【書籍文花帖】紫に対し文が義憤に燃えた理由

幻覚度 3

 

射命丸文初登場作品である書籍文花帖には、八雲藍に虐待したという八雲紫に徹底追及する文の様子が書かれた記事がある。

自身も鴉天狗という身から同じ動物由来の式神の藍に同情し、正義感から紫に突撃取材したという。

取材のネタ?文自身の「清く正しい」姿を知らしめる為?ここら辺が理由として浮かぶものであるが、

他の理由もあるのではないかという疑念を抱いている。

 

1

まず、八雲紫は幻想郷にとって要であり、強大な力を持った妖怪である。

更に記事での文は、追及するも紫にのらりくらりかわされ、むしろ自身の未熟さを晒しただけで終わった。

単なるネタや自身の潔白さを示すために利用するには、もっと割りのいい奴でもあてがえば良いと思うのだが、勝てる相手でないとわかりきってるはずの紫を追及したのは何故だろうか。

 

2

幻想郷の人里がまるで動物園のようと言われたり、幻想郷の人間は妖怪の為に存在するという事が言及されてきた。

その今の幻想郷のシステムには賢者である八雲紫が関わっており、また紫は博麗大結界を守る博麗の巫女を監視する役割も持っている。

文は、博麗大結界が成立する前から存在する長寿の妖怪であり、幻想郷の歴史をこの目で見てきたと思われる。

智霊奇伝では、博麗大結界の成立時期にいざこざがあった描写が見られる。

 

3

記事では(文が独自の解釈を交えて書いているが)、紫の式神及び道具に対する見方、価値観が言及されている。

式神は動物ではなくあくまでも道具であり、道具は良く使い込むほど愛があるのだと言う。だから良く使ってあげているのだと。 ただ愛でているだけではそれは本当の愛では無い、これは愛の形だと言い自分の傘で狐の頭をバンバン叩いていた。

紫「貴方(藍)は目の前で如何なる事が起ころうとも、どのような危険が身に迫ろうとも、私の言った通りに動けばいいの。それが一番貴方の為になるのだから」

紫は、式神であろうとも意思を持つ存在すら道具と見ていたり、独善的な思考を持っているのが伺える。

記事は文が都合良く書き換えた可能性も否定出来ないのだが、他様々な作品でも紫のそういった思想が透けて見えるので、十中八九間違いではないと思っている。

今の幻想郷のシステムも、その価値観の元作られたのかもしれない。

文が怒っている理由は、そこにあるのではないか。

 

4

文は「清く正しい」を謳い、「正義」をポリシーに抱いている。取り入れるネタも凄惨なものは避けるなど、血の通った思考を持っている。

博麗の巫女がいなくなった→じゃあ次の巫女を、という冷徹なシステムに「もう何度目になるのでしょう」という言葉から人間側に同情している節が見られる。

 

文の「正義」は、冷徹なシステムで積み上がった数々の死を見てきたからこそ抱くようになったのではないか、と自分は見ている。

あの記事は、追及しきれなくとも紫の実態を知らしめるのが狙いではないか。

神出鬼没な紫の鼻を明かす滅多にないチャンスを、ここで逃すわけにはいかなかったのかもしれない。

 

 

 

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