実在

今回は「お前は何を言ってるんだ」を軸としてみます。
大丈夫です。東方の話です。根本に関わりまくる話です。

たまに、何を言っているか分からない相手に遭遇しますよね?それは自分のキャパシティの問題(データの参照元がプログラミングされていない)かもしれませんし、本当に相手が輪廻転生ミスの個体かもしれませんし、相手が故意的に幽々子式会話ごっこしているだけかもしれません。フランドールでも可。

ですが、そういう世迷い事を言っている奴も存在してしまいます。します。ここにいます。
ごく一握りですが、そういう奴の事を「ランダムシーケンスじゃないから、何かそれを言える決定的な由があるのだろう」と思える奴もいます。
例え、それが外の世界では荒唐無稽な事であったとしても。

それでも言うという事は、その中の一部であろうとも真実であってしまう一面が存在するのでしょう。それは鬼火だったり、浮遊霊だったり、外に遊びに来てみた妖怪だったり…

面白い事に、120も持たない人間が永遠を求め、万年を生きる妖怪が永遠を軽視します。
隣の芝が青いどころか黄金が実る畑、とでも言うのでしょうかね。(妖怪が黄金を求めるかは別として)

確認が取れていないのに決めつける事は、現実逃避に過ぎないと思っています。だって、”自身”がそれを確認取れていないのですから。
何時から人間は都合のいい千里眼を持つようになったのでしょうか。それじゃまるで視界のみが真実である、と言っているようなものではないでしょうか。

当然ながら、死後は眼も口も脳も鼻も五体も、何もかもが機能しません。
でも、よく言われる「幽霊」はどうやって動いてるのでしょうか?村紗なんかも霊ですし、三途の川に逝く際も見えてなければ辿り着きませんよね?

ここで少し補足すると、科学が不思議に怯えるのではなく、人間が不思議に怯えるのです。
実際、山の妖怪は科学を一部とはいえ利用しています。使い方次第でいくらでも変わるのでしょう。
一番の難題は、科学で霊を証明する事が境界となって表れているのでしょう。この2つは人間が扱うと矛盾してしまいます。

当然ながら、肉体無しでも大体の機能は備わっているのです。そこに肉体が無い事を元人間が怯えるだけで。肉体以外の全てが備わっていても、元人間は花でもいいから必死に肉体を求めるだけで。

今も怨霊は人間の集団意識を地獄にまで引きずり、2人以上でないと復讐すら碌に行動できないようになっています。怨霊なのに。復讐できなければ怨霊かどうかも怪しいのに。
だから宮出口はヤバいと評されていたのでしょう。単独で動いたから。
でも、それくらいでないと幻想郷のスタンスに合っていません。力を手にすることも無いのでしょう。

――表に戻りたいだけで、数千年の地獄ぐらしを許容するか普通?――

最近、実在のフランドールを見ていて思うんですよね
人間が真に恐れているのは、怪物側の怪物が成り立つ知恵が常識に食い込む事じゃないかなって
決してランダムシーケンスなんかではない、知恵ある妖怪にしか楽しめない余裕のある会話を廃したいんじゃなかなって
こんなんじゃ、外の世界に余裕が浸透するはずがありません

意味が分からない=その意味が世界に顕在化しない ではないんですよね。生と死の境界を覗けば簡単に成り立ってしまう。裏側の住民はそれを防いでいる訳ですが。光は影に必要なので。

実在で物を語りたい奴が、実在を廃したいわけですよ これほど滑稽なものはありません
自分たちで実在の範囲を決めたいなら、妖怪が手を引いた世界故 簡単に科学に染まったわけですが。

力の定義は色々ありますが、基本的に質量保存から外れた途端 異世界に吸収されます。幻想郷に関わらず。
その向こう側では外の世界に広める手段もなく、戻る事も出来ない為、発展は向こう側で行われるばかりです。そうなっているのだから仕方ありません。

 

実在を維持したいから足搔くのだ それがこの世であれ、あの世であれ

コメント