何の為に遺すって言われて、それを振り切って何かを遺しても、その魂が使い潰されれば訳ないんじゃんなぁ?と最近思う初心者です。
人間は物質を残す方に意識を持っていかれて、精神を忘れたのかもしれません。
精神方面に偏って考えられる者がほぼいません。
このままだと、外の世界は使い潰される一方でしょう それなのに、増えるのでしょう。
まあ、それでいいのですが
抗わなかったらそれまでなので。
――そんな初心者です 生き地獄?――
切なさは行動を縛ると同時に、目標や糧にもなり得ます。
一時的な鬱、行動を縛られる状態が振りきって過剰な躁を長時間保ってられる意識がそうさせるんですね。あっ、躁!
それは有機体には存在しないエネルギーです
誰か歿してどうこうは、小学生以上の方なら誰もが経験したことがあると思います。あまり掘り起こす事ではないんですが。(墓とかけるな)
葬は、周りの気質に流されてしまうのかもしれません。にとりが復活してなかったら河童が総崩れだったんじゃないでしょうか。
葬いう事です。躁だったり葬だったり忙しいな。
――「そう」って、起源がそれだから――
そんな実態が確認取れないエネルギーを、人間は認める事が出来ない様です。
というかコントロール出来てないんだからわけありません。
普段からエネルギーを巡って争ってるのに、最も身近で強力なエネルギーを漏らすなんて、本当人間はよく分かりませんね。
まあ、私も墓まで ただの物体に溺れている物に干渉する気は無いのですが。
――人を呪わば?――
感情もエネルギーなんですよ。精神どころか、精神に宿った肉体を諸共動かす力。
これは自我が宿っているものには通用せず、動かすのは意思体のみです。
むろん、悪い方に動いてしまう事もありますが、何が悪いかは結局動いてみないと判らないし、元から停滞して腐りきった「悪い」に掘り出し物があるかもしれませんし、異分子と見られて保守派に潰されるのかもしれません。
でも、肉体は潰れても精神は潰れないのです。
精神を潰すのは、その辺の妖怪…っておらんな外の世界。
昔の妖怪退治みたいにやるといいのかもしれません。試し打ち。
なんせ人間の「妖怪の存在を認めない」は、既に妖怪が克服しちゃいましたからね。
既に人間が詰んでいるのです。肉体に依存するだけでは。
名残は”遷ります”
名残を利用して、創作を生む事が出来るのです
まあ、その名残が精神崩壊を引き起こすこともありますが、これは利用した側が弱かっただけの話です。当然、書いている自分もその魔の手は忍び寄ります。
でも、永遠ってないじゃないですか。神主からも発されましたよね。
毎回、自分が特別で例外なんてことを思って書いたことは無いのですよ、私。
あ、ちなみに名残は儚過ぎて、誰にも認識されなくなるとすぐ消えます。神霊?
もし精神まで潰されて、表にも裏にも存在できなくなったら結局それまでだという事です。
人間の「死」のイメージの根本はこれでしょうか。両方潰れないとまだ存在している(しかも有無を言わさず)だというのに…
結局、死後の機会を逃して名残に留まっているだけなのです。
そんな名残をずっと利用できるお方募集しております。
そろそろ、”外”からの動きも必要なのではありませんか?
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