創作の生まれるもと

んー 土曜日なのに7時に起きてしまう これって畜生界的な呪いでしょうか 呪いなんだろうなー

そんなもはや見慣れたよく分からない始まり。

創作の始まりは思いついた瞬間と思っています。それが仕事中であれ、入浴中であれ、弾幕中であれ。
きっと、向こう側もそこらかしこで考察、創作が始まりまくっているのでしょう。素晴らしい限りです。
じゃあ、今回はそんな感じで(どんな感じ

――もはや 畜生界的 がデフォになっている――

いつも思いついた瞬間に創作に移り始められればいいのですが、世の中はそう上手く行きません。作家さんが必死にネタを考えるのと同じです。
世の中は不思議な事に、求めようとすると遠ざかり、忘れようとすると急に思いつくあまのじゃくのようなシステムがあります。
これはグリマリの 幻想『第一種永久機関』 的な均衡が関係しているのですが…まあそれはまたどこかで。
まあ、「あれ?いいアイデアだったんだけどなー」となるのもまた一考です。

では、どうしたらもっと創作を思いつく様になるのでしょうか。
それは日々を楽しむ事です。つまり日日是好日。

最初から『この創作は駄目だ』なんて目で見ていては、創作を楽しむには程遠いですな。最初から見てないなら尚更。
アイデアは、自然に与えられるものではなく、周りの発想を吸収して変換するものなのです。
世の中は良い創作ばっかりですよ?

――まあ繰り返しまくってちゃ、飽きは来るんだが――

良い物だとまず”自分”が認識して良い物になる訳です。決して他者のレビューなんかではありません。
世の中の評価が他者基準なら、世界は急激に平均化へと進むでしょう。
実は、それは評価の一基準でしかないのに。

経験が無いとは言わせませんよ?外に住んでいる以上 ね。

時にはレビューの評価に釣られて似たような評価をしてしまう事もあります。場の雰囲気で流されたのか、本当に同じような評価を思ったのかは知りませんが。
でも、それって本当に自分の評価なのでしょうか?と思ってしまう事はあります。
まあ大体安楽椅子探偵しろって事なんですけど。

それは創作にも忍び寄ります。それこそ『自分は周りの評価を基準に独自の有意義な創作をしている』と思う人ほど…

――先に耳に入ってしまう事もある――

本当に独自の創作を書けているのか と言うと、実は誰も達成できていません。
何故なら、創作そのものが影響下で生まれた概念だからです。生む方なのに概念?まあ何でもいいや。

最初から自分以外の発想、存在を変換して生むのが創作なら、100%の独自性である創作は不可能なのでしょう。何故なら、最初から染められているのが出発点だから。
脱色を試みても色は残ります。「それに影響を受けた」という色が。

創作をする立場な以上、独自性だなんて言ってないで、影響を避けられない事を意識したうえで行動したい。

 

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