破壊と創造とナマリダケ

こんなタイトルだけど魔理沙はあんまり関係ありません。あいつも結構な頻度で破壊と再生繰り返してっけどなー

破壊って聞くとネガティブなイメージしか出てこない様に思えますが、破壊と再生は表裏一体です。
破壊が無くては再生(創造)もなく、再生しなくては破壊も起こりません。
当然、どっちかが相乗するとバランスが崩れてしまいますが。

――フランドールが依頼でしか動かない所以――

最近起こった所有権異変にも似ています。一時的に所有権が解放されると考えると、結構土地の魔力とか色々なのが危険なようにも思えますが、ずっと解放されないと何処かでその反動が来てしまいます。地震と似ている。地震は所有権開放だった?(ぉ

本来、誰の物だ、と言う考え方は無いのに
それでも自分の物だと主張する人間を、断罪するかの様に

千亦は破壊と再生の一部の手綱を握る神であったのでしょう。
地の存続を巡って争う間に、畜生組が侵略だー争いだーひゃっほーいってはしゃぐのも無理はありませんでした。なんせ地の事ですし。なんかIQ下がってない?

――八千慧はどうしてああなった――

IQ担当すら饕餮に移る始末。やっぱり異端児最強って事でしょうか。
いや、八千慧も畜生としてはそこそこ異端だな…

やっぱり、畜生界はイージーゲームだったのかもしれません。なんか勝手に滅びかけてたし(ぉ
残無は新手のルナティック。

異変は取り合えず殴って解決すればいいって物じゃない感じになってきましたもんね。そこまで霊夢が筋肉思考な訳じゃありませんが。でも妖怪の思考に染まってはいません。

ここ最近の異変は、地獄チュートリアルみたいなものだったのでしょう。
その縁で、次は何処がちょっかいかけてくるかはまだ未知数ですが…

――未知数万歳!!――

そんな破壊と再生の近状です。ナマリダケの元が取っ払われた次の異変、新鮮で楽しいものになりそうです。
ついでにちゃんと目を通している方にだけ分かる位置を教えておきます 博麗幻想書譜『開発の真の愉しみ』の欄。

ゲームにしても何にしても、開発は長引いてつらいものになります。つらい。神主なう。
よくみんなやりますね。私はゲーム系統は作れないのですが(ぉ
完成して公開、またはサークルとかSNSで公開する瞬間がドーパミンたっぷりだからこの瞬間の為に開発している、とかはよく聞きますが、そんなの噓です。
数十日なら持つかもしれませんが、それ以上はダレます。私の創作の賞味期限でもあります。

真に愉しいのは、やっぱり破壊と創造である

創造した瞬間、つまり創作を始める瞬間は希望と創作意欲に満ち溢れまくっています。シャワー中であろうと仕事中であろうと、こんな創作がしたい、とばっかり考えて他の事が手に付かなくなります。

その初期の初期段階、それは作品にはありえない美しさで、私たちを魅了します。創作に手を付け始める一番のきっかけは、なにより「やりたいから」なのでしょう。

その美しさは一瞬だけ姿を見せ、その後何万年と生きようと、その創作開始時点の美しさは二度と姿を見せません。それに魅惑されながら創作に入ります。
その美しさを、幾度となく体験したいという、幻想にも存在しない創作の為に。

説明、教授の時は敬語になる呪いが見るからに出ている。
そういうもんそういうもん。

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