情報と死の神域との関係について

幻覚度 6

※本記事は、EXステージの各ルートにおける部分的な会話の内容までを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 製品版が頒布されるまでの予想で、自分は「記憶」が話を動かす鍵になるのではないかということを中心に考えを巡らせていた。そして頒布後、蓋を開けてみるとそれに当たるのは「情報」であった……というふうに自分は感想を抱いた。

 決して当たっていたとは言えないが、そういった予想を立てていたことで話を理解するのに参考になった部分はあると感じている。それを踏まえ、予想の段階での解釈を更新しつつ、錦上京における「情報」の扱いについて整理することを目的として、本記事を書き記してみる。

 

 この題材を考える上で気になっていることの一つに、霊夢緑ルートにて阿梨夜が自らの神域を「情報の墓場」と言い表していたことがある。この言葉は、阿梨夜の性質と今作で扱われることとなった生体データとの関係を端的に表しているように感じる。

 まず、「墓場」とは情報に対して生死の概念を持ち込んでいることに由来するのだろう。霊夢赤ルートでは、ノイマンが「生きた情報を永遠の真実に変える王女」と名乗りをあげている。死後の世界は不変と幽々子との会話でも示唆されたように、情報も生命と同じく死ぬことで永遠となり、そのような状態の情報が阿梨夜の神域には集まっているのだと思われる。

 では、情報が死ぬ・永遠になるとはどういうことなのか。

AIは消えてしまうはずの情報や、陰謀じみた真偽不明の情報すら溜め込んでしまう。

 上の引用は、ユイマンの設定テキスト内で示された、AIによって激増した情報の例である。これについて、前者の「消えてしまうはずの情報」という点に着目したい。

 歴史上の出来事とは、それに関わった人の記憶が無くなってしまえば実際に何が起こったのかは確かめられなくなり、記録が作られるにしてもそれはある視点から切り取られた一側面の情報でしかなくなってしまう。また、ピラミッドでは全ての情報が集まるということが強調されているが、生命の情報全てと言うなら「何時何分に右手を上げた」「緯度〇度経度〇度の位置でくしゃみをした」といった細かすぎる情報も含まれるはずである。そのような出来事は本人の記憶にさえ残らず、すぐに消え去ってしまうのが通常のことではないか。

 魔理沙天装備EXの会話に、以下のような発言がある。

魔理沙「隠岐奈(あいつ)は言っていたよ。真実は必ず隠される。だからこそ、みんなが知り得る情報に真実はない、と」

魔理沙「真実なんてこの見える世界に存在しないんだ」

 つまり、情報の死・永遠の真実とは、全ての生物の記憶から消え去り、この世からアクセスすることのできなくなった状態を指すのではないか。

 そう考えると、情報の死というのは誰かが手を加えずともその内自然に起こることであるようにも思える。

阿梨夜「しかし、私の神社自体は月の都よりずっと古い。遥か太古から存在しているわ」

 上記は霊夢黄色ルートでの阿梨夜の発言で、神域は月の都より前に停止を司る阿梨夜の神社として存在していたことが判る。これを踏まえると、浅間浄穢山は(後天的にではなく)元々停止=死後の領域として死んだ情報が集まる場所だったのではないだろうか。ピラミッドの奥部が「石化」していることも、こう考えると示唆的である。

 この場合、では何故情報の死=浄化が業務的に行われるようになったのかと考えると、それはやはり月の民の介入が原因であろう。

 今回ストーリーを読んでいて強く首肯した箇所に、阿梨夜が月の民を「偽りの不変を享受する奴ら」と表現していたところがある。(霊夢緑)

 いくら現行人類より遥かに高度なテクノロジーを有し、月を浄土として地上と隔絶させているとはいえ、元は地上の存在であった(儚月抄より)月の民は存在を丸ごと書き換えるような生まれ変わりでもしなければ永遠の存在にはなれないはずなのである。(今考えると、獣王園での残無の「虚無は死を介して流転するんじゃ。月の民はそれを理解していない」(対清蘭勝利)という台詞も、同様の意識に基づいたものであるように見える。)

 これは予測になるが、月の民はその過去を持つ以上、穢土から距離を取っても情報という非物理的な穢れからは完全には逃れられず、それに対抗する裏技として情報の流入ルートを阿梨夜の神域に誘導、つまりは浅間浄穢山を管理下に置くことで穢れ無き情報のみが入ってくるようにした、という経緯なのではなかろうか。例えるなら、川の流れを人工的に変える治水事業のように。

 

 今作のメインと言えるテーマは変化と不変であるが、これに対する情報の立ち位置を考えると、次のようになると思う。情報は変化の象徴であるが、時間が経つにつれそれはあってもなくても変わらない無の状態に帰る。その無こそ、我々には認識することのできない不変の真実なのだ、と。

 大分意識的な書き方をしたが、結局この結論に至って自分が感じたのは、情報も東方で繰り返される「こちら側」と「あちら側」の考え方に当てはまるのだな、ということである。秩序と混沌、命名と無名、顕世と幽世、意識と無意識など、様々な事象を通して表されるこのテーマをAIと絡めて作品にする際に有効な鍵となったもの。それが「情報」だった、ということなのかもしれない。

 そして、変化と不変もその二項対立の最たる事例である。不変の女神が情報に対して一家言あるのは、そのような事情があるのだと考えられる。以上が自分の現時点での錦上京の認識であり、今後もここから更に解釈を深め、広げていきたい。今思いつく次の思考材料としては、情報と妖怪の関係を挙げておく。

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