残無に見る仏尊のモチーフ

 前からまとめてみたいと思っていた残無の仏教的なモチーフについて、ある程度方向性が見えてきた気がしたので勢いでまとめてみました。読みづらいところもあるかと思いますが、個人のエッセイ程度に気楽に見ていただけたら幸いです。

禅における仏

 禅宗における最終的な目的は、悟りを開くことです。ではその悟りを開く方法はどのように伝わったのかというと、仏から伝わりました。仏教では師から弟子へ法を伝えることを血脈相承と言い、その流れを重視しています。それは祖師という存在が自らを導いてくれる指導者であるとともに、最終的に自らが至るべきところにいる先達だからです。禅宗において仏が尊ばれるのは、この二つの観点によるものです。

 禅宗の僧侶に対してよく用いられる言葉に、「風狂」というものがあります。意味としては、一見仏教の教え(戒律)から外れたような行動をしている人が、実は悟りの境地を表している、というようなところです。日白残夢と知り合いであったといわれる一休宗純も風狂の僧として知られています。残無のおまけテキストには、彼女が元々「この世の全ての道から外れた破戒僧」であったと書かれています。また、今の彼女を指して「不思議を極めた鬼」とも言っています。破戒僧でありながら一つの極致へ至った彼女は、「風狂」のような悟りと紙一重の存在と考えることもできるでしょう。それゆえ、私は彼女に仏と近い性格が表れているのだと思います。彼女は獣王園におけるあらゆるキャラクターを裏で操るような振る舞いをしていましたが、これはある意味での導きなのではないでしょうか。

釈迦如来

 言わずと知れた仏教の開祖です。禅宗でも最初に教えを伝えた祖師として扱われています。仏祖と呼ぶ場合もありますが、まさにその特徴を表した呼び方です。そんな釈迦を思わせるような要素が残無にはいくつかあります。

 まず、彼女がよく口にする「掌の上」という言葉です。もはや慣用句にもなっているような言葉ですが、元となる話は西遊記にあります。ある時釈迦は無法者の孫悟空をたしなめるためにある賭けをします。「お前が私の掌から飛び出すことができたら天の宮殿を与えよう」と言いました。そんなの簡単だと悟空は思い、釈迦の掌の上に乗ってから勢いよく飛び出しました。悟空が世界の果てとも言えるほど遠くまで来ると、そこには五本の柱があり、悟空はそこに落書きなどをしてから帰りました。そうして再び釈迦に会うと、その指にはさきほど柱に書いたはずの落書きが書いてあったのです。五本の柱とは釈迦の指であり、悟空は釈迦の掌から抜け出せていなかったのでした、というオチになります。日本でも同じですが、中国において神仙世界と仏教的世界観は対立していたわけではなく融合を果たしており、神仙的存在が活躍する西遊記にも仏はこのように超越者として姿を現します。

 次に、残無と慧ノ子との関係についてです。慧ノ子が不死的な存在となった原因は、残無の肉を喰らったことにあります。しかし、慧ノ子が残無に喰らいついた時の様子として、残無は笑っていたと書かれてあります。一方で、釈迦にまつわる話の中に「捨身飼虎」というものがあります。この話は『金光明経』捨身品が出典となっていて、釈迦の前世の物語となっています。飢えた虎のために自らの肉体を差し出すというあらすじは簡単な話なのですが、獣に肉を与えるという点で、残無と慧ノ子の関係はなんとなくこの話を想起させると思います。(まあこっちは一方的に噛みつかれているのですが)

 ついでですが、捨身飼虎と似た話として「施身聞偈」というものがあります。『涅槃経』聖行品が出典で同じく釈迦の前世の話なのですが、こちらでは虎ではなく羅刹(一種の鬼)が登場します。釈迦の前世である雪山童子は、羅刹が唱えていた偈(仏の教えを表す詩文)の続きを聞くために自らの身を差し出すことを約束して、羅刹から偈の全文を教わります。そのときの偈が、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」なのです。どちらかというとこの場合、羅刹の方が残無っぽいですね。

阿弥陀如来

 彼女のテーマ曲にある「無礙光」という言葉は、仏が発する光全般を指す場合もありますが、主に阿弥陀如来の発する光を意味しています。礙とは障碍のことであり、何にも妨げられない光という意味になっています。阿弥陀如来は西方極楽浄土の仏としてのイメージが強いと思いますが、釈迦と同じように修行を経て如来となった存在です。如来になる前の名前は法蔵菩薩といいます。彼は修業を始める際に、衆生救済を掲げて四十八の願を立てました。その中身は色々ありますが、重要なのは仏となった暁にはあらゆる者を浄土に往生させるという誓いです。外來韋編2024のインタビューで、神主は無礙光についての質問を受けた際に「そういう人たち(前文から「逸般人」を指す)にあまねく届く、ありがたい光」という言葉を使っています。万人の元に届く光とは、原点に立ち返ってみると救いの手であるのです。浄土往生は禅の悟りとは多少異なるところがありますが、修行によって仏となり自らの浄土へ衆生を導く阿弥陀仏も、導きの仏であると考えられます。

観音菩薩

 以前こちらの記事で、残無の姿勢について取り上げたことがあります。https://gensoukoudan.net/archives/390

 ここではその姿勢が主に観音にみられるものであることを紹介しましたが、観音はまさに導きの仏といえる存在です。

 阿弥陀如来の項でも少し出てきましたが、菩薩とは修業を経て仏となった如来に対して、修業中である存在に対して用いられています。しかし、信仰されている菩薩は悟りを得ていない訳ではなく、現世と浄土の媒介者として菩薩の地位に置かれている場合が多いです。中には将来如来となることが決まっている菩薩もいて、弥勒菩薩がそれに当たります。仏教の中でも大乗仏教と言われる思想の流れでは、釈迦による他者救済(利他行)を重視して、それこそが釈迦(悟り)を目指す我々がするべきことであると定義しました。菩薩が衆生を救い導くのは、修行の一環でもあるのです。

 具体的な導き手としての観音のイメージは、『華厳経』入法界品の中にあります。これは善財童子という少年が悟りを求めて旅をする話なのですが、旅の中では悟りを開く手助けとなってくれる53人の人物が登場します。仏教ではこのような人々を善知識と呼び、観音菩薩もその善知識の一人として善財童子に教えを説きます。この観音菩薩と善財童子の邂逅は人々の意識として強く共有され、観音を描いた絵画にはその下部に観音を拝む善財童子が表されることが多々あります。また、このとき善財童子が訪れた観音の在所は「補陀落山」という名前で、八角の形状をした岩山とされています。観音が岩に座っているというのは、これに由来するものと考えられます。

松と仏

 先ほどの記事で自分は残無の岩に生えた松について詳細不明としていましたが、先日これが元ではないかという話を知るに至りました。最後にそれについて少し記したいと思います。

 日白残夢は禅宗の中でも臨済宗という宗派の僧侶とされていますが、臨済宗とはその名の通り臨済義玄という僧侶を開祖とする宗派です。この臨済義玄の言行をまとめた『臨済録』という書物の中に「臨済栽松」という話があります。ある時臨済が松を植えていると、師である黄檗希運に「こんな山奥に松を植えてどうするのか」と尋ねられます。それに対して臨済は、「一つには寺の風致のため、二つには後人の標榜とするため」と答えます。このことから、臨済宗では松を悟りへの道を示してくれる師の教え、あるいは師そのものと捉えることがあるそうです。今までの話を踏まえてみると、この松というのは悟りの世界へ修行者を導く仏に近しいものとなっているように感じられないでしょうか。そしてまた、導きの仏に擬された残無にとってふさわしい植物であるようにも思います。

 

 こんな感じで、仏教というところから見ると残無は悟りの境地に至った導き手的なイメージがありそうだな、という個人的なまとめでした。導き手というには本人の意思に関係なく勝手に操ってくる感じじゃん、というのもありますが、そこはまあ鬼だからというかあくまで紙一重なだけというか……と甘い部分はあるものの、今回のまとめを通して少しは残無をイメージしやすくなったような気がしています(自分は)。

 もちろん残無には仏教だけでは語り切れないモチーフがまだまだあると思うので、これからも色々な考察を楽しみにしたいところです。それでは、ご一読ありがとうございました。

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