(マンネリの)突然ですが、完全に同じ嗜好を繰り返す事は よっっっぽど 好きでないと飽きるように精神は作られています。
ラインを超えると、急激に飽きるか、それに慣れてしまって、飽きすら意識しずらくなり、病みに繋がります。闇? 私の場合は肉体のどっかが不調になります。早く捨てるか(ぉ
――ほら、この文章書いてる途中にもう飽きが入った――
ただし、このバランスを整える方法は(プライベートに限っては)簡単です。
本当に好きな物を複数探り当てて、すぐに手を出せる位置に置くのです。パチュリー。
この好きな物は、何でも構いません。腐らせたりして部屋に悪影響を与えなければ。
ただ、それが好きな物であってもすぐに調べられる環境は、好きな物に慣れを発生させてしまいます。君の目の前のスマホとか。PCとか。
その「慣れ」に抵抗できなければ、すぐさま「日常」として好きな物は日常に取り込まれてしまいます。好きな物があるなんて当たり前、という事すら忘れてしまうのです。
その内、好きであった理由すらも…
スマホなんかは、マンネリが発生しやすい便利過ぎる弊害があります。なんでも出来てしまうという事は、それ相応のリスクがあるのでしょう。鬼の道具?
好きな趣味はちゃんと、定期的に手を出せるような環境を整えましょう。その内積みゲーや積み本的な形で、好きを忘れ去ったままに積み重なられて、そのまま読まずお亡くなり…なんてことも。
正直、嗜好の点では一番恐れるべき事ではないでしょうか?
――積み本は妖怪であり結界――
現代では、こういった好きを消費しきれない人がいっぱいいます。まあなぜ消費出来ないかと言うと、畜生界的な思想が原因になっちゃうのですが。
消費してこそ次の好きが見つかったり、繋がったりするのにも関わらず、です。
実は現代でもっとも危惧する問題の一つであるのでしょう。
向こう側の曲に染まろうとしても、それを10年単位で続けていると、何かを見逃すことも多々あります。
――その辺は儚月抄小説幽々子が詳しい――
マンネリを受け入れすぎているのも、原因の一つです。
同じ事の繰り返しで、しかもそれが好きでないことである異常状態は、次第に精神を蝕んでしまいます。
けど、それが外の世界では当たり前なので、止めることも出来ません。外の世界は肉体さえ動いてればいいのでしょう。
当然、病みは進行する一方です。
それでも、帰ってから好きな事をする気力が無いというのは「染まっている最中」なのです。
日常の繰り返しが好きだと誤認させられつつある状態。非日常なんて世の中に存在しないと思い込まされている過程。来ないハレの日、ケの毎日。
それに染まってしまっては、もはや手遅れなのでしょう。外の人間は、畜生界の現状と何ら変わりが無いのです。
――それが幸せな人は2厘くらいである――
こういう振り返りをひたすらに文章にしてみることも大事ですね。
いや、私の事ではないです。多分。きっと。
霖之助の日記なんかもそうなのでしょう。原点は。
そういうマンネリの魔物、今もあなたを蝕んでますよ?
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