でも興味だけが世界ではありません。客観もまた、世界の一部なのです。
「作られる」以上に発展させてないのは、それが故なのです。
言いたい事終わっちゃったんですがどうしてくれるんですか(ぉ
仕方ないので、いつも通りやるか。
実際に世界を牛耳ったら、「創られる」に発展してもやぶさかではないでしょう。
でも、そんな人いませんよね?だから自分が特別と思い込み、己の溜飲を下げるものなのです。
(過去の天皇や摂政は、世界全体を見渡せていたんですかね?)
何が特別なんやら。今ここでその特別とやらを発揮してくれませんか?
出来ませんね。そういう事です。
意気地にでも発揮するなら、9分9厘が集団の手を借りることになるでしょう。自分だけでは何もできない事を自らアピールしながら。
盛大な自爆行為です。こうして人は集団に帰依するのでしょう。
地獄の怨霊自体は無数にいるのに、その全てが何も成果を残せていないのが証拠です。
しかも組んでも弱い。どういう事なんでしょうね?智霊奇伝のこいしの発言も頷けます。
こいしが眼を閉じたのも、仕方ない事なのかもしれません。
だって、原因は元人間の余裕の無さから嫌われることなのですから。
否定しようにも出来ません。これを否定出来たつもりになるには、事実を捻じ曲げる集団意識が必要なのでしょう。全てが集団である。なにやってんの。
そんなものばかりで外の世界は形造られています。
とても美しいとは言えませんね。だって集団のパーツとっかえても誰も気づかないんですから。
単独が重要視されないので、結果的にそうなっちゃいます。これに私の意見を挿む余地は無いのです。というかどこに隙間あるの?
組んでるのが重要なら、一人だけ残してあとは埴輪にしても成り立つでしょう?
これを避けるには、興味以外にも少しだけ目を向けてみることが必要になってきます。
自分の引き籠ってるだけの世界に、ちょっとだけメスを入れる形ですね。結界パリーン。
(まあここでなんか適当な言い訳を見繕ってまで動きたくないのが人間なのですが。自ずから詰み。)
やる事は簡単です。ちょっと違う事をしてみましょう。
散歩してる範囲で、「ほんのちょっとだけこっちにも行ってみよう」と思える意識。
プライベートのSNSで「たまには自分から接触してみよう」と動ける行動。
「ちょっと行きつけの所じゃなく、他の居酒屋にも足を運んでみよう」の呑兵衛精神(ぉ
そんな1つの意識の変え方で、世界の見え方は容易く変わります。
時には、引き籠ってた範囲だけではいつまでも思いつかなかった思考、見つけられなかった発想、延いては運命すらも手繰り寄せられるかもしれません。
どっかの吸血鬼ではない。
連鎖さえ上手く行けば、その内向こう側にもたどり着けるのでしょう。ぷよぷよ?
幻想郷では、何故か引き籠ってるやつの方がメンタル強い傾向にあります。フランドール然り、はたて然り、ちやり然り。
それは、その状態でも人生(人?)楽しんでいる状態であったからなのでしょう。楽しんでなかったらとっくにこの世にいません。(あの世にも多分いない)
因みに、この3名は共通して好きです。興味ある、って言った方が正しいですかね?
そんな引き籠りどもが派手に世界を動かしたりするのも幻想郷です。外の世界では到底考えられませんね。
興味を止められないのでしょう。でも、興味以外にも確実に目を向けています。引き籠り脱却?
興味だけで生きられるならそれに越したことはありませんが、そのままだと存在に陰りが見えるのが幻想郷でもあります。それこそ天狗みたいに、ほっといたら妖怪なのに集団に帰依してしまうのでしょう。
まだネームドは脱却できている方です。あれで。(はたては逃走済み)
時折、チャレンジしてみるのが存在固着の条件なのです。
どうも。興味が尽きない初心者なのでした。たまには最後に紹介したってええやん?
そんなチャレンジ。
コメント