水子のアイドルは意外と幼い?

注意事項

 この考察は、2024年5月3日に開催された博麗神社例大祭21にて、筆者が配布したペーパーを加筆修正したものです。

はじめに

 戎瓔花というキャラクターがいる。東方鬼形獣の一面ボスである彼女は、「水子のアイドル」という強烈な個性を引っ提げてプレイヤーの前に現れた。「水子」という存在は、一般的に非常にセンシティブなものであるとされる。二次創作が大きな影響力を持つ東方Projectにおいて、アンタッチャブルなモチーフに由来する彼女の二次創作は少ない。したがって、戎瓔花はマイナーなキャラであると言えよう。

 しかし、戎瓔花の持つポテンシャルはすさまじい。ここでは、戎瓔花を形作るモチーフの中の一つである水子に着目した。日本における水子供養とその展開から、彼女が生まれた時期について考察したい。

瓔花は水子

 戎瓔花は、東方鬼形獣を初登場作品とするキャラクターだ。一面ボスである彼女は、賽の河原に暮らす水子たちのリーダーとして、主人公たちの前に現れた。二つ名は「河原のアイドル水子」、能力は「上手に石を積む程度の能力」、その種族も「水子の霊」と、彼女にまつわるすべての設定が、戎瓔花が水子であることを物語っている。

 また、名字の「戎」という漢字からは商売の神であるエビス様を連想させる。エビスは様々な姿を持つが、その根底には「異郷からの来訪神や海の彼方から流れ来たる寄り神と呼ばれるものへの信仰心がある」という。(大島2001) 神といえば、水子つながりで蛭子神の名前も上がるだろう。蛭子神は、国生み神話にて、イザナギとイザナミが手順を誤った際に生まれた神だ。その後、蛭子神は二柱の手で海に流されて出番を終える。しかし、流された物はいずれ陸に流れ着く。陸に流れ着いた神は寄り神と呼ばれ、寄り神は冨をもたらすと考えられた。こうしてエビス様と蛭子神は同一視されるに至る。

 ここまで、戎瓔花について見てきたが、能力や種族を鑑みるに、キャラクターとしての戎瓔花は明らかに水子を意識していると断言できる。一方で「戎瓔花」という名前からは、彼女がエビス神や蛭子神の要素を内包していることがわかった。そして、包摂された神々を辿った先には水子がいる。戎瓔花と水子は切っても切れない関係にあるのだ。

水子とは

 ここまで、戎瓔花と水子が強く結びついていることを確認してきた。ところで、本稿では「水子」という言葉が何度も用いられている。そもそも、水子とは何なのだろうか。仏教には「水子」と書いて「スイジ」と読む例があるが、それを供養したりタタリを恐れることは無いという。(森栗1994) これは一般的な「水子」ではないだろう。『日本の神仏の辞典』の「水子」の項目には「流産や堕胎による死産胎児のこと。(中略)現在は胎児のみならず、死亡乳児・幼児に対する供養もこの名のもとに行われている」(山本2001)とある。こちらは一般的な「水子」像と大差ない。ただし、流産・死産した胎児だけを「水子」と呼ぶ場合と、夭折した未就学児を含める場合の二つがあるという。また、夭折した未就学児の意味を持ったのは最近のように読める。

 水子には、なぜ二つの意味があるのだろうか。

水子供養の歴史

 戎瓔花を語る上で「水子」というキーワードは避けて通れない。「水子」は、出生前あるいは出産直後に命を落とした赤子を指す場合と夭折した乳児や未就学児も含む場合があるという。なぜ、含有される年齢が広がったのだろうか。まずは、水子供養の歴史を振り返ってみよう。

 水子供養は、1970年代から1990年代にかけて、水子供養ブームという形で日本社会に現れた。ただし、これは社会全体の話であり、医療の現場においては、1951年に産科医主催の堕胎児の慰霊祭が開かれている。翌一九五二年には、今度は胞衣(胎盤)の回収業者が「死産胎児供養・水児・水胎児」と銘打って供養しており、以降も毎年のように開かれていた。「水子供養」が始まる以前にも、中絶手術の現場にあって、中絶胎児の命を認識せざるを得ない立場の人びとによって供養が行われていたのだ。この背景には、1948年の優生保護法制定により人工妊娠中絶が認められ、その後も条件が緩和された結果、人工妊娠中絶数が増加したという事実がある。最初期の「水子供養」は、大量の子どもが中絶・堕胎され、その状況に心を痛めた中絶現場の人びとが始めたものだった。

 また、1950年代時点では、多くの人が人工妊娠中絶に抵抗がなかった。なぜなら、当時の技術では母胎内の胎児の姿を見ることは難しく、胎児への情など育む余地がなかったためだ。しかし、1970年代の中頃に最新の医療機器が導入され始め、生まれる前に胎児の様子をみることができるようになると、事態は一変する。成長過程の胎児の姿が可視化されたことで「モノ」であった胎児が「我が子」に変わったのだ。

 ところで1970年代の日本は、いじめ・非行や高校生や未成年の中絶を始め、若者の問題行動が取り沙汰され始めた時期だった。また、1980年代にはオカルトブームが日本を席巻する。そうした世相の中で、かつて中絶を経験した女性たちは生まれるはずであった「我が子」への後ろめたい気持ちを抱くようになった。そして、すでに主婦となっていた中絶経験者たちが情報源としていたテレビや週刊誌は、水子の祟りを謳った記事を乱筆していた。水子供養の流行は、当時の世相とメディアの煽動によって形成されていったのだ。(鈴木2017)

 子どもを失うことが当たり前でなくなった現代は、「子どもは愛をもって育むべき」という認識が広く持たれ、子どもに向けられる親の愛情は以前よりも深まった。そして、子どもを亡くした親が受ける精神的なダメージは計り知れない。我が子を想う親たちは、心の拠り所として、本来中絶胎児を対象としていた水子供養を求め、それに伴って供養される「水子」の年齢が広がったのだろう。※1

戎瓔花と水子供養

 ここまで私たちは、戎瓔花のモチーフから始まり、水子の定義を確認した後、水子供養の歴史を振り返ってきた。一度、これまでの内容を整理しよう。

 まず、戎瓔花は、二つ名や能力、名前の元ネタなどを鑑みても、水子との関係が非常に深い。それどころか、キャラクターの設定を素直に受け取れば、彼女は水子そのものである。

 その水子は、仏教用語ではあるものの現行の「水子」とは別物である。現在のいわゆる「水子」は、水子供養ブームの中で生まれた言葉であり、もともと流産・死産した胎児という意味だったものに夭折した乳幼児も含まれるようになった。

 水子供養は、1950年代の中絶解禁時に、胎児が大量に中絶される状況に心を痛めた医療関係者によって始められた。その後、1970年代になると水子供養ブームが始まる。医療技術の進歩に伴い、まだお腹の中にいる我が子に対しても愛着を持つことが当たり前になる中で、戦後の大量中絶期に中絶を経験した女性たちの抱いた後悔やうしろめたさが、オカルトブームやメディアの煽りを受けて始まった。

 これらの事実からは、「水子のアイドル」である戎瓔花は比較的最近“生まれた”存在であると考えられはしないだろうか。戎瓔花は水子である。しかし、一般的に用いられる水子という言葉自体、1970年代に始まった水子供養ブームを経て姿を大きく変えている。であるのならば、「水子のアイドル」としての戎瓔花も、1970年代あるいはそれ以降に形成されたと言えるのではないか。

 もっとも、水子供養を理由に戎瓔花を若いと決めつけることは、いささか早急だろう。なぜなら「水子」は、供養される幼子の魂である以前に、出生前・出生直後に何らかの理由で命を落とした胎児であるからだ。おそらく「水子」という呼称は、近世以前に遡ることは無いだろう。しかし、それ以前にも別の呼び名があったはずだ。仮に呼び名が無かったとしても現在であれば「水子」と呼ばれるような胎児はいただろう。でなければ「シメ子」だとか「トメ子」だとか「止吉」(恩賜財団母子愛育会1975)という名付けはされない。

 そもそも、戎瓔花は様々なモチーフを持っているのだ。解釈次第でその姿は千変万化する。なのだから、彼女を水子だけに縛り付けておくことは、少なくとも創作者としては勿体ないと言わざるをえない。戎瓔花本人は喜びそうではあるが、それは置いておこう。

 少なくとも私は、せっかくのポテンシャルなのだから余すことなく活用したい。あわよくば、戎瓔花をもっと軽くしたい。と、筆者は考えている。

おわりに

 本論では、戎瓔花の「水子」という属性に着目し、日本における水子供養の展開と絡めることで、「水子のリーダー」としての戎瓔花が生まれた時期を考察してきた。その過程では、「水子」と「水子供養」という一般的にあまり触れられることのないモチーフの原義や歴史を振り返った。

 はしがきでも述べたように、本論で扱った要素は一般的に非常にセンシティブであり、生半可な気持ちで扱ってはならないと思われている。実際、人の生死がかかわっているのだから、決して軽い気持ちで扱ってはいけないだろう。しかし、ノータッチなのもいかがなものかと思う。

 本稿を読んで、戎瓔花や水子供養に興味を持った方がいれば、ぜひ参考文献リストにある文献を手に取って欲しい。

 面白いよ。おいで。待ってます。

引用文献・注釈

川部裕幸「えびす」大島健彦 他『日本の神仏の辞典』大修館書店 2001 200ページ

森栗茂一「水子供養の発生と現状」『国立歴史民俗博物館研究報告』国立歴史民俗博物館57巻1994 95-127ページ

山本亮「水子」大島健彦 他『日本の神仏の辞典』大修館書店 2001 1204ページ

恩寵財団母子愛育会 編『日本産育習俗資料集成』第一法規出版1975  163ページ

なお、三章は以下の文献を参考にした。

鈴木由利子「水子供養にみる胎児観の変遷」『国立歴史民俗博物館研究報告』国立歴史民俗博物館205巻2017 157-209ページ

鈴木由利子「間引きと水子供養」民俗学辞典編集委員会『民俗学辞典』丸善出版株式会社2014 276-277ページ

上記の内容はほぼ同じである。まずは簡潔に整理された『民俗学辞典』を読み、その後に「水子供養にみる胎児観の変遷」に目を通すと内容が理解しやすいと思われます。

※1筆者独自の主張。

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