この記事は2020年に筆者の個人サイトに掲載した文章の再掲です。
筆者が東方Projectで関心を寄せているキャラは大きく分けて「単純に好きなキャラ」と「世界観的に重要視しているキャラ」に大別される。前者の話は割愛して、この後者を代表するキャラは霊夢や紫といった主役級のキャラが中心であり、この枠は東方を詳しく知り始めて以来ほとんど動いていないのだが、数少ない例外として近年自分の中でこの枠に急激に食い込んできたキャラとして蓬莱山輝夜が存在する。輝夜は東方のいわゆる三部作の締めくくりとなる永夜抄の真のラスボスという立ち位置であり、もともと6ボスの中では一歩存在感が強いキャラという認識だったのだが、蓬莱の名を冠するキャラとして関心を抱いてキャラ性を考えていくうち、こいつは思っていた以上に持っている要素が強大なキャラだという認識が強まり、今回現状輝夜に対して抱いている認識・イメージ・解釈をメモしておこうと思った次第である。世界観的に重要だと思う理由だけでなく単に輝夜の持っている属性についてもこのサイトやTwitterでの既出未出問わず思いつくままに列挙していこうと思う。
まず、輝夜は東方キャラの中でも非常に稀な、子供でも知っている著名な元ネタの人物その人であるというキャラである。他にこの特徴に当てはまるキャラは聖徳太子こと豊聡耳神子くらいしか存在しない。外來韋編の神主のインタビューによれば輝夜は紅魔郷、妖々夢と幻想郷の世界観を育てた所でその世界に知ってるやつが現れた!という意図で出てきたキャラとの事で、ある意味では三部作全体が輝夜および輝夜と対存在になる妹紅を出すお膳立てであると捉える事もできる。確かにこの二人は長いお膳立てでシリーズの一つの締めくくりを飾るにふさわしい究極的な属性を持たされているように思う。
具体的な所は後でじっくり述べるとして先に余談であるが、妹紅も自分の中で輝夜と同じく考えを進めるにしたがって存在感が大きくなっていったキャラで、妹紅の場合は単なるEXボスの、それもどちらかと言えば地味な方にあたるキャラという認識でいた時期が長かったため輝夜以上にそのギャップは大きく、未だ侮っている所が大きい気がしてならないキャラである。妹紅は輝夜と対存在という認識を持っているため、この記事でここから先でもちょくちょくと話題に上がると思われる。
輝夜の話に戻り、まず輝夜のキャラクターとして元ネタのかぐや姫から持っているものから挙げると、竹取物語においてかぐや姫は明らかに「手の届かないもの」の象徴である。求婚に詰めかけた男に自分と結婚したくば指定の品を持ってこいという難題を出した話は輝夜のキャラクターにも深く反映されている所だが、この難題は男を篩にかけて自分に相応しい者を選ぶためではなく、入手不可能な品を条件にする事で断固として結婚を回避しようという魂胆である。万に一つでも本当に持ってこられたら困る以上、かぐや姫は絶対にこの世に存在しない、よしんば存在しても決して入手できないと思う品物を指定したはずである。これら入手不能の品物は手に入れられればかぐや姫をも娶れるという意味で一つ一つがかぐや姫そのものであると言える。この時点でかぐや姫は入手不能の存在と言えるが、その上ダメ押しで帝すら友人止まりで我が物にできなかったという設定が加わり、もはやこの世の人間には決して手の届かない存在として描かれている事は間違いないと思う。
竹取物語におけるかぐや姫は最終的に月に帰っていくという月と縁深いキャラであるが、東方の輝夜はそれ以上に月との繋がりが強調されているように思う。特に満月はその傾向が強く、永夜抄の輝夜の初登場はそれまで見えていなかった真の満月とともに輝夜が現れるという流れである事からも輝夜と満月、それもおそらく望の瞬間、もしくは旧暦8月15日のいわゆる十五夜の月と思われる特別に強調された満月と結びつけられているように思えてならない。そして東方において満月は折に触れて「完全」という形容と強く結びついて語られる。香霖堂第一話で霖之助は15を完全な数であるとし、その理由を十五夜=満月と結び付けているし、東方Project第15弾である東方紺珠伝の目玉要素の名前が「完全無欠モード」であるのもここと繋がっている事はまず間違いないと思われる。
しかしそもそも満月が完全であると言われるのは間違いなくそれが真円の象徴だからである。真円=完全な球体を表す満月は傷も歪みも無い究極の玉(ぎょく・宝石)と結びつき、究極の玉とは入手不可能な品物として指定された蓬莱の玉の枝の事であり、蓬莱の玉の枝はかぐや姫そのものである品物の中で最も輝夜を象徴する品物である。輝夜が完全さとの結びつきの強いキャラである事は間違いないだろう。
次に、輝夜の能力といえば「永遠と須臾を操る程度の能力」である。永遠は馴染みのある概念そのままのようだが、須臾は求聞史紀での阿求の解説や儚月抄の有名な豊姫のフェムトファイバーの説明を見る限り、辞書的な意味である1000兆分の1の事ではなく無限小の時間の事であるように見える。永遠と合わせて無限大と無限小というわけである。しかしながらこの無限という概念は気軽に持ち出されるわりには扱いの難しい厄介な概念である。
筆者はちょっと本で読んだ程度の知識しかないのでほんのさわりにだけ触れると、例えば地球のような球面ではない平面に広がる地面の中空からいくらでも伸びるゴム紐がぶら下がっているとして、地面でその紐を持って歩けば移動距離およびゴム紐の長さが伸びるにしたがって紐が地面と垂直から平行の角度に近づいていく。歩けば歩くほど平行に近づくが、しかしどれだけ歩こうが完全な平行にはならない。数学においてこの紐が地面と平行になるゴール地点を無限遠点と呼ぶらしい。筆者の認識が正しければ、この無限遠点に到達するまでに歩く必要のある距離が無限大である。
一方、前後1秒のどこかに当たる精度で2時30分ジャストを狙う事を考えた時、この範囲に入る時点の数は無限に存在する一方で2時30分ジャストの点は1つしか無い。分数で考えると分母が無限大で分子が1と、2時30分ジャストに当たる確率は限りなく低い。しかし0ではない。筆者の認識が正しければこの確率が無限小であり、ここで想定した「2時30分ジャスト」の点の大きさが無限小である。
無限大も無限小も人間では手の届かない領域であるので輝夜のキャラクターとも一致するのだが、微妙なニュアンスの話として無限大にはゴールがあるし、無限小は存在しないわけではない事が一つ気になる点として挙げられる。つまり輝夜の能力は人間には不可能な領域に手を届かせる能力であるが、それは底の抜けた柄杓で枯れ井戸をさらって水を汲もうとするような全くの不可能ではなく、際どい所で「可能」である事を可能にする能力ではないかと考えられる。この違いはこの後で大きな意味合いを持ってくる。
ここまで輝夜に対して決して手が届かないだの完全だのと大仰な属性を当てはめてきたが、実際の描写を見ると輝夜は月の民である事をやめて地上に留まる事を選び、住処にかけていた永遠の魔法なる術を解いて地上の穢れと変化を受け入れている。未だに月の民としてのある意味高慢な気質は抜けきっていないようだが、地上の住人との交流を厭わしく感じてはいないようでもある。すなわち輝夜は元々手の届かない存在でありながら、自らこの世の者の手の届く所に降りてきたキャラであるといえる。こういう見方で輝夜にまつわる要素を眺めていくと、驚くほどあちらこちらに完全性とそれを欠いた不完全性が顔を出してくる。
輝夜の難題の品物の中で最も存在感が大きく最も輝夜を象徴している蓬莱の玉の枝は、竹取物語においては職人が作った偽物がかぐや姫のもとに持ち込まれ、これにかぐや姫はたいそう狼狽し、本当に持ってこられたらこれ以上断り切れないではないかと絶望を口にしている。結局職人が代金の請求に押し掛けてきたおかげで事なきを得たものの、その段階までかぐや姫にとってそれは本物と何ら変わらぬ物だったという事になる。一方輝夜はといえば、存在しないはずの5つの難題の品の中で蓬莱の玉の枝については唯一本物を所持していたという。儚月抄で語られた蓬莱の玉の枝の正体である優曇華の花の穢れ検知器としての機能を鑑みるに、この世に2つと無い品物というわけでもなさそうである。いずれにせよ、手の届かない品々の中で最も輝夜を象徴する品である蓬莱の玉の枝は、実は最も手に入る見込みのある品であったといえる。輝夜の玉の枝スペカはイージー・ノーマルでは蓬莱の弾の枝という名前になり、スペルプラクティスのコメントでも「輝夜が出した難題の一つ?」と疑問符をつけて紹介されている。これもこの品の偽の完全性を表現した所なのではないかと思う。
満月もまた輝夜を象徴するものの一つであるが、輝夜が「ほぼ完全性」を持つキャラであるという方向から考えると、完全無欠の真の満月が強調されるほどに、わずかに欠いた所のある偽の満月の存在が浮かび上がってくる。永夜抄で永琳が地上と月を隔離したのがこの偽の満月であり、儚月抄で豊姫が紫を月から追い出すのに使ったのが時間が過ぎて「閉じた」満月である。輝夜と直接の関わりはないこの偽の満月だが、筆者としてはこの時折明確に表れる「完全を欠いた満月」は輝夜そのものを表しているように思えてならない。
東方永夜抄は6ボスが1周目2周目と2人いる変則的な構成だが、実は古いバージョンの体験版の内部データに難易度ファンタズムの画像があるそうで、6ボスEXボスの3人は元々6ボスEXボスPhボスという振り分けだった可能性が高い事が窺える。当該の画像は検索すれば出てくるのだが、そこに書かれている文字は「十六夜 Phamtasm Level 満月は過ぎてもまだ」である。EXの「望月 Extra Level 月は人を狂わす」とどちらが輝夜なのかは意見の分かれる所だと思われるが、筆者としてはこの十六夜こそ完全を欠いた満月で、輝夜を表していたのではないかと思っている。後述する妹紅の性質がこの「満月は過ぎた」という表現とそぐわないかなと思うのも理由の一つである。
その他細かい所としては、竹取物語の小道具として着ると人としての心が消え去る月の羽衣という物が登場し、かぐや姫は最終的にこれを着せられて地上への執着が消え、月へ帰っていくのだが、輝夜はこれを着ていない。東方の世界にも月の羽衣は存在し、輝夜が所持しているという話も出ているが、使う事なく豊かな人間性を保持している。どちらかと言えば羽衣を着て人としての心を消し去った状態の方がより完全な存在に近いと思うのだが、それをしていないあたりも輝夜の不完全性だと思う。
蓬莱の薬を飲んでいるとはいえもともと一介の地上人にすぎない妹紅の半ば形骸化した復讐に律義に付き合っているのも、輝夜の「手に入らない」性から考えると意外に思える所である。自分が知り合った面白い人妖を、輝夜からすれば敵対する理由も無いのに刺客の名目で妹紅のもとに送り込むあたり、妹紅の意思を尊重して敵対の体を取りつつ好意的に接するという寵愛と言っても過言ではないレベルの付き合い方をしている。これはすでに、完全を欠いて手の届きうる所に降りてきているというレベルを越えて、同じ地平に立った付き合いではないかと思う。
ここまでひたすら輝夜の性質について述べてきたが、ここで妹紅の話をしようと思う。この記事の文脈から言えば、妹紅は貴族の娘とはいえ一介の地上の人間であったのが、何の因果か不老不死という究極の幻想を手にしたというキャラであり、最も遠い所から近くへ降りてきた輝夜とは対照的な、地上の人間として最も遠くまで行ったキャラであると思う。先述した通り輝夜と同じ地平に立っているといえるキャラであるが、ある意味で筆者が輝夜を世界観的に重要な位置にいると捉えているのは輝夜自身が究極だからでも究極ではなくなっているからでもなく、この妹紅が対存在として同じ地平に存在しているからである。
妹紅は永夜抄EXで「蓬莱人形」だの「インペリシャブルシューティング」だの意味ありげな名前の弾幕を放つ事が目立つが、ほかに地味に特徴的な所として秘封との関わりがゲームのキャラの中では強い所が挙げられる。夢違科学世紀に明らかに妹紅らしき人物が登場し、大空魔術で不死の薬が話題に上がり、深秘録で菫子と仲良くなる。個人的に秘封のブックレットは東方の世界観の芯になる部分が凝縮されているように思っているのだが、妹紅はその中でも特に重要そうな単語の周囲に現れる。
夢違科学世紀で妹紅らしき人物が登場する場面は楽曲「夢と現の境界」の場面である。メリーの所見では「――あれは人間じゃあ、ないから」との事だが、妹紅は種族:人間と明記され、かつての人気投票のコメント(こちらの上から9つ目)にて神主から、「人間だしね。でも何をもって人間とするのかを考えないと、不老不死の時点で人間と呼ぶのに抵抗がある。人間である一番の憑拠は、人間であると言う想い。DNAはその次である。」とのコメントを寄せられている。場面となった曲の名前「夢と現の境界」と併せて、妹紅が人間と人間でないものの中間の存在である事が感じ取れる。
また大空魔術の終盤、蓮子が不老不死の薬の話題を振られ、もちろん使うと答え、その中で「不老不死は、死が無くなるんじゃなくて、生と死の境界が無くなって生きても死んでもいない状態になるだけよ。まさに顕界でも冥界でもある世界の実現だわ」と話している。ネクロファンタジアといえば言うまでもなく幻想郷そのものを象徴するキャラクターである八雲紫の持ち曲であるし、顕界でも冥界でもある世界という言葉は幻想郷そのものを示す言葉として扱える代物である。
妹紅は一種の幻想郷の縮図としてのキャラクターであるという部分がここから窺えるし、その妹紅と同じ地平に立つ対なる存在である輝夜もまた幻想郷の縮図としてのキャラクター性を見出すことができると言っても無理はないのではなかろうかと思う。
名字の蓬莱山はあからさまに理想郷の名前であり、輝夜自身も理想的な側面を持つ存在であるように、幻想郷もある種の理想的な姿を描いた世界である。しかしながら、輝夜が不完全性を持ち合わせるのと同様、幻想郷も完全無欠の世界としては描かれていない。むしろ、より完全無欠を目指した世界は秘封の世界や月の都などあまり好ましくない雰囲気を帯びて描かれている。完全で理想的な世界は決して手の届かないものである事だろうが、幻想郷はこの世界から薄皮一枚隔てたすぐ隣にあると設定されている。もちろん適当に手を伸ばして届くような所ではないが、全くの虚構である無存在の場所でもない、非常に微妙な位置に存在する(という事になっている)。これは人間と人ならざるものの境界という妹紅の立ち位置であり、人ならざるものと人間の境界という輝夜の立ち位置である。
手が届くかどうか微妙な位置というのは、先述した無限の話からも繋がる。筆者の考えが正しければ輝夜の持つ無限を弄ぶ能力は、全く存在しないものではなく、存在はするが定命の存在には手が届かないものを扱う能力である。それは存在と非存在の中間であり、夢と現の境界であり、この世とあの世の境界であり、生きても死んでもいない状態であり、顕界でも冥界でもある世界であり、幻想郷そのものを象徴する能力なのだろうと思う。
筆者が輝夜を世界観的に重要視しているというのはそういう理由である。
余談。妹紅の不死の運命は輝夜の能力が起源であり、この記事で仮定した輝夜の能力は可能と不可能の中間に位置するものを可能とする能力であるが、この仮定に基づけば全くの不可能を可能にしたわけではない以上、妹紅の不死は底の抜けた柄杓で枯れ井戸をさらって水を汲もうとするような全くの不可能ではない、ゴール(死)に近づきつつ到達しない無限であると考えられる。輝夜の能力がこの後者の無限を可能にする能力とすれば、ゴールにたどり着かせる、即ち妹紅を死なせる事も実は可能なのではないかという疑念がある。永夜抄の6B面のラストで輝夜は自らの能力を発揮してプレイヤーサイドのキャラが仕掛けた永遠の夜の術を破り、一気に夜明けを迎えさせる。この永夜の術はコンティニューがかさむほどに時刻が進み、最終的に夜明けを迎えてゲームオーバーになるというシステムにより表現されているので実際の所全くもって永遠ではないのだが、永遠の名を冠する術を破りその先にあるものを現出させたという意味では、不死の人間を死なせられるのではないかという疑念に対して一つの類例として扱えるのではないかと思う。
推測に推測を重ねて出てきた空想の話とはいえ、キャラの根幹を崩しうる考えであるだけに興味の捨てきれない話ではある。
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