には洞窟があるが、普段は誰も近寄らない」。そして第二に「この先にあるのは古い信仰」(魔理沙緑ルート)、「神や仏の力は嫌がられるかもしれない」(霊夢緑ルート)というものである。「聖域の中にある誰も近寄らない洞窟」と言えば、2作品前に行ったばかり(4年前)の虹龍洞。聖域とは「『山の麓』のアンタッチャブルな土地」という説明が錦上京にあり、虹龍洞3面のステージタイトルでは「尊き『高原』に穿つ洞」と言われていることからも、偽天棚は設定上は聖域とはかけ離れたものである。しかし、(*本稿1節で述べた通り、山姥と山女郎の対比を中心として、)偽天棚を聖域と対比または同一化させるような描写はこれまでにいくつもある。「尊き高原に穿つ洞」の「尊き」がどこにかかっているかも意外と問題である。即ち、「尊い」のは洞か高原かという問い。「洞」を修飾するなら「高原に穿つ尊き洞」の方が自然、つまり偽天棚そのものも聖域と同じように「尊い」場所なのではないだろうかという仮説が立てられる(*これは後に錦上京製品版で「聖域」が「阿梨夜の神域」を定義に持つことが明かされたことにより、魅須丸の神域である虹龍洞との対比が成立している)。

チミは「妖怪よりも古い妖怪」「妖怪が学問になる前の純粋なもののけ」であるという記述がある。この表現は伊弉諾物質の「大地が誰のものでもなかった頃の遺物」という言い換えに通じる。そのチミがよく知る「古い信仰」とは伊弉諾物質と同じくらい古いものなのではないだろうか。そして、その伊弉諾物質は龍珠という形で虹龍洞にも眠っている。大事なことなのでチミに倣って二度書くが、【虹龍洞には龍の名を持つ伊弉諾物質が眠っている】。そして、虹龍洞の中にいるものと言えばもう一つ、龍を食べる大蜈蚣の百々世。もしもピラミッドの先にいるのがタイトル画面に示唆された龍、またはそれに準ずるものだとしたら?聖域の中にある秘匿された土地で、大蜈蚣の棲む虹龍洞。同じく聖域の中にある秘匿された洞窟に、龍が棲んでいたとしたら対比として非常に美しい。


(▲直接的に上記の論に添えた図ではないため守矢神社を含んだ三竦みの構図や「聖域≠ネムノの縄張り」としての再考なども加えているが、言いたいことは概ね同じである。)

 山姥に守られた土地にある秘匿された洞窟の底、その正体は太古より連綿と続く信仰を隠した神域である。そして、魅須丸に虹龍洞を追い出された先で出会ったのは「星を操る」能力を持った龍であり、主人公をピラミッドのある洞窟に導いたのは、本稿2節に述べた通り聖なる森の銀河の下の神獣である。一方の洞窟の底には龍が、もう一方の洞窟の底にはそれを食べる大蜈蚣が眠っている。オカルト誌のこじつけのつもりで書いたこの対比は、奇しくもニナの存在によってここに成立した。虹龍洞のメインテーマ自体は「新型コロナウイルスのパンデミックによるコミックマーケットの中止」なので聖域とは直接的には関わらないが、それはあくまで千亦の持つ表象に限った話であり、聖域という土地の掘り下げに際した伏線はあらゆる場所に張られていたということが分かる。

 ニナは二枚貝の妖怪ということになっているが、この元ネタは鳥山石燕が持ち出した蜃の正体をハマグリとする説であり、それより以前には本節で前提としたように蜃とは龍であるとするのが定説であった(もちろん地域差はある)。錦上京Exの中ボスはユイマンであるから、百々世にしてみればビュッフェも良い所だろう。ユイマン本人は華奢で食べる所も無いだろうが、巻いている蛇は蕎麦に等しいし、彼が蜈蚣の胃袋の中に収まるようなことがあれば月の都はそれこそひっくり返る。笑い事ではないがあまりに響きが愉快である。なお、このExの人選については筆者の持論がある。宋の百科辞典『埤雅』の著者である陸佃は、蜃はヘビとキジの間に生まれるものと述べている。この蜃の発生について、ヘビがキジと交わって卵を産み、それが地下数丈に入ってヘビとなり、さらに数百年後に天に昇って蜃になるとしている(*)。ニナはユイマンが処理しきれなくなった穢れ(=蛇に食べ残された情報のゴミ)から生まれた二枚貝である。

(*寺島良安(1987、原著1712)『和漢三才図解』(島田勇雄他訳注) 平凡社)

 妖怪の山の地下という場所、ある意味では幻想郷の中枢において偶然か意図的か生まれ落ちた「龍」の子。彼女がいつか名実共に「真実」の守り人となる日は来るのだろうか。

consideration 5 寂滅為楽の残した夢

記憶の深海に沈む少女〜Fossilized Wonders

 獣王園の物語は「土地に取り憑いていた霊魂が聖域を離れた」という事件に始まる。錦上京に何の繋がりもなく獣王園で聖域の話をしたとは思えないが、だからと言って錦上京の物語に獣王園が関係あるとも全く思えない。残無本人も摩多羅隠岐奈ムーブだけして帰って行ったのでいよいよ分からない。この点に関してアンサーとなりそうな記述を探すため、そして会うのが久々すぎて人となりすら忘れかかっていた豊姫に関して復習するために儚月抄を読み返していて気が付いた。つい最近、書籍で残無が似たような警鐘を鳴らしてはいなかったかと。

 そもそも『東方幻存御籤』という書籍自体、「キャラ設定の公式声明」=Chat GPTにキャラ解説をさせると返ってくる適当な答えに対するアンチテーゼという側面を持っている。溢れて錯綜する「東方キャラ」の情報を正しく整理する為の書籍である。そしてそれを編纂させたのは、即ち御籤作りを幻想郷に提案したのは残無であった。ちなみに、仕事でAIにボスの名前をぶち込んで要約させたことが実際にあるが、これが想像の3倍は酷い。ソースが少ないマイナーボスや新作ボスはおまけtxtに書いてあるレベルの情報すらまともに出せず、参照する項目が大量にある人気ボスでは正しい情報が抽出できずにある情報全てを組み合わせた出鱈目を言い始める。結果として歴代ボスの見た目を借りた「虚像人間」=ハルシネーションを作り出してしまう。 阿梨夜の台詞「自分が力を抜けば異変は収まるが、大量の穢れが流れ込んできて幻想郷は変容する」を勘案するに、恐らく「自分が幻想郷を『固定』していたが、能力を解除することで外の世界からAIによって作られた情報が流れ込んできて幻想郷の性質がそれに書き換えられる」ということが言いたいのだろう。例えば生成AIのハルシネーションによって「咲夜の種族は月人である」という情報が流布され、外の世界で公式設定として受け入れられたとして、それが幻想郷に流れ込んでくれば咲夜は初めから月人だったことになってしまうし周囲もそれに違和感を覚えることができなくなるということである。今回の異変が表沙汰になるより前に残無が幻存御籤を編纂させたことで、これに対する対抗手段は既に出来上がっているのだ。

 (話は変わるが、これは別に生成AIによるハルシネーションばかりが怖いということではなく、幻想郷という場所の性質を如実に表したものであると思う。獣王園が頒布されるまで、八雲藍とは結界の管理人であり紫と同居する彼女の式神であり、それでいて橙の主人であり、それ以上でもそれ以下でもないものだった。ところが、2023年8月を境に、藍は『初めからかつて畜生界に住んでいて尤魔の旧友だったことになった』。当然ながらその変化に疑問を持つものは幻想郷にはいない。変化には気付いていた筈の観測者ですらもそれを疑問とは思わない。ただ初めからそうだったように認識を書き換えられた。人妖の本質とは、メタ的に言えばキャラ設定とは後からいくらでも過去を上書きしうるものなのである。それを生成AIが勝手気侭にやるか、原作者が新作という媒体をもってやるかの違いに過ぎない。)

 錦上京5面道中曲のタイトルは「記憶の深海に沈む少女」。「深海」とは無論5面道中のことであって、曲名自体「少女が見た日本の原風景」(ここでの「少女」は5ボスの早苗のこと)のセルフオマージュに見えることから、「少女」=豊姫と言いたくなる。が、「記憶の深海」に沈む少女となると恐らく話は変わってきて、これら「情報の海」の底に囚われた「東方キャラ」の総称なのではないかという風に見える。それこそ豊姫だって、記憶の深海に沈めてしまっていたから再登場に際して儚月抄を読み直したシューターも多いのではないか。無論筆者もその1人である。むしろ、5面のステージタイトル「化石化した異変」こそここでは豊姫(ひいては儚月抄)の暗喩なのではないか。儚月抄に限らず化石となって記憶の深海を揺蕩う紅魔郷や花映塚や神霊廟や鬼形獣に対する記念と弔いの墓、すなわちピラミッドこそが異変敵なのかもしれない。

おわりに

 さて、ここまで長いことハルシネーションにお付き合い頂きました。正解とも不正解ともないものを、内心では不正解と分かりきっているものをつらつらと書き連ねていると、やはりさながら蜃の気分になることがあります。とは言え虚構を吐き出し続ける蜃の営みを、空虚なものであると誰が言えましょう。幻は幻として誰かの世界を少しだけ彩ることが出来ればそれで良い。作り出せない真実よりも、何かしらの手段を以て実態を得た虚構の方が人の心を強く揺さぶるものです。それらしく言いましたが陰謀論というのは概ねこうして出来上がるものです。それらと違って誰を傷付けている訳でもないのですから、私もまたこうして蜃気楼を吐き出しながら生きていきましょう。次にお会いする時はまた幻想の向こう側で。

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