「紫はメリーであり、メリーは紫である」
そう思い込んでいる筆者が鈴奈庵を初めて読んだ際に感じた幻覚(強め)を共有する。
(紫とメリーを同一とした場合に時系列の問題などがあるが、今回の本題ではないので割愛する)
怪異に興味を持つ人間
妖魔本や怪異に対して好奇心旺盛の小鈴ちゃん。
阿求に「人間の道を踏み外しても知らないからね」といわれる始末。
その行動はとても危うく、紫が動かなければ完全な妖怪化をしてしまう可能性もあった。
「怪異に興味を持つ人間」
これはご存じの通り秘封倶楽部も同様である。
秘封倶楽部も怪異を追い求めているが、その結果としてメリーが道を踏み外して妖怪化したのだとしたら……?
それを前提にすると鈴奈庵での紫の行動がまた違ったように見えてくることだろう。
小鈴の能力の変化
小鈴ちゃんの「あらゆる文字を読める程度の能力」について。
メリーが秘封倶楽部の活動を続けていくうちに能力が強くなったのと同様に、
小鈴ちゃんは文字が読めるだけではなく文字から妖気を感じ取ったりするなど、話が進むにつれて力が強くなっていく。
単行本7巻ラストの台詞も受け取り方によっては力が強まっているとも取れるだろう。
「妖魔本という妖怪の為の本の貸出を始めました
貸し出す人を’私の眼‘で選別させて頂きますが……」
東方鈴奈庵 ~ Forbidden Scrollery. 単行本7巻 150P 小鈴ちゃんの台詞
妖怪相手に貸し出すという話ではあるが、
台詞内の「私の眼」が強調されている点から「その眼の能力で妖怪がどうか判別できるようになった」と受け取れるかもしれない。
また、奇しくも秘封倶楽部の二人と同じく「眼」に関する能力だったりする。
紫が小鈴を気にかけたのはメリーの私情説
メリー(紫)視点から小鈴ちゃんを見た場合、メリーは小鈴ちゃんを自分自身と重ねたのではないだろうか。
メリーが妖怪化したとすると、前述のように小鈴は境遇がかなり似ている。
怪異に興味を持ち過ぎた結果に道を踏み外し、妖怪となって大切な人も失ったメリー。
幻想郷や霊夢の為というのも勿論あったが、紫が動いたのは同じ過ちを小鈴にして欲しくなかったという私情が一番大きいといえるだろう。
おわり
秘封を履修後に鈴奈庵を読んだ為にこうなりました。
東方鈴奈庵という作品は人里からみた幻想郷というちょっと特殊な視点なので、秘封倶楽部と構造が似ている部分は偶然あったのかなぁと思います。
この考察を思い込みながら鈴奈庵を再度読み直してみると楽しめるかもしれません。
幻覚度は高いと思っていますが、一握りの可能性として読んでもらえたら良いなと思います。
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