日白残無元ネタ研究入門

日白残無の元ネタ

日白残無の元ネタは残夢であると言われている。

残夢は秋風道人、桃林契悟禪師とも呼ばれる戦国時代の僧であり、常陸房海尊ではないかと噂され、また一休の友を自称した。

本稿では残夢に焦点を当て調査することで日白残無について考えていく。

残夢の逸話

残夢の逸話は多数伝わっており、複数の文献でそれを見ることができる。そのうちよく見られる逸話をいくつか要約してここに載せる。

  • 残夢と無無 会津の無無という道人を訪ねた残夢は 「なしなしというも偽り来てみれば在ればこれあれ元の姿で」 と歌を詠み、無無はそれに返し、 「なしなしというもことわり我が姿在るこそ無きの始めなりけれ」 と詠んだ。二人は曽我兄弟夜討の話をするほど長生きだったらしい。
  • 残夢と常陸坊海尊 残夢は自ら一休を友とし共に修行し、また源平合戦を見ていたかのように語り、たいていは忘れてしまったととぼける人だった。
  • 残夢と新衣の虱 残夢は風変りな僧で、招かれれば何度でもごちそうになり食べないと何日も食べない、法衣も同じものを何年も着、新衣を施されれば旧衣から虱を移してから着た。
  • 残夢と盗人 残夢には予知能力があり、小僧を呼び出し銭を渡すと蔵に持っていけと言った。小僧が蔵に行くと盗人が壁を掘って銭を盗もうとしていた。小僧が和尚からの施しだと銭を与えると盗人は去って行った。
  • 残夢と米 ある日、米が無くなった小僧が残夢に知らせに行くと、ちょっと待てすぐ来るからと言って動かない。すると檀家が馬に負わせて米を寄進してきた。
  • 残夢と柱の手 寺に来住したころ、僧堂の柱から夜中に手が出て人をつかまえると皆びくびくしていた。残夢が金を隠して死んだ者の妄執だと調べさせた。すると本当に金が出てきて隠した者の冥福を祈ると何も起こらなくなった。
  • 残夢と天蓋の猫 あるとき猫がいないと皆が探していると御本尊の天蓋の上に座っていた。羽がないと行けないようなところだったので残夢に告げると、生前に天蓋を寄進した者が天蓋にちりばめた白銀のことが忘れられずにいるので白銀を取り去れば良いと答えた。小僧たちが白銀を除くと猫もどこかへ去って寺にはいなくなった。
  • 残夢と善恕 天寧寺の善恕が一千の学徒に江湖会をしていたとき徒に本則を墨で消されることが何度かあったため、友人である残夢に相談した。話を聞いた残夢は庭に出て軒に梯子をかけ昇って下りた。善恕は感得し帰って本則を書き改めると消されなくなった。
  • 残夢と祇園祭 ある夏、残夢は習字の稽古をしている小僧に明日は京都の祇園祭を見せてやろうといった。残夢は小僧を法衣の袖に入れるとまたたくうちに京都に至り、終日祭を見せ菓子折をみやげにその夜のうちに寺に帰った。小僧の語る祇園祭の様子も本当で菓子折も京都製の銘が打ってあったから皆驚いた。
  • 残夢と舜岳塚の火 牛墓村に舜岳を葬った地といわれる舜岳塚があった。この塚は自ら燃えることがあり人々が怪しがっていると、残夢がそこへ行って香を焼き偈を唱えるとその火は消えた。
  • 常陸房海尊と富士山 ある話では常陸房海尊は源平合戦の後、戦を逃れて形を変え姿を変え富士山に身を隠した。数日経ち飢え死ぬ寸前、石上を見ると飴のようなものがある。これを食べると精神は爽やかに身体は毛のように軽くなった。その後400歳を超え仙人となった。
  • 残夢と火車 かつて残夢が運ばれてきた死者の引導を渡すことになると、空は曇り雨風は起り、火の車に乗って鬼が来て棺を奪おうとした。残夢が「許せ、許せ」というと鬼が「いや、いや」という。残夢が「いやなら置いていけ」と言うと鬼は去り、空は晴れて棺は助かった。
  • 残夢と位牌 天正4年3月、残夢は自ら位牌を書き、棺に入って死んだと言われているが、その後も残夢を見た商人もいてとにかく長寿の奇僧だった。また後になって棺を見ると空箱になっていたという。

残夢について記述のある文献

上記の逸話は複数の文献で重複して確認することができる。今回調査を行うにあたり、蒐集した書籍および閲覧できるデジタルアーカイブをここに載せる。

本朝神社考

著者・発行:林羅山

発行年:江戸初期

デジタルアーカイブ(早稲田大学図書館)

おそらく最も古い残夢の情報である。残夢が常陸房海尊であることがこのころから確認できる。

会津旧事雑考

著者・発行:向井吉重

発行年:1672年(寛文12年)

デジタルアーカイブ(国立公文書館)

無無との逸話や新衣の話が見られ、残夢の基本的な記述が揃っている。内容は会津風土記と類似する箇所が多いが、会津風土記の方が名が挙がることが多い。

西鶴諸国ばなし

著者・発行:井原西鶴

発行年:1685年(貞享2年)

デジタルアーカイブ(霞亭文庫)

残夢ではなく常陸房海尊の話が載っている。箱根の仙人短斎坊の元に義経の家来である常陸房海尊と猪俣小平六がやってきて腕押をし三人は雲中に消えていくという話。元和(江戸時代)の話として書かれているため常陸房海尊も猪俣小平六も仙人として登場している。

狗張子

著者・発行:浅井了意

発行年:1692年(元禄5年)

富士垢離をしていた鳥岡弥二郎が残夢に助けられる。常陸房海尊が富士山で仙人になった話を交えて語られている。第13代室町幕府将軍のころの話。

会津風土記

著者・発行:友松氏興

発行年:江戸前期

デジタルアーカイブ(京都大学)

残夢といえばこの文献。よく見られる残夢の逸話はこれが原典であると考えられる。

新編会津風土記

著者・発行:会津藩

発行年:1803年(享和3年)

デジタルアーカイブ(会津若松市)

『会津風土記』からいくつかの逸話が加えられている。超人的な側面が強調され予知能力の逸話が多い。 『会津風土記』と内容が被る箇所が多いためこれを原典とする文献も多い。

また新編会津風土記は何度か発行されている。活字で読めるものもあるのでこちらの方が読みやすい。

著者・発行:会津藩地誌局

発行年:1893年(明治26年)

著者・発行:雄山閣

発行年:1962年(昭和37年)

本朝神仙記伝

著者・発行:宮地厳夫

発行年:1928年(昭和3年)

『本朝神社考』をはじめとして多数の文献から情報が集められている。そのため他では見られない逸話が多い。

禅門逸話選

著者・発行:堀口義一

発行年:1945年(昭和20年)

このあたりからおとぎ話に近くなってくる。残夢の人物紹介はほとんどなく、予知能力の逸話がいくつが掲載されている。
「新衣と虱」の逸話に関して、他所では奇人として書かれているが、「虱が飢えてはかわいそうじゃ」と残夢の人物像が記述されているのはここだけだった。

【新版】日本の民話42 福島の民話 第二集

著者・発行:片平幸三

発行年:2016年(平成28年):初版1966年(昭和41年)

現代の言葉で読みやすくまとめられている。同じくおとぎ話の形態に近い。

会津の傳説

著者・発行:会津民俗研究会

発行年:1973年(昭和48年)

『会津の伝説 ふるさと』を出典として書かれている。祇園祭に行く話は珍しく、載っているのは『会津の伝説 ふるさと』を出典とする文献がほとんどである。

東西不思議物語

著者・発行:澁澤龍彦

発行年:1977年(昭和52年)

『本朝神社考』を元に書かれている。東西の物語が書かれているため他とは違った視点で読むことができる。残夢はヨーロッパのサンジェルマン伯爵と並んで「不死の人の話」として紹介されている。

会津ふるさと夜話2

著者・発行:川口芳昭

発行年:1978年(昭和53年)

『会津の傳説』と同じく『会津の伝説 ふるさと』を出典として書かれている。

禅門逸話選 下

著者・発行:禅文化研究所

発行年:1987年(昭和62年)

『会津風土記』に内容が近く、逸話が抜載されている。

会津葦名時代人物事典

著者・発行:小島一男

発行年:1991年(平成3年)

ほとんどの逸話が網羅されている。現在はこの一冊を読むことをおすすめする。確認できる範囲で載っていないのは「富士山で仙人になる」話と「天海、松雪が残夢と会う」話のみである。

残夢の源流

残夢に関する文献を蒐集し分かってきたことを書いていくが、文献内に引用が多数あるためその原典を抜粋しここに挙げる。

本朝神社考

これを出典としている文献:本朝神仙記伝、東西不思議物語

古い文献であるためこれを出典とするものが多い。以後登場する逸話がまだなく情報量が少ないが、超人的な逸話の数々は後から追加されたことがここから読み取れる。

会津風土記、新編会津風土記

残夢の情報ではまずこの二つの名が挙がる。大半の逸話はここに載っているため、残夢について書くならはやりここが出典となるだろう。

会津の伝説 ふるさと

著者・発行:会津若松市青年学級

発行年:1960年(昭和35年)

これを出典としている文献:会津の傳説、会津ふるさと夜話2

『会津の伝説 ふるさと』は今回入手できなかったため詳しい情報は不明である。しかし、これを出典とする文献があり、またそこでしか見られない逸話が共通してあるためここに重要な情報があると考えられる。

残夢像の変化

複数の文献を調査した結果、残夢の逸話に変化が見られることが分かった。

まず残夢の文献が登場し始めた江戸初期は『本朝神社考』や『会津風土記』とはじめとし、常陸房海尊と噂され昔を知っているように語った逸話が大半を占める。
(※『会津風土記』の時点でもすでに予知能力的逸話は多少含まれている)

江戸後期になると『新編会津風土記』に見られる予知能力といった超人的な逸話が多数加えられ、近代になるとその数は増す傾向にあった。

また『本朝神仙記伝』では『狗張子』にあった常陸房海尊が仙人になった逸話が加えられ、残夢自身も仙人であることが強調されるようになっている。

このように残夢は時代を経るほどに超人として書かれるように変化していったのである。

今後のさらなる調査

今回蒐集した文献の他にも残夢に関連のあるものがあるためここで紹介する。

本朝神仙記伝には参考にした文献が多数記載されているため、それを元に資料を探すことができる。今回調査した文献以外にも以下の文献がある。

  • 会津観跡聞老志
  • 萩原随筆
  • 奥羽観跡聞老志
  • 古事談
  • 新古事談
  • 新続古事談
  • 会津四家合考
  • 遊方名所略
  • 小窓雑筆
  • 会通雑誌119,121,122号「奥州白河山中地仙塚の由来」

また残夢研究では『義経記』や『本朝高僧伝』の名もよく挙げられる。

今後これらを調査することで新たな発見が得られる可能性がある。

また残夢と常陸房海尊が同一視されていることから記述の混同が一部見られ、その境界を探ることも今後必要になってくるかもしれない。

残夢の先行研究

  • 東北文学の研究 柳田国男 (青空文庫)
  • 山の人生 柳田国男 (青空文庫)
  • 常陸房海尊の実在性 ―残夢伝承をてがかりに― 三田可奈

残夢に関する研究・論文はいくつかあり、今回は上記の研究を参考にする。

残夢の逸話に見られる特徴は大きく2つ挙げられる。昔の話を実際に見てきたかのように知ってること、そして不思議な力があり残夢に相談すればすぐに解決したということである。

『東北文学の研究』『山の人生』では昔話をする翁について述べられている。
史料の普及がまだなく庶民に歴史を学ぶことが一般化していなかった時代、人々は昔を知る人から話を聞くことでそれを学んだ。数百年も前の話は信ぴょう性がないので語り部は狐に化かされたとか偉人の霊が取り憑いたとか自分は誰々の生き残りであるなど語ることで人々を信じさせた。残夢もその一人で常陸坊海尊を語り人々に教えていたとされる。

『常陸房海尊の実在性』では残夢の超人的な逸話について書籍を比較して述べられている。
本朝神社考』以降に追加された逸話について、「新衣の虱」の逸話は宮城県白石市の白石翁(※)にも同様の逸話が伝えられている。「盗人に銭を与える話」や「舜岳塚の火」の逸話は仏教説話でよくみられるものである。また『新編会津風土記』でさらに加えられた「柱の手」や「天蓋の猫」も仏教説話から来ていると考えられる。
(※白石翁も残夢と同じく源平合戦を語る異人として知られている)

日白残無の実像に関する考察

先行研究の項にあったように、残夢には実在の僧に複数の仏教的逸話が加えられ今に伝わる残夢像になったと考えられる。今回の文献調査でもこの傾向は顕著に見られた。
これは以下の幻想郷学講談所の投稿あるように日白残無にも同様の傾向が見られる。

日白残無に重なる“高僧たち”のイメージ

残無に見る仏尊のモチーフ

これと似た例はテンカジンにチュパカブラが混同した天火人ちやりを始めとする東方獣王園キャラ全般に該当し(以下の投稿を参照)、東方獣王園を通して一貫したテーマがあると考えられる。

東方獣王園の種族詐欺とはなんだったのか

またチュパカブラや孫悟空を直接東方獣王園に登場させられなかったという発言が東方外來韋編2024の東方獣王園インタビューに載っていることも注目したい。

まるで残夢その人かのような振舞いをする日白残無とは何者なのか。それは名立たる高僧たちの影を映した語り部なのかもしれない。

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