フランドール・スカーレットの破壊の能力の考察及びドラゴンボールの破壊神に近しい説

フランドール・スカーレットは昨今、破壊神を名乗っているが、実際に『ドラゴンボール』の破壊神に近しい能力を使えるのではないだろうか。

ドラゴンボールの破壊神の能力

まず、『ドラゴンボール』における破壊神の能力をおさらいすると、以下のような特徴がある。

・物理攻撃やエネルギー波による破壊。

・手を突き出し「破壊」と唱え、一瞬で存在を消す破壊神特有の技。

・破壊神だけが持つ「破壊のエネルギー」という特殊なエネルギーで破壊されると、どんな存在であろうと魂ごと無に還され、あの世へ行くことも転生することもできなくなる。

・オブジェクトを1から0に変更し、その過程で途方もないエネルギーを放出させる。

※他にも様々な能力が有るが割愛

これらの能力と、フランドール・スカーレットの能力を比較していこう。

 

能力の比較

1. 物理攻撃やエネルギー波による破壊

これは特殊能力とは言えるかわからないが、フランドールの魔法弾(?)は破壊と呼ぶにふさわしい威力を持っている(人を血の一滴も残らず吹き飛ばす破壊力)(木に大穴を空けたりもしている)

2. 「破壊」と唱え、一瞬で存在を消す技

フランドールは明確に「破壊」とは唱えないものの、霧雨魔理沙の箒に手をかざして破壊する描写がある。
規模が小さいとはいえ近い技である

3. 「破壊のエネルギー」による魂ごとの消滅

「スカーレットニヒリティ」がこれに該当するのではないだろうか。

饕餮尤魔(とうてつゆうま)がこの技を食らったが、

強敵揃いの扉ルート以外では姿こそ消えていたが、完全破壊とは異なるらしい。

強敵揃いの扉ルート以外では「去った」と表現される。

強敵揃いの扉ルートでは完全に破壊されたとされる。

また、摩多羅隠岐奈(またらおきな)によると、現在の饕餮は血の池地獄の悪意を吸収した個体とは別物らしい。

復活や転生した連続した意識を持つ者を「別物」と表現するのは不自然であり、一種のスワンプマンのような存在、平行世界の存在、カードゲームでいう2枚目以降の存在等といった系統と考えるのが自然なのではないだろうか。

さらに、「掌中の破壊者」(もしくは「きゅっとしてドカーン」)で対戦相手を直接破壊しなかった理由についても考察すると、

饕餮尤魔は破壊しても罪にはならないと言及されていることから、フランドールは基本的に罪の意識もしくは罪による責任から破壊をためらっていると考えられる。

そして、饕餮尤魔は普通に跡形もなく破壊しても、完全に消滅せず逃げられてしまうため、「掌中の破壊者」での直接破壊では決定打にはならなかったのだろう。

以上を踏まえると、「スカーレットニヒリティ」は強敵を倒せる腕前を持って使用すれば(もしくは相手の強さによって破壊力が上昇することも考えられるし、破壊欲の高まりによって破壊力が上がっている可能性もある)、魂ごと無に還すことができると考えられる。

これは、破壊神の「破壊エネルギー」による消滅と一致していると言えるのでは無いだろうか。

 

4.オブジェクトを1から0に変更し、その過程で途方もないエネルギーを放出させる。

掌中の破壊者による攻撃が発生しているのは空中の塵や埃等を探知して右手の中と照合し、「きゅっとしてドカーン」することで1を0にしそのエネルギーを攻撃に変えているのではないかと考えます

なにせ一見なにもない所(先述が正しければ対戦相手はそもそも破壊しないようにしている)を「きゅっとしてドカーン」して攻撃を発生させている訳ですから・・・一つの説として提唱しておきます

 

結論

フランドール・スカーレットの能力は、破壊神の能力の一部と類似している部分がある。 特に、「スカーレットニヒリティ」が「破壊のエネルギー」に近い特性を持つ可能性がある点は興味深い。

すべての能力が一致するわけではないが、破壊神を代表する技に近いことができているだけでも、十分に破壊神らしい存在と言えるのではないだろうか。

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