嫦娥と虹の衣服について

 現在、日本語版Wikipediaの「嫦娥」のページには、

『楚辞』天問では虹を切り開き衣服と為したとされる。

――「嫦娥」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2024年12月20日 (金) 14:35 UTC

という一文がある。
 しかし、岩波文庫の『楚辞』(小南一郎訳)など代表的な訳書を通読してみても、嫦娥が虹を衣服にしたという記述はどこにも見つからない。一体どういうことだろうか。

 なお、当記事は嫦娥の元ネタを纏めた前記事「嫦娥伝説の整理」の補遺であり、東方Projectにおける嫦娥とは正直あまり関係が無くなってしまっているため、幻覚度も高めの8とした。

楚辞

楚辞そじ』とは、「離騒」「九歌」「天問」「九章」……といった複数の作品からなる中国の詩歌集である。
 作者は楚国の政治家兼詩人であった屈原くつげん(紀元前340頃~278頃?)が主とされているが、すべての作品が彼によるものではなく、それぞれの編の作者が誰であるかは諸説存在する。
 現存する最古の注釈書である『楚辞章句しょうく』によれば、今回取り上げる「天問てんもん」は屈原の作とされている。
 しかし、「楚の国を放逐された屈原が放浪の最中、先王の廟や祠堂に描かれた神話を見て『天問』を作った」という章句の説明を疑わしいとする見方もあり(*1)、正確なところはよくわかっていない。

(*1)小南一郎『楚辞』岩波文庫,2021,p.174

天問

 天問編は楚辞の中でもひときわ特殊な作風で書かれている。

曰遂古之初 誰傳伝之
上下未形 何由考之

(太古の始まりのことを誰が言い伝えたのか
天地の形も定まらないなか、何によって考えたのか)

という壮大な疑問から始まり、その後も中国の古い神話や伝説、歴史のワンシーンについて問いかける文章が最後まで続く。
 短い疑問文が矢継ぎ早に発される形で、それに対する解答などは一切無い。
 また、問いかけのベースとなった逸話の全容がよくわからない場合も珍しくなく、一部の文章は難解である。
 しかし裏を返せば、この『天問』は失われてしまった古代神話を垣間見ることのできる貴重な源泉の一つなのである。

インターネットで見つかる情報

 まずはネットの検索エンジンを使い、「嫦娥 虹 衣服」などで検索してみる。
 検索結果上位には前述したWikipediaとそれに準ずるサイトが並ぶが、その少し下に、2018年に書かれたとある個人ブログの記事が見つかった。
 中国神話の情報を独自に纏めているサイトで、日本語への翻訳も行っているようだ。
 この記事では、天問の

「白蜺嬰茀 胡為此堂」

という一節を

嫦娥は虹を開いて衣服としているというが、なぜこのように立派に装うのか?

――個人ブログ「プロメテウス」様 2018年4月4日より引用

と訳していた。
 後述するように「虹を切り開いて~」という訳が比較的珍しい解釈であることや、公開時期の前後関係、その他諸々の特徴などから、Wikipedia「嫦娥」に楚辞に関する一文を追記した編集者はこのブログを参考にしていた可能性がある。

「白蜺嬰茀」の解釈問題

 この「白蜺嬰茀 胡為此堂」という一文には複数の解釈が存在している。

①白い虹や雲がたなびいている様子とする説

げい」は霓。虹が二重になっている際、外側に出る淡い虹(雌虹めにじ)のこと。仙人の王子喬(*2)が化したものとする説もある。
えい」は掛かる。「ふつ」はたなびく白雲。
「此堂」の解釈は一定ではなく、前述した屈原が『天問』を作るに至った先王の祠堂のことと解釈する場合もあれば、羿げい西王母せいおうぼから手に入れた不死の薬を納めた建物、あるいは崔文子(*2)の堂とも言われる。
「此堂」が何を指すかはさておき、訳は概ね「白い虹やたなびく白雲が、なぜこの堂に起こっているのだろうか」となる。

(*2)仙人の王子喬おうしきょうと、彼から仙術を学んでいた弟子の崔文子さいぶんし。ある日、白蜺に化けた王子喬が仙薬を運び、崔文子に与えようとしたところ、驚いた崔文子に戈で打ち殺されてしまった(『捜神記』巻一など)。『天問』の「白蜺嬰茀」以下数節をこの伝説について述べたものとするのは比較的有力な説の一つ。

②嫦娥が身につける華麗な装飾の様子とする説

「蜺」は霓裳げいしょう(虹のように美しい裳、天女の衣)のこと。
「嬰茀」は婦女の髪飾りのことと解する。
「嫦娥の華美な装飾をなぜこの祠堂に描いたのか」などという旨になる。
 また、「此堂」は「此当」の誤りであり、「此」は純狐を指すとする説も存在する。この場合は、「嫦娥は美しく着飾り、どうして(羿の妻として)妖婦純狐にふさわしかろうか」というふうに読めるらしい。
 なお、ここで突然嫦娥の名が挙がる理由は、「白蜺嬰茀」の少し前の段に羿(嫦娥の夫)の逸話があること、直後の「安得夫良藥 不能固臧」が嫦娥の飲んだ不死の薬の話と解釈できることから。良藥は王子喬の仙薬の可能性もあるが、「安得夫良藥」を嫦娥の話とする説は「白蜺嬰茀」を嫦娥の装飾とする説よりも一般的である。

各種注釈書の解釈

 楚辞には古今様々な注釈書が存在する。そのすべてを網羅することは到底できないため、今回は入手が比較的容易な以下の一般書籍を用意した(*3)。

星川清孝『新釈漢文大系 34 楚辞』(明治書院、1970)
星川清孝『新書漢文大系 23 楚辞』(明治書院、2004)
吹野安『楚辞集注全注釈 3 天問』(明徳出版社、2011)
小南一郎『楚辞』(岩波文庫、2021)

(*3)牧角悦子『詩経・楚辞 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』は抄訳につき『天問』は収録されていない。

 結論から言うと、この中で解釈②「嫦娥の装飾説」を紹介している書籍は『新釈漢文大系』のみであった。
 本書によると、この説を唱えているのは丁晏ていあん(1794~1875)の『楚辞天問せん』とされている。残念ながら日本語訳の書籍が見つからなかったため『新釈』からの孫引きになるが、「白蜺嬰茀」は嫦娥の装飾を盛言したもの、「嬰茀」は婦女の首飾(かみかざり)であると言っているらしい。
 そしてこの丁晏の説を支持しているのが、郭沫若かくまつじゃく(1892~1978)の『屈原賦今訳』になる。こちらは日本語訳が手に入ったので、実際に読んでみると、

嫦娥こうがは白いにじの裳を着け、美しく装いをこらしていたが、なぜこの女も妖婦の純狐じゅんこと同じく、羿の妻であったのか。

――稲畑耕一郎 訳『郭沫若選集8 屈原研究・屈原賦今訳』雄渾社,1978,p.234

と、確かに書いてあった。
 さらに本書の注釈には、陳本礼ちんほんれい(1739~1818)の『屈辞精義』も同説をとるとある。
『屈辞精義』の日本語訳はやはり見当たらないが、幸いにも早稲田大学の古典籍総合データベースで資料写真を閲覧することができた(https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko17/bunko17_w0099/index.html)。
 いわく、「此形容純狐之妖氛淫氣如」うんぬんとある一方、嫦娥の装飾への言及らしきものは見当たらなかった(漢文のため読解に自信が無い。わたしが読み落としているだけかもしれない)。

 以上を纏めると、まず陳本礼が「此」字を純狐のことと解し、丁晏が「白蜺嬰茀」を嫦娥の装飾と解し、その両者の説を取り入れ支持したのが郭沫若『屈原賦今訳』である……という流れではないかと思う。

「霓裳」と虹

 ここで一つ気になる点がある。嫦娥が「霓裳げいしょう」を身につけていたとする説があることはわかったが、これを「虹を切り開いた衣服」と訳すことは果たして可能なのだろうか。
 インターネットで「霓裳」の意味を調べてみても、「虹のように美しい裳裾」「天人や仙女の衣服」といったような意味しか出てこない。月神である嫦娥が美しい服を身につけるのはなんら特別なことではないはずだ。
 しかるに件のWikipediaの記述からは、嫦娥が実際の虹を切り開いて身に纏ったという、神秘的かつ非現実的な光景が想像される。
 ここに少々、一般的な解釈からの飛躍があるのではないだろうか。

結論

 嫦娥が虹を切り開いて衣服にしたという説に辿り着くためには、

①「白蜺嬰茀」は白い虹や雲のことなのか、嫦娥の装飾のことなのか
②「霓裳」は美しい衣裳なのか、虹でできた衣服なのか

という二段階の関門を抜けなければならない。

 前述のとおり、わたしはまず四冊の書籍を参考にしたが、その内の三冊は嫦娥の装飾説に触れてすらいなかった。特に古人の注釈書を多数引用している『楚辞集注しっちゅう全注釈』にも拾われていなかったことは些かの驚きすらある。
 唯一『天問箋』を引いている『新釈漢文大系』にしても、「白蜺をそのまま霓裳と見ることや、嬰茀を直ちに髪飾りと見ることには疑問がある」とし、紹介までに留めている(*4)。
 しかしながら、真実は多数決で決まるものでもないので、装飾説はあくまで「伝統的な解釈とは異なる、比較的新しい説の一つ」と理解しておくのが穏当だろう。

 一方、②の問題はさらに難しい。『楚辞』原文や古い注釈書に「切り開く」に当たる字が無い以上、実存の虹を切り開いたと考えるにはどうも根拠が乏しい。
『郭沫若選集』が「白いにじの裳」と訳しているのは少し怪しいところだが、ただちに虹そのものと断ずることはできないだろう。

 以上のことから、現状の資料だけを見た場合、「嫦娥が虹を切り開いて衣服と為した」とするのはかなり難しいのではないかというのが今回の結論になる。

(*4)星川清孝『新釈漢文大系 34 楚辞』明治書院,1970,p.137

東方における嫦娥のビジュアルは?

 東方Project本編において嫦娥のビジュアルは未だ公開されていないわけだが、今後その姿が描かれる日が来ると仮定して、その彼女が虹の衣を着ている可能性はどの程度あるだろうか。
 ZUN氏は紺珠伝で純狐という人物を登場させるにあたり、「純狐=玄妻説」というかなりマイナーな解釈をも取り入れている節がある。そんなZUN氏の発想の自由さを考えれば、上に挙げた否定材料などはあまり意味を持たないような気がしてならない。
 神話上の嫦娥が虹を切り開いたという説が正しいかどうかはともかくとして、東方の嫦娥が虹を着て現れる可能性についてはまったく否定できないと思う。

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