秘封新作の「七夕坂」に関する個人的な考察

「七夕坂」とは?

先日春例での頒布が発表された秘封の新作・七夕坂夢幻能。このタイトルにもなっている「七夕坂」,1曲目の「七夕坂に朝が来る」の曲名にも入っており,ストーリーに何らかの関連を示しているのは明らかである。

発表当初より,七夕坂はどこだ?といった旨の考察が見られた。8曲目に「一人ぼっちの常陸行路」とあるから茨城ではないか?や茨城で七夕坂って調べたら常陸太田市にあるっぽいぞ!という投稿がSNSで次々と投稿され,発表から2日足らずで現地調査にまで至っている。

この七夕坂は,一体どこにあるのか?またストーリーとはどのような関係にあるのか?そのあたりを個人的な推察を下に語っていきたいと思う。

※私が秘封にそれほど詳しくないので色々とおかしい所あるかもしれません。ご了承ください

考察の推移

まず,考察に入る前にどのようにして七夕坂が調査されていったかを簡潔にまとめる。

 

まず最初に七夕坂の候補地として上がったのは「赤土町(あかつちちょう)」だった。

この画像が最初に発見され,赤丸のとこに七夕坂がある。ここじゃないか?と。それ以降,過去の地図や航空写真の調査,現地調査をするものも現れた。

その過程で,一つ重要な資料が見つかった。柳田國男氏の「七夕坂」に関する言及である。以下にその文章を引用する。

『タナバタザカ 七夕阪といふ名の阪が常陸の久慈郡山田村にある。七月七日の朝、四つ前に通ってはならぬ。通ると必ずなにかの不思議がある。祝儀馬出逢ひ又はジャンボの通るのを見ると謂つた。金砂神社の祭の行列の道路だが、こゝだけは聲を立てずに通り過ぎる慣例であつたといふ。』(禁忌習俗語彙/柳田國男・著 1938年)

このことから七夕坂は「音を立ててはダメ」という条件に当てはまる場所でなければならないことが分かる。

また,現地調査を行った方々の活躍により,地元の方々の団体?と思われる「赤土町会」の設置した七夕坂に関する説明板を発見した。いかにその文章を引用する。

『この山道は、県道が開通するまでの長い間、太田に通じる重要な道として生活を支えてきました。その中でも七夕坂は急な坂坂道が続く難所で人々は苦労しました。峠には数多くの「馬力神」の石塔が祀られ、当時の生活が忍ばれます。」(七夕坂入口/赤土町会 設置年不明)

これにより,この坂が件の「七夕坂」ではないか?と思われるようになっていった。

 

しかし,10日に私(この考察の著者)が西金砂神社(にしかなさ)の宮司さんに上記の情報について伺ったところ「金砂の祭で赤土を通ることはない」「音を立てては駄目な場所はあるが,それは反対側の谷の松平」など,赤土説を否定する情報がもたらされた。

順を追って説明すると,そもそも柳田氏の文章にあった「山田村」に赤土は含まれておらず,その時点から推察が間違っていた。また西金砂神社の祭(磯出大祭礼・小祭礼)で赤土町は通らない。帰り道に地区の端をわずかに通るが,七夕坂推定地とは関係のない地である。以上のことから,赤土町説は正しい可能性が急激に低下した。

先程出した「松平(まつだいら)」に関しては,小祭礼のとき笛太鼓を載せた山車が松平地区(常陸太田市松平町)を通るとき,一切楽器を吹かずに音を立てずに通り過ぎる,という慣習があるらしい。その理由を伺うと「松平からは金砂王宮(金砂神社の本宮・最初の位置)が見えるのだが,王宮の神様が派手にやっている祭を見てしまうと嫉妬で天変地異を起こすので,松平では小祭礼で音を出さなくなった」ということらしい。(位置は写真を参考。山田小学校の地が松平周辺)

以上の情報から,赤土説はほぼないと言っていいだろう。松平説は肝心の七夕坂が出てきてないことから,可能性はあるが確証とは言えない。現在はそのような状況である。

個人的な推測

ここからは,上記の情報を下に個人的な推察を述べていこうと思う。

まず,七夕坂という名称についてなのだが「彦星織姫の七夕ではなく妖怪の七夕では?」と考えている投稿を目にした。これは「七夕の日に雨がふらないと七夕様・七夕馬が現れて様々な厄災をもたらす」というもので,この七夕様が由来ではないだろうか?という説である。柳田氏の話に非常によく合致し,個人的には可能性の高いと思われる考察である。これの場合蓮メリのストーリーに与える影響の形は変わってくる思われる。

また「七夕坂はある特定の坂ではなく,峠道全体を指す広域地名だ」とする説も見かけた。これは赤土にも看板としては七夕坂があることから,赤土−松平間の道(茨城県道29号線)自体が七夕坂と呼ばれており,ソレを指してるのではないか?とする説で,中間地点となる峠にはそれっぽい神社(詳細不明)もあることから一定の信憑性を持つように思える。しかし柳田氏の祭の道という条件は満たしておらず,明治期の地図まで遡っても看板のある七夕坂は出てこないため可能性としては高くないのかもしれない。

最後に,ちょっと眉唾かもしれない雑な推測を羅列する。

・ZUNさんも看板に騙されてる説(正直考えたくはないが,あの複雑さから間違えて赤土の方で作ってしまっている可能性も否めない)

・七夕坂自体特定の地名ではない(これを言ってしまえば全て終わりである)

この2つは正直どうでもいいので無視してもらって構わない。

おまけ−周辺の東方っぽい史跡等

・諏訪の水穴

これは常陸太田市のお隣・日立市にある洞窟で,伝承では諏訪大社に通じてるのだという。水穴の上空を架空索道(ロープウェイ)が通っており(2019年に廃止),若干守矢神社要素を感じられる。

・蛇伝説

これは県北地域にひろく伝わるもので,各地に様々な伝説がある。これも守矢神社関連かもしれない。

・鬼伝説

これは常陸太田市の北西・大子町の八溝山に伝わる伝説で,かつてこの地にいた鬼を地元の殿様が討伐したという話。ありきたりな話だが,何らかの関係があるかもしれない。

・御子入不動尊(みこいり)

これは松平説よりも北にある不動尊で,山に入った巫女が天狗にさらわれて帰ってこなかったという伝承から祠が建てられている。これも関係があるかは不明。

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