不平等は平等に訪れる

大概の人は、とある人が相応の罪を犯したから 必ずその罰が当たると思う。因果応報とか、罰当たりとか、制裁とか、風が吹けば桶屋が儲かったりとか。
だが、誰が与えているのでしょうね?

なんて文頭から始まる月曜日が月曜日してない日なんて如何?

いつもの事ながら、東方に密接する話です。ほんとだよ。

さて、よく「今日は悪い事が多かったから、明日はいい事ばっかだな」とかの能天気な人とか「もう駄目だ、明日もおしまいだ」とか「運良すぎて明日死ぬんじゃね?」とかが普通になっているのを頻繁に見ます。
なんで決まってるかの如く、まるで自分が運を決めれるかの如く言うんだろう?不運も楽しめばいいだろうに。

起きないように努力はするが、起きてしまったなら仕方がない、程度でいいんじゃないですかね?まあ運自体はコントロールできる風水師とかいますが…

運に限らず、そういった 纏めてしまえば「報い」のお話です。過去的には永夜。

――あんまり過去を持ち出したくはないなぁ――

平等とは何だろう、と言うと 人の範疇で求められる天秤です。少しでも人の要素が欠けると、あっという間に錆び付きます。
これは「平等を求めるのが人間しかいないから」という事になります。そういう事になっちゃうから仕方がない。
足りるもの、足りないものは人によって目まぐるしく違うし、その都度変化するのに、天秤の水面を安定させろと言う方が無理なお話でもあります。
平等とは、生しか見れていない時にしか見えないのでしょう。外側から見てみると水零れ放題です。

 

そう、報いを人が牛耳ったのかの様に錯覚させて

 

いやいや無理でしょう。超自然的なしっぺ返しみたいなものですし。
とても操作は出来ませんが、流れを楽しむことは出来ます。失敗は実質成功、みたいな?
むしろ行動してない状態が常に失敗とも言える。

時折挫けたり、物理的に動けなかったり、引き籠ったりで挫折してしまう事もあります。でも、止まっていて何か変化は起きるんでしょうかね?
何も起きない事を受け入れるという事なんですかね?じゃあそのままでいてください。というある意味スパルタ。

なんと、動かない間も報いは溜まります。これじゃ大損ですね。

どれだけ平等に従っていても、報いは溜まるのです。それ相応の報いが必ず100%の範囲で訪れるというという訳でもありません。必ずブレがある。
でも、人間は報いが思い通りにふりかけられると思い込んでなりません。ふりかけごはんかよ。
こういう自信は何処から来るのかとかの都合度は、まあ人間に課せられてないと人が生き抜くための希望が無くなっちゃうので 必要ではあったのですが…
不思議側が薄らいだ結果、半場暴走しているようにも思えます。

折角人間でいられる期間を得たんですから、不平等も学んで楽しんでみましょうよ。と言うお話なのでした。
外の世界専用創作。こんなの幻想郷じゃ出来ないね。愉しい。

 

…ああ、このタイトル、原作出典ですよ?

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