埴輪兵団の軍事社会学

はじめに

軍事組織というのはそれ自体が社会的であり、また、組織が所属する社会にも大きな影響を及ぼす。こうした軍事組織の社会性や軍隊が社会に及ぼす影響を学際的に研究する領域が軍事社会学である。

東方において、軍事組織とそれに大きく影響された社会という関係性の一例が、霊長園と埴輪兵団である。今回は軍事社会学的に埴輪兵団を分析し、袿姫による霊長園支配の一面を見ていきたい。

手法について

今回は、スタニスラフ・アンジェイエフスキー(1919-2007)の古典『軍事組織と社会』(原著1954年)で用いられた分析手法を使用する。

ただし留意点として、あくまでこれは人間の軍事組織を対象にした手法なので埴輪には当てはまらない場合もある。もっともこれは(非人間の軍事組織の例が存在しないからにしてその分析手法もまた未発明であるという理由により)既存のほぼすべての分析手法に当てはまる問題でもある。今回はアンジェイエフスキーの手法を概ね援用しつつ、明らかに当てはまらない点を個別に言及していく。

アンジェイエフスキーの手法では、軍事参与率、服従度、凝集性という三軸の高低で類型分けを行う分析をする。いずれも独自用語なので説明を行う。

軍事参与率とは、人口に対する軍事要員の比率であり、軍隊の規模を表す。三軸の中では一番わかりやすい指標と思われる。一応の注意点として割合を見るので、例えば三十人程度の集落が全員弓矢や短剣で武装しているなら軍事参与率は高いということになるし、現代の自衛隊が現員20万人弱でこれは古代のほとんどの地域の軍隊より大規模と考えられるが、人口1億2000万人に対する20万人なので軍事参与率は低いということになる。

服従度は軍隊の服従関係、従属関係である。現代的な軍隊はほとんどの場合指揮官が存在して下級の兵士は完全にそれに服従している。これは服従度が高い例になる。一方で歴史的には指揮官を欠いている、あるいは指揮官の権限が制限されている事例もあった。

凝集性は軍事組織の強固さである。これまた現代的な意味での軍隊がほぼ確実に高い凝集性を有しているので低い凝集性というのがイメージしにくい面があるが、例えば開拓期の北米のように武装した民衆はいるが軍事組織として未発達という低い凝集性が現れることがある。

なお、服従度が高い場合は必ず凝集性も高くなるという方向に相関がある。このため、軍事組織の類型は2の3乗の8種類から、定義上あり得ない「服従度が高いが凝集性が低い」2種を除いた6種類ということになる。

アンジェイエフスキーによる軍事組織の類型 藤原(2016)より

では、埴輪兵団をこの手法で分析するとどうなるのかを見て行こう。

軍事参与率

埴輪は人間霊とは独自に製造される。つまり埴輪の規模に関係なく人間霊が軍事を担当することがないので、徴兵制より軍事参与率は低い。

また、埴輪自体の数もそこまではいないと考えられる。その根拠は二つある。

一つ目がomakeテキストにおける各キャラの記述で、

磨弓の項目より

普段は霊長園を守っていたが、すでに畜生界には敵無しの状態で兵隊も無用の長物と化していた。

同テキストの袿姫の項目より

彼女は霊長園を支配し、動物霊から酷い扱いを受けていた人間霊を保護していた。
畜生界の動物霊も、人間霊を尊重できるのなら共存しようと考えていた。

埴輪兵団は霊長園を守るために存在しているが、唯一敵となりうる動物霊は埴輪の軍団を打ち負かして征服するのは不可能で、袿姫も外征する意図を有していないので、最低限いればいい、という方針のようだ。

一方で、八千慧のテキストで

偶像は霊長園を飛び出し、畜生界を支配し始めた。
肉も霊も欲も持たない偶像達に、畜生達は手も足も出なかったのである。
このままでは畜生界は偶像に支配されて、廃墟と化すだろう。

とあり、袿姫が人間霊と動物霊との共存を意図している、というのと矛盾しているようにも思える。

これを矛盾なく説明する「物語」には二通りあり、

物語1.
埴輪による畜生界への外征は本編以前になされていたが、袿姫の目的が征服ではなかったので畜生界は動物霊の世界のままだった。

物語2.
各種EDも踏まえたときに、八千慧ら動物霊が危惧していたのは埴輪の軍事力というより、むしろ埴輪への偶像崇拝がイデオロギーや宗教観を変質させ、元々の畜生界の理を塗りつぶすことであり、袿姫側に畜生界を侵略する意図はなかったが、畜生界視点で袿姫の行いは文化的侵略だった。「偶像は霊長園を飛び出し」も、信仰対象としての偶像が畜生界でも見られるようになったという意味で、埴輪兵団の外征ではない。

いずれにせよ、霊長園の状況及び方針として、極端に大規模な軍隊を使って畜生界と全面戦争するという意図はなかったように思える。

根拠の二つ目が埴輪の登場タイミングである。

霊長園の軍事力として主力なのは間違いなく埴輪なのだが、肝心の鬼形獣本編で埴輪が出てくるのがどこかと言えば、

  • 磨弓及び彼女がスペルカードで使う、ないしレア動物霊として落とす埴輪兵団
  • 袿姫のスペルカード、埴輪「偶像人馬造形術」系列

何が言いたいのかといううと、実は道中雑魚敵として埴輪が出てくることはないのである。霊長園内部が舞台である六面での雑魚敵は陰陽玉型の敵と、明らかに人間霊である霊の二種類。

埴輪を雑魚敵として登場させることに作業負荷としてのハードルがあったとは考えにくく(スペルカードの埴輪を流用すればよいので)、いわゆる大型妖精枠で出すことも不可能ではなかったように思える。

なぜ雑魚敵で埴輪が出なかったのかは順当に考えるならばゲームバランスなのだろうが、あえて幻覚度が高い解釈をするならば、埴輪の指揮官が希少で、戦略的に動ける駒としての単位は磨弓の軍団と袿姫直属の二つしかいない(そしておそらく、埴輪の動物霊に対する圧倒的な相性の差から二つでも十分だった)とも考えられる。

服従度&凝集性

結論として埴輪兵団の服従度は高く、「高い服従度は高い凝集性を意味する」という相関から自動的に凝集性も高いと結論付けられるのでまとめて記述する。

磨弓の二つ名「埴輪兵長」及び能力「忠誠心がそのまま強さになる程度の能力」から袿姫>磨弓>一般埴輪の階級が存在すると思われる。

前述の通り、指揮官を欠いた埴輪が自律行動をする可能性は低い。磨弓のスペルカードを「ごっこ遊び」ではなく「本物の軍事力行使」と解釈すると指揮官は「弓兵」「剣士」「騎馬兵」という個別の兵士に作戦指示を出せるということになり、指揮官の権限は強く階級構造が明瞭と考えられる。

一方で、服従度や凝集性から軍隊の構造を分析する試みは、本来その国の権力分布や、権力と軍隊、民衆との相互作用を分析するという方向でも意味があるのだが、埴輪が人間的な自我そのものよりプログラムに寄っていると考えられる(磨弓の六面中ボスセリフなどから感情自体はあると思われるが、五面の会話のワンパターンさから柔軟性に欠くと推測できる)ことにより社会学の原則の一部が通用しない。

具体的には埴輪は私欲や権力への志向を持たないと考えられるので、埴輪兵団が権力(袿姫)に反抗することもなければ、袿姫や人間霊が埴輪の懐柔を目的に利益を与える相互作用をすることも起こらないということになる。

まとめると、埴輪兵団は軍事参与率が低く、服従度及び凝集性が(極端に)高い軍事組織ということになり、アンジェイエフスキーの分析では「職業戦士型」の軍隊ということになる。現代の軍隊も、大規模な徴兵制を敷いている一部例外を除けば概ね職業戦士型なので、類型としては我々がイメージする軍隊に近いと言えなくもないが、実例が多い分性質の幅が広い類型でもあるので、その成員が人間ではなく埴輪であるという点含め、どこまで「普通の軍隊」かは注意深く見る必要がある。

埴輪兵団の曲がり角

軍事組織とは不変ではなく内外の状況の変化により変わりゆくもので、アンジェイエフスキーの研究でもどのような条件で軍事組織の有り様、つまり今回用いた三軸が変化するのかは骨子の一つとなっている。

翻って埴輪兵団を見ると、霊長園内部の構造は極めて変化しにくいものとなっている。

服従度の分析で見たように、権力である袿姫に埴輪兵団が反乱する可能性は低い。また、埴輪兵団を「軍事力を独占した階級」とみなすと、埴輪と人間霊との間にも階級格差が存在するが、埴輪が軍事力を独占しているが故に人間霊側が反乱を企図したとしてもそれが成功することはまずない。江戸時代の日本において一揆が日常的に起こりながらもそれが権力を転覆するところにまでは至らなかったのと同じ構造である。

一方で、対外状況は大きく変化した。鬼形獣本編における袿姫、霊長園の敗北である。本作がどちらかというと自機に憑依した動物霊寄りの視点で語られるので一応ハッピーエンドとして描写されたわけだが、霊長園視点では由々しき問題ととらえられていてもおかしくない。

霊長園のその後は、のちに獣王園対戦モードでの霊夢VS八千慧で語られることとなる

霊長園は一部解放したの?
そうなんだ、まあ妥当ね

畜生達は名目的勝利と、一部の領土を得たとも言える。ただ、見方を変えると元々動物霊の観察対象や資源でしかなかった霊長園の人間霊が、概ね対等な立場で条約を結び、解放された霊長園の一部という狭い範囲でだが、人間霊と動物霊との共存が実現したともとれる。鬼形獣の不穏な終わり方を思えば、双方にとって納得のいく落としどころと言えるだろう。めでたしめでたし。

めでたしめでたしだが、畜生界サイドと霊長園サイドが双方納得しているという前提でのめでたしめでたしである。袿姫という神の正気を前提とした薄氷の上の安定なのが現状で、彼女が失われた領土を奪還しようという野心を持つ、解放された地で、(おそらくは動物霊の傲慢を原因として)具体的問題が発生してそれを鎮圧すべく埴輪兵団が動員される、といった要因で平和は崩れ去るかもしれない。前者は袿姫の性格が物質的野心とは対極なことで可能性は低いが、後者はこれまでの描写を鑑みるとそれなりに可能性がありそうなのが危惧される。

霊長園と畜生界が再び戦争となった場合、埴輪兵団が旧来の規模や装備のまま動員される可能性は低く、「先の敗戦」を踏まえて質か量かのいずれかは増強されるだろう。アンジェイエフスキーの分析でも、職業戦士型から軍事参与率の高い一般徴兵型の軍隊への移行は戦争の圧力に結び付いた軍事参与率の上昇の結果と説明される。

この流れを辿った場合、埴輪により多くのリソースが割かれるために間接的に人間霊は犠牲となるが、前述の通り人間霊は絶対に埴輪には歯向かえない構造なのである。それ以前に、偶像崇拝になびいた人間霊が袿姫や彼女の埴輪に反乱しようとするとも考えにくい。

霊長園世界の行く末は、それを支配する孤独な邪神の手に委ねられているのである。

謝辞

実は当初投稿を試みた際不具合に見舞われ、一度は投稿を断念していた。しかし、本サイトの管理人である鴨居能嵎氏の迅速な対応があり不具合の原因が無事判明、こちらでも不具合を回避して投稿することに成功した。鴨居氏にはこの場をお借りしてお礼申し上げたい。

参考

ZUN『東方鬼形獣』
ZUN『東方獣王園』
ZUN『東方Project人妖名鑑 常世編』
S・アンジェイエフスキー著 坂井達郎訳『軍事組織と社会』2004年 新曜社
藤原哲『弥生時代と古墳時代の軍事組織と社会』2016年 https://x.gd/svkR4

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