「世界は可愛く出来ている」の曲名に込められた意味

世界は可愛く出来ている。

東方獣王園に収録されている名曲である。博麗霊夢のテーマ曲、またストーリー序盤のBGMとして用意されたこの曲は、従来のZUN曲と比べると少しばかり特徴的な曲名をしている。曲名は通常、名詞で終わることが多いのだが、この曲は動詞しかも形容詞的用法で終わっているから珍しい。

ここでいう「世界」とは、幻想郷のことなのか、あるいは東方Project全体の作品世界のことなのか。はたまた我々の居る現実世界も含んでの「世界」なのか。

考えてみよう。

霊夢から見ると可愛く出来ている

出来ている。「世界は可愛い」ではなく「世界は可愛く出来ている」のである。まるで”世界”が誰かに用意されたかのような言い回しである。しかも可愛く。少なくとも霊夢にとっては可愛く見えるように。

幻想郷は博麗大結界(&幻と実体の境界)により現実世界から隔離されている。つまり、幻想郷という世界は博麗神社なくしては存在しえないし、幻想郷を作り出しているのがまさに博麗によるものなのである。現在の博麗の巫女、博麗霊夢が幻想郷の管理にどれほどの関与をしているのか疑問であるが、博麗神社に仕えている以上、幻想郷を作り出した力の恩恵を受けているのは間違いがない。

また、メタ的に捉えると、東方ProjectはZUNにより生み出されたという事実がある。そして、作品世界には何らかの意図(ある意味での「都合よさ」)が込められている。東方Projectの主人公は博麗霊夢であり、そこには天性の才能が与えられている。霊夢の視点では、世界は可愛く出来ていて当然なのである。

しかし、それだけではない。東方Projectはゲームである。博麗霊夢の活躍は、プレイヤーのゲームプレイに依存する。つまり「世界は可愛く出来ている」とは、霊夢がプレイヤーの腕前に満足しているということでもある。意外と優しい。

霊夢視点での「世界の可愛さ」は、霊夢に与えられた天賦の才に加えて、博麗という幻想郷の権力、東方Projectの主人公ポジションに由来する。霊夢にとっては何の不都合もない世界なのだ。

(…霊夢は当たり判定小さいし、弾はホーミングするし、本当に使いやすい機体だよね。獣王園ではさらに強い)

曲名に込められた本当の意味

ところで、ZUNは「この世がこんな世界だったら良いなぁ」との思いを込めたと、東方獣王園のMusicRoomで語っている。つまり「世界は可愛く出来ている」の”世界”とは我々の居る世界も含めた現実のことであり、”可愛く出来ている”とは「もし世界が可愛く出来ていたら(良かった)だろうに」という反実仮想だったのである。

すなわち「世界は可愛く出来ている」という曲名は、霊夢に与えられた天賦の才や都合よさというのは非現実的なゲームにおける設定であり、現実に生きる我々は理不尽や不都合の中で生きていかなければならないことを暗に示している。それと同時に、自分たち人間の力により世界を可愛く作り変えることができる、作り変えてみようではないかという、ニーチェの積極的虚無主義をも思わせる理想の未来に向けた挑戦の意志を感じさせる表現なのだ。

(本作のラスボスが虚無を操るのは、偶然か意図的か)

 

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